障害者など、社会的弱者の立場にある人たちが、給料を得て自立した生活ができるようになるのを目指すのが、那須信子さんが設立した株式会社農環の役割。古紙回収から始めたリサイクル事業を、「エコ村」づくりにつなげるのが当面の目標です。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していなかった | いた |
高校卒業後、大手ハウスメーカーに就職し退職。その後、結婚した4ヵ月後に夫が事故により急死し、お腹に子どもがいる状態で突然の母子家庭に。社団法人滋賀県社会就労事業振興センターに就職し、障害者への就労支援・新規事業の開拓に携わる。障害者などの労働を支援すべく株式会社農環を設立。障害者による古紙回収とリサイクル事業、母子家庭の母親による有機野菜宅配事業などを行っている。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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19歳 | 1994年 |
高校卒業後、大手ハウスメーカーに就職するが、退職し、しばらくフリーターに |
25歳 | 2000年 | 結婚。結婚式を挙げた4ヵ月後夫が事故死 |
26歳 | 2001年 | 社団法人滋賀県社会就労事業振興センター就職。障害のある人達への就労支援・新規事業の開拓に携わる |
29歳 | 2003年 | 株式会社 農環を設立 |
那須信子さんは、お腹に子どもを身ごもっているときに、突然の事故で夫を亡くすという経験をしています。そしてこのときに味わった、母子家庭の母親が幼い子どもを抱えて働く場所を探すことの難しさは、後に、社団法人滋賀県社会就労事業振興センターに就職し、障害者への就労支援に携わるなかで、ひとつの思いに結びついていきました。
「例えば、障害者が内職仕事などで得られる工賃は、滋賀県で1ヵ月平均15,000円程度です。世論では、障害者に自立を求めますが、こうした経済状況では難しいですよね。また母子家庭であれば、私自身もそうですが、子育ての合間を縫って働かなくてはいけないので、働ける場所が限られます。社会的弱者が置かれているこの問題をどう解決していったらいいのか…というのがありました」
そこで那須さんは、同センターで培った人脈を頼りに、起業を思い立ちます。
「マスコミ関係者、コンサルティング会社の方、環境分野に携わる方など、さまざまな業種の方々と出会ったことで、何かできるのではないか…と思ったのですね。背中を押してくださった方が多かったというのもありますが、ダメもとで始めたというのが正直なところです」
社会的信用を得るために、最初から法人化することを決めていた那須さんですが、資金はまったくなかったとか。当時は、会社設立に有限会社でも最低300万円以上の資本金が必要だったので、最低資本金規制特例制度(*)を利用したのだそうです。とはいえ、開業資金は必要ということで、株主としてご協力くださった方や、事務所の開設資金ということで各方面から100万円を寄せ集めました。
那須さんにとっての最初の仕事は、障害者が働く授産施設のスタッフたちと始めた古紙回収事業でした。
「ただ、単独事業ではなく、共同事業にしたかったのです。県内に授産施設は100ヵ所以上あり、なかには個々で廃品回収を行っていたところもありましたが、1ヵ所よりは10ヵ所、20ヵ所と協力し合って回収したほうが回収量が増えるし、効率もよく計画も立てやすいわけです。なので、授産施設を一ヵ所一ヵ所まわって事業説明しましたが、新しい事業なので皆さんすぐにはのってこない。そこで、自社だけで回収業を始めて、これだけの実績があるから、参加しませんか?と持ちかけたのですが、最初の半年は本当にしんどかった」
そして、徐々に賛同してくれる授産施設も増え、少しずつ業績が伸びはじめます。
転機は起業して一年半ほど経ったときでした。業績が頭打ちになり、子育ても大変な時期だったため、誰かに任せて自分は退くことを考えていたと言います。
「そしたら従業員に、“那須さんだから大変でも付いてきた”と言われて…。必死でやってきたけど、自分の置かれている立場がわかっていなかったんですね。そこからは背水の陣です」
もう後戻りはできないと思った那須さんのがんばりが功を奏したのか、再び業績が伸びはじめました。
現在、那須さんは、障害者雇用と環境事業を結びつけるために、企業や団体と手を取り合って、「エコ村」構想を育んでいます。
