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コミュニティレストラン&デイサービスの運営

都道府県東京都 年代30代 業種福祉
 NPO法人高齢社会の食と職を考えるチャンプルーの会
[ 理事長 ]
紀平 容子 さん

自分が老いた時、地域で安心して暮らせる社会にしたい、そう考えた紀平容子さんは、女性3人でコミュニティレストランを開業。デイサービス事業や配食事業も展開し、地域の「笑顔」を担っています。

起業したとき

仕事の経験
結婚
子ども
生かした していた いた

プロフィール

第一子を出産後、フリーのライター&イラストレーターとして独立。同じ団地に住む子育てしながら働く女性たちと交流し、その仲間と編集プロダクションを共同運営。豊かな老後を過ごしたいと考えるが、高齢者になってから対策を講じたのでは遅いと、女性3人で、1999年、コミュニティレストラン「レストランサラ」を開業する。翌年、NPO法人化。その後、貸しスペース「ひろばサラ」、介護保険事業「デイサービスサラ」なども展開し、地域社会を支えている。

起業年表

年齢 西暦 主な活動
22歳
1972年
大学を卒業 
23歳 1973年 兵庫県で地方公務員として就職 
27歳 1976年 退職し、結婚 
29歳 1978年 第一子を出産 
33歳 1982年 フリーライター・イラストレーターとして起業 
36歳 1985年 編集プロダクションを仲間と共同運営 
49歳 1998年 フリーライターなどの仕事をするかたわら、レストラン開業に向けて「チャンプルーの会」設立 
50歳 1999年 「レストランサラ」をオープン 
51歳 2000年 NPO法人格取得 
52歳 2001年 フリースペース「ひろばサラ」を開業 
54歳 2003年 介護保険事業「デイサービスサラ」開業 
59歳 2008年 「ひろばサラ」を移転  

起業ストーリー

自分が老いた時、どうなるの? その不安から起業を決意

年代を感じさせる団地が目前に広がる、小さな商店街。お世辞にも賑わっているとは言えないシャッター風情の街並み。その一角から笑い声が聞こえてきます。そこは「レストランサラ」。のぞいてみると、高齢の方々が輪になって、コーヒーを飲みながら何やら楽しそうに話をしていました。「サラでは毎週木曜日、『おしゃべり会』というのを開催しているんです。ひとり暮らしのお年寄りなど、家に閉じこもっていては退屈するでしょ。だから、ここで集まってみんなでおしゃべりをする。そんな気軽な会です」。そう案内してくれたのは、紀平容子さん。紀平さんは「コミュニティレストラン」という概念さえもまだ認知されていなかった1999年、東京都立川市・けやき台団地内にある小さな商店街にお店を開業。今では高齢者を始めとした地域住民たちの食と健康、安全を担う、なくてはならない存在になっています。

かつて紀平さんは、ここから近い団地に住まい、フリーのライター&イラストレーターとして活動しながら子育てをしていました。団地には紀平さんと同じ境遇の女性たちがたくさんいました。そこで月に1回、子どもを寝かしつけた後、夜に集まって語り合いをしていたのだそうです。「名付けて『真夜中会議』。夕飯のおかずの残りを持ち寄って、女性だけで朝まで飲み会です。境遇が似ていると抱えている悩みや課題も共感できることがたくさんありますので、そうやって支え合ってきました」。ある日、その仲間の調理師と有機野菜などの販売をしている人と3人でコンサートに行き、その余韻に酔う帰り道で、この先の人生に対する想いを語り合いました。「人はいずれひとりになるもの。でも、自分が老いた時、公的サービスがしっかりしているとは限らない。住み慣れた街で安心して健康で暮らしていくためには、高齢者になってから慌てても遅い。今から自分たちで、高齢者でも入りやすい居場所のようなレストランをつくろう、そんな話で盛り上がったんです」。こうして、レストランサラの開業準備が始まりました。

