大学院生の木下優子さんは、学問で得た知識をビジネスモデルに落とし込むことからスタートし、ゼロからバッグブランドを立ち上げ、ウェブによるユーザー参加型の商品開発の仕組みづくりに取り組んでいます。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していなかった | いなかった |
高校を自主退学した後、アパレル店員などを経て、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスへ入学。「協働のプラットフォームビジネスの構築」をテーマに研究し、ユーザー参加型の商品開発のビジネスモデルを構想。ビジネスプランコンテストで最優秀賞を獲得し、その資金を元に、友人2名と共に株式会社アゲハを設立した。現在、同大学院在学中。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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17歳 | 2002年 |
高校を自主退学。教育や研究に対する問題意識を深める。渋谷のファッションビルにて、ショップ店員のアルバイトを経験 |
19歳 | 2004年 | 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス総合政策学部へ入学 |
21歳 | 2006年 | 「協働のプラットフォームビジネスの構築」をテーマとした國領二郎研究会に所属し、プラットフォームモデルへの洞察を深める。その後「財務・ビジネスプラン構築技法」をテーマとした伊藤良二・須藤実和研究会に所属し、ビジネスの基本を学ぶ |
22歳 | 2007年 | 伊藤良二・須藤実和研究会において、現在の事業プランの前身となる、「デザイン・プラットフォーム・プロジェクト」を立ち上げ、プロジェクトリ―ダーとして、ビジネスプランを構築する |
23歳 | 2008年 | 大学卒業。株式会社アゲハ設立。同大学政策・メディア研究科へ入学 |
ファッション性を重視したPC(パソコン)バッグを開発した木下優子さんは、現役の大学院生です。しかも、この商品開発はゴールではなくスタート地点だといいます。
「創業の目的は、ユーザー参加型の商品開発のプラットフォーム(*1)をつくり、モノづくりの仕組みを変えることです。買い物の延長線上で一般の人の声を吸い上げ、メーカーの商品開発に生かすことを考えているのです」と、木下さん。
具体的には、ウェブサイト上でユーザーが、好きな素材や形、一つひとつのパーツなどを選択することで、それがビジュアル化されて、好みの仮想商品が生まれます。それを見たほかのユーザーが共感した商品に投票して、それが一定数以上になったら商品化されるという仕組みづくりです。
「今後は投票やカスタマイズの結果を分析して、ニーズの傾向を素材メーカーに提案するようなこともできたらいいですね」と、夢は膨らみます。
この商品開発の発想が生まれたのは、学籍を置く慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスでした。高校時代、大学受験を目的とした詰め込み教育に疑問を感じ、悩んだ木下さんは、3年生のときに自主退学します。一旦社会に出た後、友人の話から知った慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスの理念に感激し、大学入学資格検定(現在は、高等学校卒業程度認定試験)を経て、同大学へ入学。既存の知識の蓄積を自分の問題意識に沿って統合し、社会問題を解決していくという理念やカリキュラムは、木下さんにとって理想的でした。さらに、純粋な学問の視点をビジネスモデルにまで落とし込んでいきたいと考えるようになっていきました。大学のゼミナールのひとつ、國領二郎研究会で勉強したユーザー主導による商品開発の仕組みづくりを、伊藤良二・須藤実和研究会でビジネスプランとして構築しました。担当教授に薦められたのが起業のきっかけで、これが今のビジネスプランの前身となっています。
まず、どのような商品を開発したらいいかということで、木下さんは同年代の女性を中心にアンケートをとりました。
「その調査でわかったのは、バッグは“おしい”による機会損失が多いということです。手に取ってみて、大体いいけれど、ここがもうちょっとこうだったら…ということで購入を断念することが多い商品だということです。つまり、キーワードは、『おしいを、ほしいに』なのです」
“おしい”をカスタマイズに誘導して、“ほしい”に変えて提供するとともに、“おしい”の声の情報を収集・分析してメーカーに提供するというプラットフォームの構想が生まれました。
