超初心者を対象としたパソコン教室
NPO法人を設立しよう、と思った時が一番の転機です。もともと利益だけを追求する事業をするつもりではありませんでしたし、ボランティア経験も多かったことから、社会に貢献したいという思いも強かったのです。それに、カルミアネットのパソコン教室にくる方は高齢者が多いのですが、卒業しても会員の皆さんとの関係が続いていくうちに、単なるパソコン教室ではなく、高齢の方々の居場所づくりにもなっていると考えるようになりました。そこで、2001年夏、卒業生が100人へとコミュニティが大きくなったことを機会に、個人事業主から法人への転向を検討しました。NPO法人の特性を調べていく中で、営利を目的とせず、行政や企業が提供しにくいサービスを提供するというNPO法人は、私たちの活動そのものだと行き着いたんです。NPO法人なら、設立資金もかからないし、社会的な信用力もつきます。そうしてNPO法人になったことで、カルミアネット全体の目標は、社会貢献だと方向性が定まりました。また、卒業生の何人かにNPO法人の役員になってもらったのですが、それによって会員同士の結束も強くなり、会員みんなでつくるNPOだという意識も高まったと感じています。
山形の伝統を残す漬物の製造販売
2005年に発刊した漬け物レシピ本『さとみの漬物講座』が転機でした。ケーブルテレビ山形で漬物専門料理番組「さとみの漬物講座」に出演していたのですが、視聴者の方々から「なぜ、レシピ本をつくらないのか? ぜひ欲しい」との要望があり、それならばと、自分のホームページを作成し、そこにレシピもアップしました。テレビにも出演し、講座も開いているので、これで十分かなという思いもあったのですが、やはり自分の活動をきちんとした形で残すのも悪くはないと制作したのが、この本です。一生かけて売ればいいと思って刷った初版3000部は半年で完売。増刷しています。それをきっかけに、東北最大手の新聞社、河北新報での食のコラムの執筆など仕事の幅がどんどん広がっていきました。そして、2009年8月にはPHP研究所より全国書店向けの漬け物レシピ本『ビニール袋で手早くできる!野菜のうまみが活きる漬け物』の発売にこぎ着けました。あきらめたり、こんなものでいいかと限界をつくらず、がんばってきた成果だと思っています。
授乳服の製造・販売
周りからの一言がいつも転機のきっかけです。
立上げ時から手伝ってくれていた3人から「自宅を開放してサロンを開いたら」と提案され、サロン開催を決定。ホームページの設置も、雑誌の取材を受けた際に「せっかくだからホームページのアドレスを載せたら?」と記者の方に言われて作りましたが、その後、ネットショップとして力を入れています。
また、当初カラーコピーだったカタログも、福岡の助産師さんが「母親学級で配るから100部送って」と言ってくださったのがきっかけでオフセット印刷にグレードアップ。
2005年に青山ショップを開店したのは、コミュニティ的な場所をつくば以外にも作りたかったのと、授乳服を着て子ども連れでも安心して出かけられる、ちょっとおしゃれな場所があったらいいな、という思いからです。ここでも子連れ出勤を認めていて、広い世代の方にその姿を見ていただける良い機会になっていると思います。
映画館の運営、イベント企画・プロデュース
まさに、今が転機といえるかもしれません。4年間映画館を運営してきましたが、プレミアム会員と合わせて通常の会員の方も募集しているのですが、8000人を越えました。やっと京都の街に存在を認めていただけたと思っています。そうした時期(2008年)に、立命館大学産業社会学部の講師(2004年)から教授になり、その大学と連携して、教養や学問として映画をとらえたイベントを行うことになりました。映画は大衆娯楽として感性に訴えかけるものでもありますが、知的な刺激を受けるものでもありますから、研究者がそれぞれの研究領域の中で、映画を見た時に、どうとらえるのか。そんな関心もありますし、京都は学生の街なので、学生の街だからこその映画文化の発信をしたいと考えた試みを始めています。
人事制度改革アドバイス・マーケティング事業
