アトピーやアレルギーのある人の強い味方が、岡田由佳さん。 卵アレルギーのある子どもを持つ母だからこそわかる商品セレクトで、食品を中心に「モノ」と「情報」と「心」をネットショップで提供しています。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かさなかった | していた | いた |
自動車販売会社勤務を経て、結婚。1998年に出産した長男がアトピーと診断されて以来、アレルギーと格闘する日々を送る。自分と同じように悩んでいる人は全国にいるはずと、2002年、アトピーとアレルギーのある子どものための商品・情報を提供する「もぐもぐ共和国」を開設。同年、有限会社アレルギーヘルスケアを設立。2006年、株式会社に組織変更。2007年、自社製造工房「もぐもぐ工房」を開設し、プライベート商品の開発・製造を開始した。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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20歳 | 1997年 |
観光の専門学校を卒業。日産プリンス愛媛販売株式会社に入社 |
21歳 | 1998年 | 結婚を機に退職し、大阪に転居。第1子出産 |
24歳 | 2000年 | 第2子出産 |
25歳 | 2001年 | 大阪産業創造館が開催する「うりうり教習所(インターネットショップ立ち上げ塾)」を受講し、ネットショップビジネスを研究 |
26歳 | 2002年 | アレルギー用食品等を販売するためのネットショップ「もぐもぐ共和国」を開設。有限会社アレルギーヘルスケアとして法人化 |
30歳 | 2006年 | 株式会社に組織変更 |
31歳 | 2007年 | 自社製造工房「もぐもぐ工房」を立ち上げ、プライベードブランド商品の開発・製造を開始 |
卵、乳製品、小麦、蕎麦など、年々、子どもたちの食物アレルギーは増えているといいます。摂取すると命の危険にかかわる食材もあるため、アレルゲンを除いた「除去食」づくりはもちろん、調理器具や食器などを別に用意するといった慎重さも必要になります。アレルギーのある子を持つ親の労力ははかり知れません。岡田由佳さんもそのひとりでした。「長男の離乳食がスタートし、卵が入った料理を食べさせた時です。口に入れた途端、体中に湿疹ができ、吐き出してしまいました。小児科の病院に連れて行くと、アトピーと診断されました。でも、具体的な指示はなく、塗り薬を処方されただけでした。それだけではどうしても信用できず、皮膚科に行ってみたり、別の小児科に変えてみたりしました」。
ただでさえ慣れない育児。誰しも初めての育児には戸惑いも悩みも尽きません。それに加えて、我が子が原因も対処法もまだまだ明確になっていないアトピーと診断されたら、なお一層の心配が募ります。「子どもが泣くと『この子は勝手に生んだことを恨んでいるのではないか』と一緒に泣いてしまうこともありました」。落ち込む岡田さんを見かねた人から育児サークルに誘われ、参加。そこで初めて「アレルギー外来」という存在を知り、通院を開始します。「何がアレルゲンなのか、どう子どもに対応すればいいのかなど、ていねいに教えてもらい、『除去食』の指導も初めてそこで受けました」。
除去食づくりや専用の調理器具、食器の用意など、自宅では慎重に期すことができても、外食ではそうはいきません。「たとえば、息子がお子さまランチを食べたがっても、オムライスに揚げ物、スパゲティ、プリン……。卵や鶏肉が混入している可能性が大きいものが定番ですから、外食なんて到底無理です。しかし、私の周囲はアレルギーで困った人がいなかったために知識も乏しく、『食べさせて慣れさせないとダメ』と何度も卵を食べさせようとする人もいました。それで呼吸困難になり、救急病院に駆け込んだこともありました」。岡田さんは、何とかして我が子にみんなと同じものを食べさせたいと専門書を読み、学んでいきます。それが岡田さんの起業の原動力になっているのです。