プランを現実に落とし込んでいくのは大変なことです。木下さんが、まず始めたのは、ありそうでない、女性が持ちたくなるようなファッション性の高いPCバッグづくり。とはいえ、モノづくりに関して全く知識はなく、資金もありませんでした。そこで、木下さんは、卒論を書き終わった2月始めに、友人2人とプロジェクトをスタートし、資金調達のために3つのコンテストに応募して、いずれもノミネートされます。
あるビジネスプランコンテストでは、約2ヶ月間に渡って毎週課題が与えられましたが、アイディアを具現化するスピードが評価されました。
「最初はバッグをつくって売ると言っても、職人や販売店、自社オンラインショップをつくる技術者が見つからなくて悩んでいました。でも知人のつてや、お店への飛び込み営業などで、寝る間を惜しんでプランの説明を続けた結果、次々と、技術者や職人が見つかりました。さらに、販路として大学生協が決まり、商品のデザインができあがり…といった具合に課題をクリアしていき、最終的に2ヶ月間で、コンセプトから販売開始まで進めることができたのです」
そして最優秀賞を受賞し、300万円を獲得します。また、他の2つのコンテストでも入賞するという快挙を成し遂げました。「コンテストに入賞して賞金を獲得できなければ、制作費は自己資金を全て費やすしかありませんでした。そうなると、その後のランニングコストが足りず、事業を立ち上げられません。PCバッグのサンプル製作の支払いが4月ということで、3月末の審査発表までは、ドキドキする思いでした」木下さんにとってはまさに大きな賭けだったのです。
こうして、2008年4月に、プロジェクトのコアメンバーとなった2人と共に株式会社アゲハを設立。バッグブランド「オリヒメ」を立ち上げます。創業準備期はすべての物事がスピーディーに進み、周囲からも「プランだけだったのに、ここまで実現できてすごい」と言われました。設立パーティーを開いたときは50人くらい集まり、木下さん自身も成功イメージしかもっていませんでした。
しかしこの後、厳しい現実に阻まれることになります。
最初の商品PCバッグを置いてくれることになった大学生協では、4月9日に店頭に並べて、月末には28個を販売する好調なスタートでした。ところが5月に入って、全く売れなくなります。
「4月は入学シーズンなので売れたのですね。それで大学の外に販路を広げようと思って、商品サンプルを持って小売店に飛び込み営業をしましたが、商品すら見てもらえず、門前払いの毎日でした。売買契約書の書き方もわからず、いつも怒られていました。当時はスタッフも大学生ばかりで、オフィスもなく、社会経験もないので、業務管理やチーム・マネジメントについても悩みました。世の中の会社ってすごくしっかりしているんだなと、自分が何もわかっていなかったということを痛感しました。6月から8月くらいまでの3ヶ月間は、販路も見つからず、現実の厳しさや自分自身の未熟さを痛感して落ち込むことばかりで、本当に厳しかったです」
ましてや、木下さんが考えていたビジネスモデルは、PCバッグを開発して売ることが最終到達点ではありません。モノをつくって売ることの難しさを思い知ったので、その先にあるユーザー参加型の商品開発とかモノづくりの仕組みを変えるというようなことは、途方もなく遠いことに思えて、自信を喪失してしまいました。
落ち込むばかりの3ヶ月でしたが、ある日、学生スタッフが電話で飛び込み営業した大手家電量販店で、バイヤーが話を聞いてくれることになりました。
「女性客のニーズに応えられる商品を探していたということで、女性をターゲットにしたファッション性の高いPCケースという商品のユニークさが、決め手となったのです。この第一歩は大きかったです」
こうして、「オリヒメ」のPCバッグは、秋葉原の大手家電量販店に並ぶようになりました。さらに「この第一歩」を契機に、大手専門店やネットなどで販売されるようになります。また、創業時から苦労してきた公式オンラインショップも完成しました。
これまでの1年間で、バッグメーカーとしての基盤を築いてきた木下さんは、現在、ユーザー参加型商品開発のWEB開発に着手しています。「お客様が、身に着けるモノ、自分を表現するモノを通して、ショッピングを『妥協点を探る』プロセスから、積極的に自分らしさを創っていく『自己表現・自己実現』のプロセスへと変えていきたい」と語る一方、アパレルメーカーに対しても、「製品仕様や生産量の決定にあたって、お客様の声を参考にすることができる仕組みを提供し、在庫ロス・機会ロス・値引きロスを削減し、収益性を高めるお手伝いができれば」と考えています。