起業して1年くらいたった頃でしょうか。起業したことを後悔するような出来事があった時、経営者交流会の講演会で、後に上場した株式会社ティアの代表取締役社長の冨安徳久氏に出会ったことが、私の人生を大きく変えました。「プラス思考をクセにしなさい!そうしないと人生もったいない。どうせ起業したのだから、悔やむ時間はもったいない。それよりも今の苦労があるから、次に幸せな時間がより輝くんだ。苦労よ、ありがとう!と言える人になるよう、自分の考え方をプラスにくせづけしなさい」というメッセージをいただき、それまでと物事の見方が180度変わり、プラス思考になりました。今思えば、これまでの転機はすべて人との出会いからもたらされていると思います。
コミュニティFM放送局の運営
自分が放送局の運営に対して無知だということから、経験豊富な技術者やDJ経験のあるタレント、局長を大阪から呼び寄せて運営していました。私は営業活動でずっと外を飛び回って、番組はお任せ状態。標準語で話し、個性のないFM放送局だったと思います。スタッフの信頼も失っていました。そして、起業して1年目、最初に雇用した局長クラスのスタッフを解雇することに。3年目にはタレントさんも解雇。その後は、DJも技術も自分で覚え、ひとりでも番組ができる体制を整えました。この時が私の転機だったと思っています。今では、地元の人が紀州弁で地元の話をする本当にやりたかったコミュニティFMになりました。
ハウスクリーニング・家事代行・整理収納
お客さまからの信頼を得るためにハウスクリーニング士2級や整理収納アドバイザー1級などの資格を取ったり、最新の業界情報を手に入れるために東京に出張をしたりと投資が続き、それによって運転資金がなくなってしまった時です。それでも、私は周囲に事業が「うまくいっているか」と聞かれれば「うまくいっている」と応えていたのですが、身内は私の変化を見逃しませんでした。事業がうまくいっていないことを察した母親は資金を貸してくれ、大手出版社に勤めていた姉は、その安定した立場を捨て、私の会社に入ってくれました。これにより、セミナー事業が軌道に乗り、廃業を免れる結果となりました。
自然・アレルギー対応食品などのネット販売
アレルギー対応食品製造会社の倒産が相次ぎ、自社で工房を構えて、プライベードブランド(PB)の開発を始めた時です。製造会社がなくなると、当社で扱えなくなるという問題だけでなく、「明日、食べられるものがない」と切実なお客さまもいらっしゃいます。それなら、うちでつくるしかない、と思ったのです。現在、米でつくったパンや乳製品を使用していないグラタン、コロッケ、クッキーやケーキなどを開発・製造していますが、非常に好評を得ています。それまで、そんなに料理が好きとは言えないほうでしたが、PB開発を機に料理の面白さに目覚め、レシピ開発にも着手しています。
親子のためのスキンケア商品の開発・製造・販売
1992年に(株)希松を設立した後、OEM事業で展開する商品と、自社ブランド「ママ&キッズ」の商品が末端バッティングする可能性があったので、1996年に自社ブランドの会社(株)ナチュラルサイエンスを設立しました。毎月1000万円の売り上げを目標にしましたが、月100万円しか売れない経営状態が5年続きました。2001年に奮起して、簡単なカタログで通信販売を開始し、同年に会員向け機関誌「Natural Messe」を発行。翌年から徐々に売り上げを伸ばし、店頭流通への卸しも本格的になり、工場の生産が追いつかないほどに。2006年に事業本部を現住所に移転し、工場も増設しました。
活魚・鮮魚や水産加工品の製造・販売
「ごまだし」の製造・販売を始めた時でしょうか。起業当初は活魚や鮮魚の販売を主に行っていましたが、どうしても自然のものを扱うため、天候などにも左右され、アジやサバの水揚量が減少したりと販売が不安定になりました。そこで、大分では郷土料理ですが、ほかの地方では知られていなかった「ごまだし」に着目し、製造を開始。農林水産省「農山漁村の郷土料理百選」に「佐伯ごまだしうどん」が選定されたことや、企業が主催する「2008年アイデア料理」でごまだしを使ったレシピが最優秀賞に選ばれたことで、人気を呼び、加工品中心の製造・販売にシフトしてきました。
