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戸建住宅の建築・リフォーム・施工

都道府県宮崎県 年代40代 業種住居
 有限会社あいちゃんほうむ
[ 代表取締役 ]
甲斐 愛子 さん

女性進出もまだまだ少ない建築業界において、20年の保育士のキャリアを捨て転身した甲斐さん。40代にして大工見習い修業の道を選び、「独立には10年必要」といわれる業界で、わずか4年で技術習得。起業を果たしました。

起業したとき

仕事の経験
結婚
子ども
生かした していた いた

プロフィール

大阪府内の保育の専門学校を卒業後、地元宮崎に戻り、1972年より市内の保育園で保育士として勤務。結婚・出産などを機に退職する人の多い業界において、ひとつの保育園に20年近く勤務する。保育園の教育に対する考え方とのズレを感じ始め、また今後の自分の人生を考えようと原点に立ち返り、92年に退職。通信教育などを受講したりと、自分が好きなこと、向いていることを探す中で、建築業界に興味が湧いて職業訓練センターへ。そこでの経験から大工を志すようになり、大工見習として修業を積んだ後、98年に独立。2003年には法人化を行った。

起業年表

年齢 西暦 主な活動
21歳
1972年
大阪府内にある保育の専門学校を卒業。宮崎市内の保育園に保育士として就職 
23歳 1974年 結婚 
25歳 1976年 第1子を出産 
29歳 1980年 第2子、第3子の双子を出産 
40歳 1992年 保育園を退職 
42歳 1993年 大工の見習いとして就職 
46歳 1998年 大工として独立・起業 
52歳 2003年 「有限会社あいちゃんほうむ」として、法人化 

起業ストーリー

女性のニーズをとらえた匠の技で、家に優しさを吹き込む

女性の大工。そう聞くと「珍しい!」と思う人もまだまだ多いのではないでしょうか。宮崎県内で戸建住宅の建築・リフォームなどを行う甲斐愛子さんは、40代にして大工の道に入った人物です。建築業界への女性の進出は年々増えているものの、地方都市、しかも甲斐さんがこの業界に入った90年代初頭は、現在よりも、大工は男性の専門職というイメージが強い時代でした。いわば男性社会。そこに、甲斐さんは、女性の専門職というイメージの強い保育士から転身。女性だからこそわかる視点を大切にして、主婦などの女性のニーズに合った家づくりを提案、施工しています。

そんな甲斐さんの転身のきっかけは、40代目前に訪れます。「保育士として、途中産休を取りながらも、勤務先の保育園への強い不満もなく、20年近く勤めてきました。しかし、ある講演会に参加にしたことを契機に、漠然とした不安にかられるようになったのです」。甲斐さんが参加した講演会は、日本の教育界にも大きなインパクトを与えている思想家、ルドルフ・シュタイナーの教育思想に関するものでした。シュタイナーの「自由の哲学」などについて聞いているうち、甲斐さんは自分の生き方について考えさせられていきました。「私は何がしたいのだろう?」、そんな原点に立ち返ったのです。「潜在的にあったのでしょう。勤務する保育園と自分との教育に対する考え方のズレを急に意識し出すようになりました。そして、自分が50歳、60歳になった時を想像してみた時、年を重ねた自分が保育士をしている姿が思い浮かばなかったんです。何かしなくちゃ! でも、その何かがわからない。漠然とした焦りと不安が私を取り巻きました」。答えが出ないまま、甲斐さんは20年のキャリアを捨て、保育士を辞めたのは1992年のことでした。

職業訓練センターで技術を学び、大工に開眼!

甲斐さんは悶々としたまま、通信教育などの資料を取り寄せたりと、自分がやりたいことは何なのかを探す日々を送ります。保育士時代、子どもたちと絵を描いたり、作品をつくったりといった造形教育を一任されており、自身でもものづくりが好きだったのだそうです。そこで「ものづくり」をキーワードに自分に向く職業を探っていきます。その中で目に留まったのが建築パースを制作する仕事でした。「職業訓練センターを調べて見たら『住宅サービス科』というのを発見しました。パースを制作するなら、住宅のことを知る必要がありますから、ここで設計について勉強するのがいいのではないか、と。さっそく入ってみたのですが、生徒の中で女性は私だけ。しかも、私が本当に学びたかったものとは、実はちょっと違っていて……」。

そこでは、望んだ設計や建築パースといった授業はなく、大工になるための職人的な技術習得が中心でした。ところが、好奇心旺盛な甲斐さんは大いに授業を楽しみ、遂には大工の世界に魅了されていきます。「チームで3mの高さで6畳ほどの小屋を建てる授業があったんです。機材で資材を削り、組み立て、少しずつ家が家らしくなっていきます。その工程がすべて終わり、でき上がった小屋の屋根の上に立って辺りを見渡した時、大工になりたい! そう心から思ったんです」。そして、甲斐さんは大工見習いとして修業をすることを決意。ハローワークを通じて職探しを始めていきました。