また、「国際的な価格競争により窮地に陥っている日本のアパレル製造業が、伝統的に蓄積された高度な技術力を生かして、次世代に向けて安定的な基盤を確立することに寄与したい」と、日本の製造業への関心も並々ならぬものがあります。
木下さんの事業は、ユーザーとメーカー、消費者と生産者の距離を近づけることによって、無駄を省き、経済を活性化させることにも繋がっていきそうです。
2009年7月には、640万円の第三者割当増資を行い、資本金を1,040万円に増資しました。いよいよ、ウェブによるユーザー参加型の商品開発へのチャレンジが始まります。
*1 多様な企業や個人間での相互作用を可能にする「場」づくりと、その「場」を利用したビジネス。具体的には、取引相手の探索、信用の提供、経済価値評価、標準取引手順、物流などの諸機能の統合等、多様な主体間の取引を仲介するために必要な機能を提供する。
会社(団体)名 | 株式会社アゲハ |
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URL | http://www.e-orihime.com |
設立 | 2008年4月1日 |
業務内容 | ブランド企画・販売事業、20-34歳の女性層を対象としたマーケティング、コンサルティングサービス |
大学4年次に、大学のゼミ(財務・ビジネスプラン構築技法)で、自らのビジネスアイディアを発表し、半年間ビジネスプランを構築しました。ゼミの最終プレゼンで、担当教授に、「これ、いけるよ。誰かやらないの」と言われたのが、起業を考えるきっかけとなりました。
最終的に覚悟を決めたのは、「大学から世の中に対して、具体的な価値を提供したい」という思いからです。大学時代の活動を通して、「純粋な視点で、真実に向き合える」研究活動に楽しみと意義を見出していた一方で、それを自己満足に終わらせるのではなく、研究成果を世の中に提案し、生かしていく方法が必要だと思いました。ゼミで提案したビジネスプランは、経営情報学の研究(インターネットを活用し、ユーザー主導で商品開発を行うプラットフォームモデル)に基づくプランでした。そこで、大学院に進学し、研究を掘り下げると同時に、実践を通じて、具体的に生きたモデルを構築して提案していくことを自らのミッションにすることを決心しました。
事業計画作成、資金調達、工場の探索、ファッション性をコンセプトにしたPCケースの開発、ECサイトの開発、従業員・協力者の募集です。
お金も実務経験も業界知識も業界ネットワークもない、まさにゼロからのスタートだったので、何から何まで苦労しました。「資本政策」や「投資契約」など、ほとんど聞いたこともなく、「モノづくり」も、未知の世界。分業化が進んだ鞄業界では、生地屋、生地加工業者、裁断屋、縫製職人などの協力を得なければなりません。協力工場を探すのに苦労し、イメージ通りの商品を作るまでに、更に苦労しました。職人さんの言葉は、専門的で、ほとんど外国語のように感じられました。自分たちでイメージ通りの素材を探してきて、パターンを起こし、仕様書に落とし、職人さんの言葉で発注できるようになるまで、何度もサンプルをつくり直し、試行錯誤を重ねました。イメージ通りの商品ができても、販路を見つけることが大変でした。商品サンプルを持って、小売店に飛び込み営業をしましたが、商品すら見てもらえず、門前払いの毎日でした。大手量販店での取り扱いが決まっても、流通業における商慣行の理解に苦しみ、予想外に大量の在庫を抱えてしまったこともありました。また、事業計画上、お客様とダイレクトにコミュニケーションを図ることができるオンラインショップは不可欠でしたが、ECサイトの構築にも非常に苦労しました。
それ以前に、もっと日常的なレベルでも、チーム・マネジメントや、契約書や請求書の書き方、ビジネスマナー、自己管理など、あらゆることに躓き、悩みながら、一歩一歩進んで来ました。
支援者・応援者が多かったことです。現在も、大学教授やOB/OGをはじめとする、多くの人たちに支援、指導をしてもらっています。また、慶應義塾大学には、KIEPというインキュベーションコミュニティを中心としたサポート体制が整っています。右も左も分からない中で、そうしたサポート体制の充実は、貴重でした。一人で立とうとして、一人では決して立つことはできないことを痛感し、現実の厳しさと同時に、人の温かさを知って感謝の気持ちを持つことができたことが、くじけずに挑戦を続けられた一番の原動力だと思います。
創業時から、一緒に大学院に進学する予定だった友人2人(田中里実、民谷直也)が、取締役として参画してくれました。家族も、応援してくれて、両親は経理などの煩雑な仕事を今も手伝ってくれています。会社設立パーティーには、大学教授やOB/OG、友人、取引先など、協力者・支援者・応援者約50名が集まってくれました。