ハウスクリーニング事業のパイオニア
それまで勤め人でお金に苦労したことがなかったため、起業してから、わずかな原稿料や講演料で自分の報酬を確保していく清貧の生活は、人生最大の試練でした。服や身の回りの品々を買うお金がなかったので、それまで持っていたものを使いまわしていました。これが後の生活評論の提案のヒントになりました。無報酬の社長時代を経験したからこそ、ものを買わない結果、整理整頓され、掃除が行き届くことも発見しました。それが10年後、快適な暮らしをテーマに、数々のベストセラーの書籍を生み出すことにつながりました。
オリジナル和布製品の製造・卸し・販売
やはり、「よさこい祭り」にかかわったことが転機ですね。初めて衣装デザインを手がけた時に、和を生かしたオリジナル商品をもっとつくりたいと思うようになり、自分でよさこいチームを結成した年から、実際にオリジナル和布商品の製作を始めていますから。よさこい祭りを見る側から参加する側になって、地域をもっと盛り上げていきたいという気持ちにもなりましたし、有限会社ほにやとしても、地域や日本の伝統を盛り上げていく会社でありたいという気持ちが強くなりました。
生活弱者のための日常生活サポート事業
想定したニーズとは想像もつかない相談があった時は、転機だと思いました。たとえば、夫の浮気調査の依頼や、障害のある方の性に関する相談を受けた時などがそうです。また、世間からバッシングを受けた時、給料を支払って運営する難かしさを知った時もそうです。だから、転機となることはたくさんありました。でも、新たな提案やクレームは勉強にもなりますし、バッシングなどは仲間づくりに発展することもあります。困難はチャンス! そう思っています。
多言語にわたる翻訳・通訳・語学教育サービス
起業当初は中国茶の販売を中心にしていましたが、自分が小売に向いていないことに気づかされました。起業支援室のマネージャーや中小企業診断士の方にも、語学中心にしたほうがよいと勧められ、徐々に方向転換しました。小泉元首相が観光立国を宣言し、外国人観光客誘致を開始したのにあわせて、観光業界への多言語サポートサービスをはじめたときが、転機といえば転機かと思います(でも、転機といえるほどの実績はまだまだなのです)。
オーガニックに特化した飲料メーカー
起業して3年経った頃、尊敬できる経営者からのアドバイスで、株式上場を視野に入れたことが転機といえます。上場すると社員の士気が抜群に上がることを会社員時代に経験していたので、「一流企業」という意識を社員に持ってもらいたいと思いました。株式上場自体は、資金調達のひとつの手段でしかないと、私は考えているので、実際にするかしないかはともかくとして、いつでも上場できるくらいの力量は付けたいと思っています。
天草の自然海塩の製造・卸し・販売
今がその転機と言えるかもしれません。起業時は、塩の専売法が緩和されたばかりでしたし、手づくりの塩は珍しかったので、お客さまに納得してもらえれば買っていただくことができました。しかし、最近は塩の種類もかなり増え、どう特色を打ち出すべきかと思案中です。また、食用塩公正競争規約の施行によって、2年後からは「天日古代塩」という名称が使用できないこともネックになりますので、今が踏ん張り時だと言えますね。
ITを駆使して、幅広くビジネス展開
3年目にオフィスを構えて売り上げが倍になりました。その後1年ごとに1人づつスタッフを増員し、今年は新卒も採用して、人材育成にもチャレンジしています。4年(2004年)目にオリジナルブランド無農薬ひとめぼれ惣兵衛米のネット販売から、マクロビオティックに目覚めました。2006年会社を法人化。2007年には新事務所を建設し、隣接でマクロビオティックレストランをオープン予定です。
戸建住宅の建築・リフォーム・施工
やはり、事務所兼作業所をつくった時でしょうか。不思議なもので、若手の人材が入ったり、仕事に必要な資材や作業所がないと困るような仕事が入ってきたり、この時期に作業所を建てることが必然だったかのようなことがたくさん起きました。作業所を持ったことで、それまで現場でしていた資材の加工も社内でできるようになり、下請け仕事からも脱却。仕事の幅も広がっていきました。