しかし、40歳を超えた大工未経験の女性に、大工の見習いからさせてくれる企業はなかなかありませんでした。面接までこぎつけても、性別や年齢を理由に断れるケースもしばしば。そんな中、唯一受け入れてくれる企業が1件あり、93年、甲斐さんはどうにか修業の道へと歩み出たのです。「もう『女の大工なんて……』と言われることはしょっちゅうでした。でも、そこは仕事でできるところを見せて、イメージを払拭するしかない。マイペースで仕事に取り組んでいきました」。

修業からわずか4年で独立。オリジナルブランドの確立を目指す

大工は独立が当然とされる世界。いつしか甲斐さんも本気でやるからには独立して棟梁になりたいと考えるようになりました。「通常、独立するなら10年と言われますが、私には年齢的なネックもあります。ですから、『人が10年かかるところを、私は5年でやる!』なんて啖呵を切っていました」。結局、甲斐さんが独立したのは、修業について4年後のこと。勤務先の社長から独立を促されたのでした。「景気の落ち込みを受け、業界全体も低迷していました。おまけに私は、労働条件や保険などについても意見を言っていたので、煙たがられたのかもしれません。でも、ピンチこそチャンス!だと発想転換しました」。1998年、甲斐さんは独立し、念願の棟梁に。半年後には事務所兼作業所をつくったことで、仕事の幅が広がっていきました。

「家は誰のものかというと主婦、女性のものなんです。だから、女性の使い勝手を考えることが大事だと思います。男性の大工だと、埋めてしまうようなスペースでも、女性の視点で考えたら、そこは収納スペースにしたら便利、と考えられるんです。だから私は、家主さんにそう提案する。すると、喜ばれる。女性の大工だからこその強みって、たくさんあると思います」。2003年には法人化。棟梁から経営者になった今でも、設計士と大工の架け橋となるために、現場に向かいます。「現場を治めると言うのですが、設計士が描いた図面だけでは、現場で実際に家をつくる大工に通じない場合があります。そのため、現場仕事に通訳するというか、細かく大工に指示を出すことで、設計士とのズレをなくしています」。

甲斐さんの女性の視点を大事にした提案力と、現場仕事をスムーズにさせる細やかな指導力で、有限会社あいちゃんほうむは、地元でも知れわたるようになっていきました。「娘も私の仕事を手伝ってくれるようになりました。将来は私がやっている営業ノウハウなど、娘に託したいと思っています」。また、「あいちゃんほうむブランド」の確立も目指しているとも言います。「女性が本当に求めている家って、オシャレで洗練された家よりも、住みやすくて温かくて、そして機能的な家じゃないかなって。そんな家を『あいちゃんほうむブランド』として提案していきたいと思ってます」。そう語る甲斐さんには、不惑の40歳にして人生を迷ったからこそ、明るく将来を描く今の笑顔があります。

会社概要

会社(団体)名 有限会社あいちゃんほうむ
URL http://www.ichan.jp/pc/
創業 1998年9月19日
設立 2003年4月21日
業務内容 戸建住宅の建築やリフォーム、施工

(甲斐 愛子さんの場合)

起業のきっかけ、動機

たまたま、ルドルフ・シュタイナーの教育思想に関する講演に行ったことが転機になりました。シュタイナーの哲学や思想を聞いているうちに、潜在的にあった勤務する保育園と自分との教育に対するズレを明確に意識し出しました。そうしたら、自分が50歳、60歳になっても保育士を続けているのだろうか、と想像しても、その姿が描けなったんです。このまま私は、将来像が描けないまま年を重ねていくのだろうか、と不安にかられました。何かがしたい。でも、その何かがわかないまま20年勤めた保育園を退職し、様々な職業を探していきました。保育園では造形教育を専門的に行っていたこともあり、ものづくりがしたいと住宅に関する勉強ができる職業訓練センターへ。そこでの経験を通して大工になりたいと思い始め、40代にして大工見習から始め、勤務先の社長の助言もあり、4年後に独立の道を選びました。

起業までに準備したこと

今でこそ女性進出も少しずつ増えてはいますが、当時は建築業界に女性はほとんどいませんでしたから、武装は必要だろうと二級建築士や施工管理士、一級技能士などの資格を取得しました。また、これからはパソコンを使う機会が増えるだろうと、操作の勉強もしています。

起業時に一番苦労したこと

見積書の作成です。修業時代は、技術取得に集中していましたし、施工などの現場仕事には自信がありました。しかし、見積もりを自分でつくったことがなかったんです。見積もりは建築業界のかなめですし、さぁ、困ったと。そこで、前職の会社や他社などから図面と見積書を貸してもらい、ふたつを照らし合わせながら数字の根拠を割り出すことで勉強し、クリアしました。

だからうまく起業できた!…その一番の理由

家に一番長くいるのは誰よりも女性ですから、女性の好みを把握することは重要。私は同じ女性ですから気持ちがわかるので、男性の大工なら埋めてしまうスペースでも「ここに収納スペースをつくりましょうか?」などと提案することができます。男性の多い業界だからこそ、私のような女性の視点が強みになって、お客様に信頼いただけているのだと思います。