「廃棄物を回収リサイクルすることで地域循環を目指そうという試みで、環境と障害者に理解ある人や企業が集まって、障害者の月平均15,000円の工賃を10倍に上げよう!と、事業計画しています。すでにNPO法人として認証も取得しました」
そして那須さんの夢は、リサイクル事業だけでなく農業にも及びます。現在行っている、こだわり野菜を直販する「露地屋」の経営や、母子家庭の母親たちによる野菜の宅配もそのひとつ。
「環境分野もそうですが、農業分野とのコラボレーションも、いままで障害者福祉ではなかったことなので、そこに面白さを感じています。いずれは農地を取得して、そこで育てた野菜を販売したい」
また、那須さんの会社では、母子家庭の女性従業員が5.5時間の短時間正社員として他の社員と同じ給料を得るなど、先駆的な雇用体制も整えつつあります。
「強者が弱者を支援するだけでなく、弱者同士が支え合う環境づくり」は、ビジネスとしても大きな可能性を持っているのではないでしょうか。
*最低資本金規制特例制度…会社設立の際に必要だった最低資本金(当時、株式会社1000万円以上、有限会社300万円以上)を設立から5年間に限って免除する制度。2003年に中小企業挑戦支援法によって施行されたが、2006年の新会社法施行後は最低資本金制度そのものが撤廃された。
会社(団体)名 | 株式会社農環 |
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設立 | 2003年5月1日 |
業務内容 | リサイクル事業、有機野菜宅配事業 |
自分が母子家庭になってしまったことで、働く母親の大変さを知ったことと、社団法人滋賀県社会就労事業振興センターに勤務していたときに、障害者の賃金の実態を知り、社会的弱者が自立するためには、既存の行政支援だけでなく、いままでにない民間経済との融合が必要だと思えました。
開業資金集めとネットワークづくりです。「こういうことをするから!」と周囲に言い回って、人とのつながりを求め、マスコミ、コンサルティング会社、リサイクル業、環境分野の方たちなど、行政だけではない特に民間企業とのネットワークをつくりました。そのことと同時に、民間企業のノウハウを体得することを重点目標に取り組みました。
起業のときよりも、その後の資金繰りに苦労しました。利益を生むのに3年かかりました。あらゆる助成金や融資を探したが、利用できるものはありませんでした。
仕事で培ったコンサルティング力を生かせたことと、いろいろな方から協力を得ることができた。
私がお腹に子どもがいたときに、夫を亡くしたので私はもちろん周囲も大変なショックを受けましたが、私が子どもを預けて働き出したときと同様、起業したときも父や母は何も言わずに応援してくれました。
回収車に乗って地域を回り、段ボールが積んであると、「回収させてもらってもいいですか?」と飛び込みで声をかけた。何もPRするチラシも持たずに、口だけの営業でした。
大きな点では、やろうとしていることが事業性のあることなのかをよく考えること、人のネットワークを事前に広げておくことです。競争相手のある場合など、自分がどういう特色を出せるのか、何が求められているのか市場調査することです。
事業内容にもよりますが、3年は持ちこたえられる資金力はあったほうがいいです。
いままでに知り合った方とのつながりのなかで、情報源を得たり、相談にのってもらったりしています。
100万円。
当初は自宅でしたが、いまはアパートの一部屋を借りて事務所にしています。
税理士。それから車でドライバーを雇うので、事故やケガのことを考えて社会保険労務士に最初からお願いしていました。
何回か挫折をしているが、起業して1年半くらいしたとき、事業が伸びず、資金繰りもうまくいかず、子育ても大変だった時期に、もう投げだそうと思ったことがありました。そのときに従業員から「那須さんだから付いてこれた」と言われて、自分の立場や、周囲からどう見られているのかが初めてわかった。そこから奮起しました。
必死でやってきたためか自分のことだけしか考えられなかったが、やっとまわりの人たちを励ますことができるようになった。
やるからには一生の覚悟で。ライフワークでやっていけることを考え、未来に対する夢と希望を持つことが大事ではないかと思います。
従業員との会話。犬の与作との散歩。子どもとの入浴。
男女共同参画と男女平等は意味が違います。どんな事業でも参画できる条件は同じだけれど、男女平等だからといって男性と同じことを目指すのではなく、女性の体力、特質を生かしていくほうが良いのではないでしょうか。