緩和ケアの診療所、在宅ホスピス医
クリニックをビルの2階から、現在の1階の場所に移転した時でしょうか。開業当初は自分の名前を看板に掲げることに躊躇していた部分もあったのですが、クリニック開設から3年、書籍を出版したり、マスメディアに出ることも増え、そしていざ移転という時は、事業を仕切り直すようなものでした。自分を看板に掲げて堂々とやっていこうという強さというか、覚悟が持てました。
シックハウスを作らない設計事務所を目指す
最初は自然素材でのリフォームだけでしたが、新築も手がけるようになりました。
もっと良い家を創りたい、喜んでもらいたいと思う気持ちから資格取得にも励みだしました。
起業前より起業後の方が多忙ですが、かえって試験勉強ははかどり、おかげで欲しいと思う資格が取れました。家事や子育てを言い訳や逃げ道にしなかったのが良かったのかもしれません。
玄米せんべいで食の大切さを訴える
2004年くらいまでは赤字続きで、このまま続くようではまずいと思っていました。周囲から、辞めたほうがいいのでは?という声もありました。でも、このせんべいが売れないはずはない。もっと多くの人に食べてもらえれば…という思いがあり、翌年の2005年に、より低コストでできる低農薬玄米を使用した「玄米大好き」を開発し、少しずつ赤字を挽回しています。
働き続けたいという要望に応えるネットオフィス
起業1年半後に、夫が東京に転勤となり、迷った結果、活動拠点に北見を選びました。夫は単身で東京へ。10ヶ月後、家族と北見で暮らしたいと、夫が会社を辞めて北見へ戻りました。その後夫は私の会社で総務を担当することになりました。
2004年2月 北見で記録的大雪が降り、会社機能が3日ストップ。危機管理のために、その4月に奈良オフィスを設立しました。
アイスクリーム販売とレストランの運営
やはりアイスクリーム店を始めた時が一番大きな転機だったでしょうか。少しでもお客さまが集まる期間を長くしたい、少しでも客単価を上げたい、少しでも地域を元気にしたい。そんな気持ちからでした。アイスクリームづくりに関してはまったくの素人で、ゼロから勉強していきましたが、いちご狩りで得たお客さまの反応や実績が力になったと思います。
筆文字デザイン・デザインアートプロデュース
時間に拘束されず仕事を続けていたいと思っていたのでテナントを借りることは出来ないと思っていました。2005年、知人が起業する際、素適な暮らしを提案するというコンセプトで、コラボしながら一緒に建築しないかと相談され、テナントという形をとりました。雑貨・カフェ・セミナー室などもあり、仕事的にも環境的にもベストの状態です。
自慢のスイーツも販売するカフェの経営
カフェを開業して1年後、自社でスイーツを開発して販売を始めたことです。それまでは外注していたのですが、それでは自分らしい個性を出すことや、季節に合わせた商品を出せないと考え、自社開発を始めました。そこから様々なアイデアが生まれていき、ロールケーキやチーズケーキの卸販売などにつながっていったのだと思います。
子どもの金銭教育
2002年3月に事務所を借りたこと。人を雇う、勉強会開催、取材を受ける、個別相談を受ける、子どもたちとの団体活動の拠点にするなど一気に積極的な活動に変わりました。それらのうち、子どもの金銭教育活動が、現在の仕事の大きな柱に育ちました。
もう1つの大きな転機は、法人化してサポート側に回ろうと決心したことです。
障害者就労、環境問題など地域課題の解決に挑戦
何回か挫折をしているが、起業して1年半くらいしたとき、事業が伸びず、資金繰りもうまくいかず、子育ても大変だった時期に、もう投げだそうと思ったことがありました。そのときに従業員から「那須さんだから付いてこれた」と言われて、自分の立場や、周囲からどう見られているのかが初めてわかった。そこから奮起しました。
全国に眠る8mmフィルムを蘇らせる会社