起業時の環境(友人や家族の協力他)

大工見習いになると言った時からビックリされて、家族には反対もされましたが、私は言い出したら聞かないタイプ。大工見習いをしながら様々な技能や免許を取得していくうちに私の本気度が伝わって、しだいに応援してくれるようになりました。起業してからは娘が仕事を手伝ってくれるようになりましたし、弟夫婦は私に仕事をくれる形でサポートしてくれました。

最初のお客さんと営業方法

前職の会社の下請けという形で仕事をもらいました。と同時に、チラシ配りや飛び込み営業などを行っていきましたね。法人にした後、地域新聞にマメに広告を出していったのですが、「あいちゃんほうむ」という名前にインパクトがあるようで、宮崎市内でもよく知られる存在になっていきました。また、『家づくりはじめの一歩』というガイドブックも制作。営業ツールにしています。

起業の際の重要ポイント

業種にもよると思いますが、必要な資格は取っておいて損はないと思います。信用度につながる場合もありますから。また、パソコンも、ある程度使いこなせたほうが時間の節約にもなりますから、覚えておいたほうがいいでしょう。事業に有利な自治体や国の制度も覚えておくと得です。私は中小企業挑戦支援法という会社設立時の最低資本金に関する特例措置が実施された時に、資本金1万円で法人化したのですが、周りの同業者は誰も知りませんでした。私が法人化したのを見て知り、周囲もどんどん法人化をしていました。

役に立った情報源や相談先

ハローワークと商工会には相談しました。私の場合、年齢・性別的に言って大工見習いの仕事を探すのが難しかったですから、ハローワークでは仕事探しでお世話になりました。また、商工会は先にもいった中小企業挑戦支援法の情報を得るのに役立ちました。また、人材などは身内や知り合いから紹介してもらっています。

開業資金

250万円です。大工見習い時代、指に大ケガを負って「大工の勲章」といえる跡を残したのですが、その際に降りた労災保険と、長年貯めていたへそくりを合わせた金額です。備品や人件費などで半分使い、残りは独立半年後に事務所兼作業所をつくる際の資金に充てました。

活動拠点(事務所・店など)

最初は自宅兼事務所にしていたのですが、作業所がないため資材の加工などを現場でするしかなく、仕事の幅も狭まってしまうので、思い切って独立半年後、事務所兼作業所を建てました。事務所兼作業所を建てるのに必要な建材や作業用の足場板などは、余るほどタダで知り合いからいただきました。

起業時の管理体制の整備(税理士、弁護士、弁理士など)

姉が勤めていた会計士事務所の税理士からアドバイスを受けました。また、経理は税務に明るい姉にお願いしました。

起業後の転機

やはり、事務所兼作業所をつくった時でしょうか。不思議なもので、若手の人材が入ったり、仕事に必要な資材や作業所がないと困るような仕事が入ってきたり、この時期に作業所を建てることが必然だったかのようなことがたくさん起きました。作業所を持ったことで、それまで現場でしていた資材の加工も社内でできるようになり、下請け仕事からも脱却。仕事の幅も広がっていきました。

起業して自分が成長したと感じたこと

充実感と自由を手に入れることができたうえに、人の気持ちをくみ取って話を聞くことなど、会社員だったら味わえない感覚や学びを得られた時です。営業活動で人と接することで、成長を感じることもあります。

起業を志す人への一言アドバイス

「儲かりそう」「かっこよさそう」など贅沢したい心や見栄が先にあって起業すると、気持ちが続きませんし、失敗すると思います。本当に自分がやりたいことは何なのか。それが、たとえ失敗したとしても、やりたいことなのかどうか。そう自分に問い続けて答えを導き出してみてください。大丈夫! うまくいきます。

気分転換のしかた

「仕事=趣味」みたいなものなので、特に気分転換は必要だと思ってはいませんが、温泉や旅行が好きなので、あえていえば、それが気分転換でしょうか。温泉は年6回、旅行は年1回くらいはしています。また、健康のために合気道もしています。

その他伝えたいことなど

「何かしたいけれど、それが何かわからない」という気持ちにかられている時は、誰にでもあると思います。もしも、今は見えていなくても、必ず開ける道はあります。「何かしたい」という欲求は内なるもの。その内なる自分の声によく耳を澄まし、それを日常的に意識してみてください。人から言われたこと、不満や不便に感じたことなどから、必ず突破口になる糸口は見つかるはずです。たとえば、物事がうまくいっていない時、ヒドイ状況に置かれた時はしんどいですが、えてしてそういった逆境に立たされた時こそ、大きな気づきがあるものなんです。私も本当につらい、と思うような経験もしていますが、それを自ら望んで選んでみると、つらいことよりも数倍も大きなハッピーを得られます。つらいことがあっても「なぜ、私だけこんな目に……」と落ち込まないで、「これは私だからこそ解決できる、授かり物なんだ」と気持ちを切り換えてみてください。必ずあなたの世界は変わります。


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