ある日、岡田さんは育児雑誌で卵を使用していないマヨネーズの存在を知り、メーカーに連絡。大阪市内のどこで手に入るかを聞き、実際にそのお店へと足を運び、手に入れます。そのマヨネーズを使って、初めて子どもにポテトサラダを食べさせてあげることができたと言います。「ああ、この子もほかの子と同じものが食べられるんだ、と嬉しさが込み上げてきたことを覚えています」。その後も、卵を使っていないクッキーが売られていると聞いては購入したりと、多少手間や時間がかかっても「我が子が食べられるのなら……」という気持ちで購入する機会が増えていきました。「アレルギーのある子を持つ親は皆、私と同じような気持ちではないではないだろうか。アレルゲン除去食品を探しているはずではないか。除去食レシピや、いいお医者さんの情報もみんなで共有できたら、素敵じゃないか。そんなふうに感じ始めました」。
子どもを抱えて外出が困難な母親が情報を得るためには、インターネットが最適と岡田さんは考え、インターネットショップの運営を学ぶ塾を受講。パソコンの「いろは」からしっかりと学んでいきました。そして、2002年、大阪府中小企業支援センターの創業モデル創出支援事業(新テイクオフ大阪21)に応募。岡田さんのビジネスアイデアや事業に賭ける情熱が買われ、「大阪府中小企業支援センター認定事業」に認定されました。翌月には、アレルギー対応食品や自然食品を中心としたネットショップ「もぐもぐ共和国」を立ち上げました。サイトアップ早々から「こんなサイトを待ってました!」という声が続々と届き、開業2ヶ月目に有限会社として法人化(後に株式会社に組織変更)。事業は順調に軌道に乗り、岡田さんの「自分と同じような悩みを持つ人はたくさんいるはず」というニーズがあることが証明されました。
ネットショップ「もぐもぐ共和国」は、食品のみならず、健康雑貨、医療用具などの販売や、アトピーやアレルギーに優しい宿や医師、除去食レシピなどの情報提供など、「モノ」と「情報」、そして我が子のためにという「心」が集まるサイトへと成長していきました。「しかし、当社の主力であるアレルギー対応食品や自然食品の製造会社の倒産が相次ぐようになりました。ほしい商品が仕入れできないもどかしさもありましたが、何よりもお客さまの中には『明日、食べられるものがない』という切実な方もいらっしゃいます。そういった状況を見て、それなら自社で商品を開発しようと考えました」。
2007年、自社製造工房「もぐもぐ工房」を開設し、プライベートブランド(PB)を開発。小麦を使わず、米を使ったパンやケーキ、スパゲティ、乳製品を使っていないグラタンやコロッケなどを発表していきます。「乳製品を使っていないグラタンは、当社くらいしかないのではないでしょうか。最近出したパンもとても好評です」。岡田さんが初めて我が子にポテトサラダをつくってあげた時と同じ喜びを、全国のアレルギーのある子どもを持つ親と子が感じているのではないでしょうか。「アレルゲン除去食品が、特別な場所でしか手に入らないものではなくて、いたるところで当たり前に売っている。そんな世の中になったらいいなって」。起業家である前に、母親である岡田さんの想いです。
会社(団体)名 | 株式会社アレルギーヘルスケア |
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URL | http://www.mogumogu.jp/ |
創業 | 2002年4月8日 |
設立 | 2002年6月3日 |
業務内容 | アレルギー対応食品や自然食品などの販売・教育・コンサルティング |
長男の離乳食がスタートし、卵の入った料理を食べさせた途端、体中に湿疹ができ、医者にアトピーと診断されたことがきっかけです。外食は簡単ではありませんでした。お子さまランチに入っている定番には、オムライスに揚げ物、スパゲティ、プリンと卵や鶏肉が混入している可能性が大きいです。自宅で料理をつくるときも、卵や鶏肉を除くだけでなく、調理器具や食器もアレルギーのあるものに一切触れないようにしなくてはいけないですし、非常に大変です。育児雑誌などで卵を使用していないマヨネーズやクッキーを知った時は、とっても感激して取り寄せたほどです。そこで、私と同じように悩んでいる人はきっといるはずだと考え、全国どこでも手に入れられるネット販売をやろうと思い立ちました。
まったくパソコンの知識がなかったので、大阪産業創造館が開催するインターネットショップの運営塾「うりうり教習所」に通って、ネットショップの運営を学びました。また、サイト制作に必要な「html」を学ぶセミナーにも参加しました。