「家庭で撮影された映像なら何でも」という創業時のスタンスをやめ、「8mmフィルム限定」の店を別に作って「想い出編集局」と2本だてにし、その後「8mmフィルム工房のみに注力」と切り替えたこと。(想い出編集局は2007年に休業)
ニッチな市場にパワーを注力し、さらに技術・知名度・売上を高めていく計画です。
大切なペットとの別れを手助けする訪問火葬
地元新聞社の記事で紹介されてから仕事が増えました。また起業セミナーを受講していたことからテレビ取材も受け、宣伝になりました。
仕事で知り合った飼い主と、それまで一緒に動物のボランティアをしていた人たちで動物のボランティア団体、NPO法人アニマル・サポート青森を設立したことです。
美濃和紙で作るウエディングドレス
特別な会社にするという思いはありませんでしたが和紙の加工法で“創造法”(新規性のある技術)の認定を受け、あっという間にベンチャー企業と呼ばれるように。伝統工芸の世界で“創造法”に認定されたのは、弊社が初めてでした。そのことでマスコミにもより一層取り上げられるようになりました。
女性の身体をケアするための複合施設
今の会社の建物が見つかったとき、貯金もほとんどありませんでしたが、助産院と治療室、アロマテラピーの学校を一緒にやる場所として最高だと思えたので、患者さん達にお金を貸していただき、銀行を説得して、約2億円のお金をかり、買うことができました。後は、返済のために必死で働きました。
いのちと食べ物の本当の関係を伝える
企業が求める仕事から、いのちの未来を守るために必要な仕事に転換したいと考え、未来生活研究室の設立を提案する仕事に徐々に切り替えていったことです。徐々に独自の研究を進めて、そちらの仕事をだんだん増やし、あとは来た仕事のみ行うという形でゆっくり業務内容をシフトしていきました。
ホームページ制作・マーケティングリサーチ
ホームページの制作を依頼してくださる方が「女性の視点」とか「女性の感性」といった言葉をよく口に出されていました。それで女性のマーケティングチーム「チームお嬢」を作りました。最初は10名からのスタートでしたが、徐々に増えていき、今は300名くらいの会員様がいらっしゃいます。
オーダーメイドサプリメントの販売・企画
サンケイリビング新聞の50周年記念で女性起業家の事業企画を募集していたのに応募しました。すでに起業はしていましたが、全国で選出された4名に入ることができ、全国紙の中面2面に掲載されたことで、他の雑誌などの取材が増え、新しいお客様にも来ていただくことができました。
人と人とのつながりを紙コップアートで体感
2005年にアートコーディネーターをしているイタリア人男性と結婚してから活動に幅が広がり、イタリアでの発表も増えてきました。日本とイタリアを行き来することで、視点がぐんと広がったと思います。客観的にアートの重要性、表現の方法をみつけることができました。
働くお母さんを支える病児ケアと家事代行
8月に創業してから7ヶ月後には資本金1000万円がなくなりました。自分には経営者としての才能ないと気がつきましたが、そこでやめようとは思いませんでした。さらに大阪市信用保証協会から600万円の融資を受け、経営の経験を積んで3年目に黒字にすることができました。
主婦のチカラをプロデュース
1999年にインターネット会員制度を導入したこと。それまで、FAXと印刷物でまかなっていた会員組織を一度解散し、ホームページ開設、情報はすべてメールでと、会員組織のIT化を実現しました。その結果、会員数が飛躍的に増員し、2004年には10万人を越え、増員中です。
安心、快適なオーダーメイドウィッグサロン
第4回女性起業家大賞特別賞(全国商工会議所)を受賞できた事がきっかけで、大きく開けてきたような気がします。いくつかのメディアからの取材や地元商工会議所の皆さんに喜んでもらえたり、一番ほしかった信用を築く土台になったような気がします。
バイオ苗の研究開発・生産・販売
取り扱い品目を増やしたことです。イチゴ、鳴門金時のほか、菊やパセリなどの注文も農家から舞い込んでくるので、多様なニーズにこたえられるように、地道に研究を進めていった事が、転機へとつながりました。
ウェブサイトでユーザー参加型の商品開発