50人の仲間から資金を借り、開業資金と強力な応援団を確保

まず、実際の高齢者のニーズを把握するために、月1回、食事会を開催しました。近くの高齢者介護施設などを回って、紀平さん作成のチラシを配りました。ところが……。「初回は参加者がゼロ。ちょっと不安になりました。2回目は20人。よし、いいぞ、と。そして半年後の最後の会は50人も集まりました。皆さん、気軽に遊びに行ける居場所を探してはいるけれど、なかなかないという悩みを聞いて、自分たちがやろうとしていることの意義を感じました。その一方で、高齢者に対するイメージの思い込みもありました。たとえば、味について。高齢者は薄味で柔らかいものを好む。肉よりも魚のほうが好きというイメージ、ありませんか?私たちもそう固定概念を持っていたのです。でも元気な方の中には揚げ物やこってり味を好む人も多く、魚よりも肉という人もいました。また毎回同じだと飽きますし、今日は魚、今日はこってり味の気分と、そこは年齢にかかわらず、みんな一緒なんだなとわかり、それがメニューづくりのヒントになりました」。安全な旬の食材を使い、メインは魚と肉とで選べる野菜たっぷりの日替わりメニューを用意。ボリュームも通常サイズのほか、少なめ、多めとそれぞれのニーズに応えるようにしたのです。

メニューづくりなどを進めていく一方で、資金調達もスタート。自分たちの貯金を出し合い、金融機関からも融資を受けましたが、それでも不足でした。そこで、先の「真夜中会議」の仲間たちを中心に借金を依頼しました。「1口1万〜10万円、無利子で5年後に返済。結果参加者は約50人。『夢に参加しませんか?』といったチラシだったからでしょうか。貸してくれたのは、ほとんどが女性でした。男性は収支や勝算を気にしますが、女性は気にしない。直感で面白いと思うとお金を出す。不思議なものです」。50人の賛同者たちは、そのまま宣伝係になってくれました。また、ボランティアスタッフを買って出る人、食器や備品類などをくれる人など応援団に支えられながら、ついに1999年2月、レストランサラがオープンしました。当時は「コミュニティレストラン」という概念も認知されていない頃で、ユニークな業態だとメディアから頻繁に「シルバーレストラン」として取り上げられたそうです。そしてそれを見た近所の高齢者が少しずつ店に来るようになったといいます。「最初は食事会に参加してくれた方々が、すぐにきてくれるんじゃないかという淡い期待がありました。でもよくよく聞くと、70歳以上の高齢の方は、いくら手頃な価格で提供していたとしても『外食は、ハレの日にする贅沢』という考え方だったのです。なるほど、と」。それがまたヒントになり、後に弁当の配達も始めました。それによって、外出が困難な人もケアでき、安否確認にも一役買うことができました。そのほか、障害者福祉施設に配食するなど、地域の食を担う存在へと発展していきました。また、レストランでは先に紹介した「おしゃべり会」のほか、パソコン教室やコンサートなどのイベントも開催。壁面をギャラリーとして無料で貸し出すなど、お客さんたちの趣味の発表の場にも。気づくと、レストランサラに集まる人は、高齢者のみならず、子育て中の母親や食に関心の高い人、介護している家族など、多種多様な人であふれていたのでした。まさに、これぞコミュニティレストラン、です。

異組織で連携し、住み慣れた街で、安心して最期を迎えられるサポートを!

2000年にはNPO法人化しました。組織体制の強化を行っていく一方、空き店舗対策の一環として、もう1軒出店しないかと立川市から話が舞い込みます。そこで思い切って、これまでレストラン内でやっていたパソコン講座などのイベントを独立させ、「ひろばサラ」を開業しました。補助金が3年間得られる仕組みです。しかし、決して経営に余裕があるわけではなかったため、3年後を考えると、収益性の高い新規事業に着手する必要性を紀平さんは感じます。「高齢者介護を仕事にしている人が周囲に多かったこともあり、デイサービスを始めることにしました。出資者、NPO法人会員、サポーターの中には、商店街に不向きな事業ではないかと反発もありました」。しかし、試験的に始めてみると、非常にいい手応えを感じたといいます。一対一の介護を大事にして、その人に合ったメニューをつくるため、介護度が高かった人もみるみる介護度がダウン。他のデイサービスではなじめなかった高齢者も「デイサービスサラ」は、気に入って通ってくるようになりました。「商店街の一角で、金魚鉢のように中が見えるようなデイサービスです。だから反対した人たちの気持ちもわかります。でも、かつて私たちが、高齢者の食について固定概念を持っていたのも、高齢者との付き合いがなかったからわからなかった。商店街という老若男女が行き交う日常生活の場にデイサービスがあるのは、高齢者との付き合いのない子どもや、デイサービスという存在を知らない人に認知してもらう意味でも効果的だと感じています」。