最初の販路は、自らが通っている慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの生協でした。飛び込み営業でしたが、商品サンプルと共に、学生を対象としたニーズ調査の結果と、ビジネスプランコンテストの受賞歴を持参し、「ニーズ」と「熱意」をアピールしたことで、店長の協力を得ることができました。
大学外に初めて販路を開拓できたのは、過酷な飛び込み営業を続けての出会いでした。その大手家電量販店では、女性客が増加する中で、女性客のニーズに応えられる商品を探していたので、バイヤーの目に止まりました。いままでなかった、女性をターゲットにしたファッション性の高いPCケースという商品のユニークさが、決め手となりました。
気にしても意味のないことは気にしない「スルー力」と、諦めない「情熱と根性」です。
特に学生ベンチャーでは、あらゆることに失敗し、躓きながら、学んでいかなければならないことがたくさんあります。予想外のトラブルも、ある程度起業には付き物であると思います。些細な失敗やトラブルをきっかけに、「自分たちがやろうとしていたことは、実は全く無理なことだったのではないか」と元々の創業意図に対して自信喪失してしまうと、健全な問題解決思考ができなくなり、負のスパイラルに陥ってしまいます。ただでさえ手いっぱいの中で、急に目の前が真暗になる恐怖感を体験しました。
一方で、先が見えない時でも諦めずに続けていれば、不意に意外な解決策に出会えるという体験も経験しました。最近は、考えても解決策が浮かばない時は、あれこれ思い悩まずに、さっさと寝ることにしています。自信喪失が一番の敵であり、スルー力と諦めない心の強さが、何より重要ではないかと感じています。
大学の先生方と先輩方、アドバイザーの方々、KIEP(慶應SFC イノベーション & アントレプレナーシップ・プラットフォーム研究コンソーシアム)、ブレークスルーパートナーズ株式会社、スカイライトコンサルティング株式会社、株式会社バンタン、株式会社セプテーニ・ホールディングス等です。そのほか、個人レベルでも、起業家や投資家を中心に、多くの方に応援してもらい、相談したり紹介してもらったりしています。
自らの預金(100万円)と、ビジネスプランコンテストの賞金(300万円)。
新丸ビル(東京)にある、「21世紀クラブ」というインキュベーション施設を営業拠点にしています。
司法書士。慶應SFC イノベーション & アントレプレナーシップ・プラットフォーム研究コンソーシアムから紹介してもらいました。
大手家電量販店とそのサイトでの販売開始。筆頭アドバイザー赤羽雄二氏(ブレークスルーパートナーズ株式会社)との出会い、また貴重な社内スタッフや協力者・支援者との出会いがすべて転機となっています。
少々のことに動じなくなったこと、経営者の視点で物事を考えるようになったこと、自己管理力、情報処理能力の向上、相手の立場で考え相手の言葉で話すことの重要さを学んだこと、自分の未熟さを自覚することができたこと、全ての人に感謝の気持ちを持つようになったことです。
アドバイスできるような身分ではありませんが、私の少ない経験では、走り始めてから、止まったり迷ったり引き返したりすることがいかに大変かを痛感してきました。創業前に、お客様の声をよく聞き、現場をよく見て、事業計画書の精度を高めておくことの重要さを学びました。また、経営者が、何があっても諦めずに、情熱を注ぎ続けることが、何より重要だと感じており、その意味では、その事業プランを実現するために、どこまで賭けられるか、自身の覚悟と起業する意味を明確にしておくことも重要だと感じています。
歴史小説を読むことです。実務経験がなく「上司」を持った経験がほとんどない私は、リーダーとしての考え方や振る舞いについても、イメージが欠けていました。歴史小説を読み、歴史上の様々なタイプのリーダーシップに触れることで、励まされたり、イメージを得たりしてきたように思います。
主力製品Fashion PC case(ファッション パソコンケース)、Fashion PC bag(ファッション パソコンバッグ)へのこだわりです。
「かわいいパソコンケースがない」という女子大生の声と、日本の鞄職人の手によるコラボレーションで生まれました。女性にとって、今までファッションのマイナスでしかなかったPCケースやPCバッグを、その日の服や気分に合わせて「着替える」というコンセプトのもと、ファッションアイテムとしてデザインしました。
また、鞄職人ならではの技により、ケースを開いてパソコンを使う際に、蓋部分が自立し後ろに倒れない、つまりそのまま開いて作業することができる設計を実現することができました。