大手家電量販店とそのサイトでの販売開始。筆頭アドバイザー赤羽雄二氏(ブレークスルーパートナーズ株式会社)との出会い、また貴重な社内スタッフや協力者・支援者との出会いがすべて転機となっています。
足と靴のカウンセリング・インソール製造販売
ドイツへ足と靴の勉強へいったことで、仕事の重要性を感じることができたことと、その際のレポートを地元の新聞が記事にしてくれたことがきっかけで、その後、色々なところが取材にきてくれたこと。
ライフオーガナイザー資格制度を創設
まだ起業したばかりなので、これからだと思いますが、起業後に第2子を流産したことで、世の中には自分がいくらがんばってもどうしてもコントロールできないことがあることがわかりました。
コミュニティレストラン&デイサービスの運営
法人化した時でしょうか。個人事業主と違って、NPO法人は公益性が求められるものですから、社会的責任を自覚しましたし、継続のために組織体制づくりに注力するなど心機一転しました。
人生設計を手伝うファイナンシャル・プランナー
ちょうど今が転機なのではないかと思っています。事務所を移転し、新しい仕事も増加傾向で、非常に忙しくしています。結果的に全てが良い方向に展開しており、充実感を得ています。
農家の女性がつくった里山のレストラン
特にありませんが、県内のデパート5店舗へオリジナル商品(ドライフラワー、ブルーベリージャム)の販売が決まったことで販路が拡大したことは大きかったです。
自然素材のみを活用した石けん等の製造・販売
ドリームゲートのプレゼンコンクールでの大賞受賞。
マスコミに工房の取り組みが取り上げられることが一挙に増え、それまでより知名度が上がりました。
ニゴロブナを養殖し、昔ながらの「鮒ずし」を復活
2年目を迎えて本格的な販売活動を行い始めた現在が転機です。自分一人ではなく、従業員も雇うようになり、後継者を育てることも必要になってきました。
家族向け日帰り温泉
起業時に応援してくれていた大事な友人と離れることになり、一人ですべてやらなければならないと感じたときが、転機だったかもしれません。
旅館経営をベースに地域を活性化
7月に法人化して自分が矢面に立つ立場になったときは、大きな転機でした。もう素人だからと言っている場合じゃないと腹を決めていました。
中小企業の健全な経営をサポートするために
大きな転機はありません。とにかく一番不景気なときに顧客ゼロの状態で開業したので、じっくり堅実に事業が成長している状態です。
心の教育プログラムを提供
古いモードにのっとった相関関係で仕事をしていた従業員を解雇し、本当に独立する覚悟を決めたときが大きな転機でした。
スパの企画運営・教育・コンサルティング
転機と言えるほどのタイミングは、まだ迎えていないと思います。3年目ですから、これからではないでしょうか。
働く独身女性のためのシェアハウス
転機は、いち早くシェアハウスの可能性を開拓したことです。
そのおかげで本を出版することができました。
草木染工房&茶房
娘を代表理事とする企業組合からっぽくさの農園を設立、法人化。その中へ「工房からっぽ」を入れました。
スリング、育児用品の製造・販売
2001年にネットショップ開設をしたこと、2003年に新聞に商品が記事として紹介されたこと。
お母さんを応援したい・ベビーシッター会社
ベビーチュータープロ養成講座を開いたことで人材育成事業で信頼を得ました。
工夫の巻きずしで町おこし
若い人たちが入ってきて、保険など、雇用のあり方を考えるようになりました。
医療子育て相談・代替医療
2006年11月に、自分の中で、果たす役割・生きる道がはっきりしました。
タイと日本の国際交流ビジネスを目指す
まだ起業してから1年が経っていないので、大きな転機はありません。
イーコマースに関するコンサルティング・支援事業
ECとの出会い。そこからO.S.P.が始まり、今に繋がっています。
ラム酒の製造・販売
まだ特にありません、これからでしょう。
言語障害・発達障害の子どもと親のサポート
まだありません。
イベントの司会・演出・総合プロデュース
特になし。
ミルク酵母パンの製造・販売
なし。