以前、紀平さんはライターやイラストレーターをしていました。現在の仕事とは異業種です。今の仕事に生かされていることは何なのでしょうか?「私は編集の仕事もしていましたが、それに似ているなと思います。ライターやカメラマンなどに仕事を振って、最高の仕事をしてもらい、自分はチームを取りまとめる役。また、サラで冊子も出していますが、そのイラストは自分で書いています。どんな仕事も無駄になることはひとつもないですし、異業種であっても必ず何かしら役に立つと思います」。サラグループのリーダーとして、高齢者が安心して暮らし続けていけるために、人とのつながりを大事にしたコミュニティづくりをしてきた紀平さん。今後はそこからさらに踏み込んで、他のNPOや医療、消防、民間企業、行政といった異組織との連携、つながりの必要性を感じていると言います。「レストランの常連の方がパッタリ来なくなると、不安になって自宅に安否確認に行ったりするんです。そうすると、転倒して骨折したことで、在宅で静養されているケースも。それで表にも出られず、食事や自分の身の回りの世話もできず、困っている人もいます。そういう方に配食をするついでにグチを聞いたり、ちょっとした身の回りのお世話をしたりといったこともしているのですが、私たちでは補えない緊急性の高い状況もあります。それぞれの組織が持っている得意な力を合わせることで、住み慣れた街で安心して最期を迎えられる。そんなサポートができたらと思っています」。

会社概要

会社(団体)名 NPO法人高齢社会の食と職を考えるチャンプルーの会
URL http://members.jcom.home.ne.jp/npo-sarah
創業 1999年2月
設立 2000年4月
業務内容 レストランや貸しスペース、デイサービス施設の運営

(紀平 容子さんの場合)

起業のきっかけ、動機

人はいずれ、ひとりになります。そういう時に地域に支えてくれる人がいる、というのは本当に心強いですし、「老後の質」を向上させる必要があると思いました。でも、自分が高齢者になった時に慌てても遅いわけで……。そこで、住み慣れた地域で安心して暮らし続けるために、健康を支える食事ができて、人と情報が出合うことができて、助け合いが生まれる場「レストラン」をつくろうと思いました。また、地域に高齢者に配慮した飲食店もなかったので、それなら自分たちでつくろうと思ったのです。

起業までに準備したこと

まずは、地域の高齢者たちのニーズを把握しようと、半年間、月1回の食事会を開催しました。最初は誰も参加してくれませんでしたが、半年後には50人の参加者がありました。また、商工会議所が主催する「創業塾」に参加してビジネスに関する勉強もしました。店舗の改装は友人の建築事務所に依頼して格安で仕上げてもらったり、厨房機器や食器などは友人・知人からもらったりして、これもできるだけ小資本に抑えました。チラシ制作やPRなどは、フリーライター兼イラストレーターをしていた私の手づくりです。

起業時に一番苦労したこと

最初は、ライターやイラストレーターとしての仕事とレストラン運営の仕事を掛け持ちでしていたので、時間的にも精神的にも体力的にも限界ぎりぎりでした。つらかったです。また、当初は3人で始めましたが、法人格がなかったため、金融機関からの融資や物件の賃借契約などの名義など、どうしても個人の肩に負担がかかり、それも大変でした。NPO法人になってからは、気持ち的にも楽になりました。

だからうまく起業できた!…その一番の理由

レストランを開業する以前から、地域で働く女性たちの仲間がいたことは大きいです。出資をしてくれた人は総勢50人いますが、そのほとんどが女性ですし、その人たちは「自分の店」という感覚で店を宣伝してくれたり、常連客になってくれたり、従業員として協力してくれたり……。ありがたかったです。

起業時の環境(友人や家族の協力他)

友人はもちろんのこと、家族のバックアップがあったおかげで、数々の障壁を乗り越えて、これまで続けられたのだと思います。どうしてもスタッフの数が足りない時は、夫が弁当の配達をしてくれたり、厨房で皿洗いをしてくれたり。今でも頼むことがあります。

最初のお客さんと営業方法

当時は「コミュニティカフェ」という言葉も概念もなかったですから、高齢者に配慮したレストランなので「シルバーレストラン」と呼ばれて非常に珍しがられ、メディアに頻繁に取り上げられました。それを見た近所の団地に暮らす高齢の方が、わざわざ店を探して来てくれました。