何といっても、仕入れ先探しです。ビジネスの経験もない主婦であることから、なかなか信用してもらえず、自然食品のメーカーなどに何十件も問い合わせましたが、まったく相手にしてもらえませんでした。ところが、ある晩、私が多数の企業に問い合わせていることを知った人が、「名前や立場は明かせないけれど、あなたががんばっているから」と、仕入れ先を紹介してくれたのです。おかげで仕入れ先が見つかり、ビジネスをスタートすることができました。いまだに、その方が誰だったのかわかりませんが、その方のおかげで今があると思っています。
一番は家族の協力です。夫は経営コンサルタント会社に勤めていましたが、私が起業することには反対せずに、むしろ応援してくれました。今ではビジネスパートナーとして、経理を担当してくれています。
夫はビジネスパートナーとして、経理を担当してくれています。インターネットショップの運営塾「うりうり教習所」で知り合った多くの仲間たちと、互いにメルマガやサイトで紹介し合ったりしました。周囲の応援には本当に恵まれていました。
ネットショップに訪れた個人のお客さまです。販売はネットショップのみでしたので、プレスリリースを配信し、いくつかの雑誌や新聞で紹介していただきました。それもあって、個人客だけで、開業1ヶ月の月商が8万円でした。軌道に乗ったのは3ヶ月後あたりです。2年目は、1年目の年商が2年目の月商になっていました。
情報収集を怠らないことが大切です。また、私のビジネスアイデアは「自分のように不便を感じている人は絶対いるはずだ」というところからスタートしています。そういった不便や不満などに着眼して、ビジネスアイデアを練ることも重要だと思います。それと、慢心せず、常に周囲への感謝を忘れないことです。周囲の協力や応援があってこそ、事業は成り立つものなのですから。
セミナーを受けたり、相談に乗ってもらった大阪産業創造館と、勉強会などに参加したオンラインショップマスターズクラブです。
1300万円です。大阪府中小企業支援センターの創業モデル創出支援事業(新テイクオフ大阪21)に応募し、「大阪府中小企業支援センター認定事業」になったことで、200万円の助成金を得ることができました。そのほか、自己資金と金融機関からの融資を充てました。
起業当初は自宅兼オフィスとして始めました。現在も同じ場所をオフィスとして使っていますが、手狭になったので、自宅を別に移しました。
税務に関しては夫に担当してもらいましたが、ほかは特に整備せず始めています。起業後、屋号の「もぐもぐ共和国」を商標登録する際や、プライベードブランドの商品開発の特許に関わる課題があった時は、うりうり教習所で知り合った仲間に、弁護士や弁理士などを紹介してもらいました。
アレルギー対応食品製造会社の倒産が相次ぎ、自社で工房を構えて、プライベードブランド(PB)の開発を始めた時です。製造会社がなくなると、当社で扱えなくなるという問題だけでなく、「明日、食べられるものがない」と切実なお客さまもいらっしゃいます。それなら、うちでつくるしかない、と思ったのです。現在、米でつくったパンや乳製品を使用していないグラタン、コロッケ、クッキーやケーキなどを開発・製造していますが、非常に好評を得ています。それまで、そんなに料理が好きとは言えないほうでしたが、PB開発を機に料理の面白さに目覚め、レシピ開発にも着手しています。
顧客対応などのコミュニケーション能力がついてきたことでしょうか。接客は好きでしたが、ネットショップの場合、接客といってもメールでの対応がほとんどなので、対面での接客とは異なります。当初はメールでの言葉の選び方が粗削りだったのですが、様々な問い合わせに対応しているうちに、相手の言葉から察する能力がついてきたと思います。
夢を叶える時に一番大切なものは「自分を信じる」ということ。チャンスを待つより自分自身の手で今をチャンスに変えていきましょう。また、家族の協力があってこそ、チャレンジできるもの。何でもかんでも、ひとりでやろうとするのは無理な話です。ですから、感謝の気持ちを人に表現し続けることを大切にしてください。
最近、熱帯魚を飼い始めたのですが、その熱帯魚を息子たちと一緒にぼんやりと眺めることが息抜きです。
自分を幸せにしてあげましょう。これは、自分だけ幸せになればいい、という話ではありません。家族や周囲の人が幸せであればこそ、ひいては自分も満たされ、幸せを感じるものです。自分の幸せばかり求め、周囲を不幸にしていたら、いつまでたっても自分の幸せはやってきません。何度も言いますが、家族や周囲の人への感謝の気持ちをどうぞ忘れないようにしてください。