起業の際の重要ポイント

ニーズを調査することは大事です。ニーズ調査のために食事会を半年間、開催しましたが、それによって高齢者の食事に対するイメージが変わりました。高齢者は、あっさりした味や、肉よりも魚が好き、といった固定概念があったのですが、実際は濃い味付けや揚げ物が大好きな人もいますし、魚嫌いの方もいました。また、体調や気分で食べたいものも違う。それは年齢に関係なく、みんなそうなんです。その調査結果から、日替わり定食をメニューに入れて、肉と魚を選べたり、ごはんの量を変えられるなどの工夫を思いつきました。

役に立った情報源や相談先

起業前に通った創業塾では、中小企業診断士の相談が受けられる特典があり、相談しました。しかし当時、コミュニティカフェという概念が日本にまだなかった頃で、モデルもなかったためしかたがないのですが、診断士のアドバイスは、通行量調査や回転率アップといった一般のレストラン向けの内容で、私たちには合いませんでした。ところが、その診断士が成功率は60%だと言ったのです。前例がないモデルだけれど、私たちに何か可能性を感じてくれたようで、それは少し自信にもなりました。

開業資金

3人の貯金200万円を充てたほか、友人・知人に借金のお願いをしました。同じ団地で暮らす働く女性たちの集まりを以前からやっていたので、その仲間を中心に声をかけました。結果、約50人から資金提供をしてもらい、それが227万円(この資金は、後に返済したほか、法人化した際の資本金に充てています)。そして、調理師の個人借入金として、国民生活金融公庫(現・日本政策金融公庫)から300万円の融資を受け、合計727万円で始めました。

活動拠点(事務所・店など)

東京都立川市内にある古い商店街の一角に3店舗あります。日本全国、多くの商店街がそうであるように、ここもシャッターの閉まった商店が多いところです。ちなみに、行政の商店街空き店舗対策の一環として2店舗目と3店舗目は3年間の期間限定で3分の2の家賃補助を受けました。

起業時の管理体制の整備(税理士、弁護士、弁理士など)

個人事業主として始めた当初は、プロに依頼することなく、すべて自分たちで解決していました。ただ、法人化してからの決算期の経理は、最終チェックを会計事務所に依頼しています。

起業後の転機

法人化した時でしょうか。個人事業主と違って、NPO法人は公益性が求められるものですから、社会的責任を自覚しましたし、継続のために組織体制づくりに注力するなど心機一転しました。

起業して自分が成長したと感じたこと

成長したかどうか自分ではわかりませんが、人や物に対する見方が変わりました。数年ぶりに会った人に「優しい表情になった」とも言われましたね。年齢も性別もバックグラウンドも異なる人と日々接することによって、コミュニケーション能力は鍛えられたと思います。自分の価値観と合わない人は、できたら避けたいなという思いがありましたが、そんなことをしていたら、この活動は立ち行かなくなってしまいます。誰に対しても、どこかにつながれる“コンセント”がないか探すクセがつきました。

起業を志す人への一言アドバイス

仲間と一緒に起業しようと考えている人は、仲間がいるからと甘えるのではなく、最後は自分が背負って立つくらいの覚悟が必要です。仲間それぞれが、そういう思いを持っているかどうかが、継続のためにも重要だと思います。

気分転換のしかた

お気に入りの本を持って旅をすることです。講演などで呼ばれて、地方に行くのは楽しみのひとつでもあります。温泉に行って、ぼーっとするのも好きです。でも一番は、ふたりの孫との触れ合いです。いくら疲れた顔をして帰っても、子どもには理屈が通用しませんから、飛びかかってきたりするわけですが、その笑顔の力で疲れも吹っ飛びます。

その他伝えたいことなど

応援してくれる仲間は多ければ多いほどいいと思います。私は働きながら子育てをしている女性たちのネットワークがあったので、その女性たちに声をかけて資金を提供してもらうことができましたが、資金面で助けてもらっただけなく、宣伝してもらったり、ボランティアスタッフを買って出てくれたりと、本当に様々なかたちで応援してもらいました。自分ひとりではできないことも実現できるのが、仲間の存在です。その力は偉大ですから、起業する時は多くの人に声をかけることをお勧めします。


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