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山形の伝統を残す漬物の製造販売

都道府県山形県 年代30代 業種食品製造
 さとみの漬物講座企業組合
[ 理事長 ]
新関 さとみ さん

Uターンした山形の自然の豊かさや野菜のおいしさに改めて気づいた新関さとみさん。義母のつくる山形伝統の漬物の味にほれ込み、自身でも漬物づくりをスタート。「漬物伝道師」として普及・啓蒙活動を行っています。

起業したとき

仕事の経験
結婚
子ども
生かした していた いた

プロフィール

大学卒業後、商社と製薬会社に勤務した後、地元、山形県へUターン。醤油醸造会社を経営する夫と結婚。そこで義母のつくる漬物のおいしさに感動し、山形伝統の漬物の味を伝承したいと考え、農産物直売所で販売したところ即完売!漬物専門の料理家としてテレビ番組に出演し始めたのを機に組織化を考え、義母と叔母、母親との4人で山形県内初の女性だけの企業組合を設立。インターネットやイベントでの販売や講座での漬物普及活動を行っている。

起業年表

年齢 西暦 主な活動
22歳
1985年
大学卒業。中南米との取引のある商社入社 
23歳 1986年 外資系の製薬会社に転職、秘書となる 
28歳 1991年 地元、山形県にUターン。翌年、婦人服販売会社に就職し、店舗一の売り上げの販売員となる  
31歳 1994年 山二醤油醸造を経営する夫と結婚 
36歳 2000年 長男を出産。農産物直売所で漬物の販売を開始 
37歳 2001年 ケーブルテレビ山形で、「さとみの漬物講座」放映開始。 
39歳 2003年 女性だけの企業組合「さとみの漬物講座企業組合」(山形県内第一号)を立ち上げる 
41歳 2005年 漬け物レシピ本『さとみの漬物講座』を出版  
43歳 2007年 漬け物事業の総合化を評価され、全国商工会議所女性会連合会主催「女性起業家大賞特別賞」を受賞。(東北では唯一の受賞) 
44歳 2008年 「山形県男女共同参画社会づくりチャレンジ賞」を受賞 
45歳 2009年 漬け物レシピ本第二弾『ビニール袋で手早くできる!野菜のうまみが活きる漬け物』を出版。全国発売となる  

起業ストーリー

数字にできない義母の長年の勘の味を、嫁が根気よく統計を取ってレシピ化

蔵王連峰を背に、夏は青々とした、秋は黄金色に輝く田園風景が広がる山形市・大曽根地区。新関さとみさんが嫁いだ先です。「大学進学で上京し、28歳でUターンした地元、山形の自然は、改めて私にその魅力を教えてくれました。ここ大曽根地区は、野菜が本当においしくて、『野菜はつくって食べる』が当たり前なんです。『野菜は買って食べる生活』をしていた私にとってはカルチャーショックでした」。そんな新関さんをさらに感動させたのが、義母のつくる漬物の味。近所でも評判だったといいます。「つくり方をよく教わっていたのですが、『塩はどれくらいの量ですか?』と聞いても『だいたいでいい』と曖昧。そこで、義母の味を数値化させようと、義母が漬物に塩を入れようとしているときにその手を取り、秤(はかり)に乗せて重さを量るなどして統計を取ったり、天候や重しの石の乗せ方などで失敗した時はアドバイスをもらったり……」。数字にできない義母の長年の勘の味は、嫁の手によってレシピ化され、いつしか新関さんは、山形の伝統の漬物の味を伝承していきたいと考えるようになっていきました。

転機は長男を出産し、産休をしていた時に訪れます。「おみ漬」に並んで「山形の母の味」と言われる山形の代表的な漬物に「青菜(せいさい)漬」がありますが、この青菜漬をつくってほしいと義母が近所の人に頼まれます。しかし、大量につくりすぎて余ってしまいます。近所におすそ分けをしようにも、青菜漬はどの家庭でもつくられているため、逆に迷惑になってしまうのではと思いました。家族に、「近くの農産物直売所に売りに出してみたいと相談したところ、『青菜漬はみんなつくっているんだから、売れない』という反応でした。でもとにかくチャレンジしてみようと、雪の降る中、長男を背負って直売所まで行きました。その日のことは忘れられません」。すると、周囲の反応に反して、新関さんが持ち込んだ青菜漬は即完売してしまいます。少ないながらも成果という現金を手にします。その喜びを糧に、今度は自分で漬物をつくっては直売所で販売するようになっていきました。「育児は誇りの持てる人生の仕事だと思います。しかし、そう頭でわかっていても、企業で勤め上げてきた女性が、育児によって一転、社会との接点がまるでなくなってしまう疎外感、悲しみはやはりあるんです」。そんな疎外感を味わっている最中、直売所で自分の商品を買ってくれる人がいる、自分を評価してくれる人がいる、という事実は、新関さんに勇気と自信を与えました。

直売所での販売とテレビ出演の経験で、自分の強みとポジションを把握

農産物直売所での出来事です。お客さんのひとりに声をかけられました。「あなたの漬物は飽きないのよ。つくり方を教えてほしい」と言われてレシピを教えたところ、非常に感激されました。そんな経験から、新関さんは漬物を売るだけではなく、レシピを伝えることで漬物の味を広めていく方法もあると考えるようになり、レシピづくりにも拍車がかかっていきました。そんな時、知人から地元のケーブルテレビが番組のアイデアを考えていることを聞きました。「そこで、料理を教える番組はあるけれど、漬物の漬け方を教える番組はないから面白いのでは?と提案したんです。そうしたら、『じゃあ、ちょうどいいから、あなた出てよ』と。寝耳に水でした。でも、直売所でのやり取りなどを通して、山形は漬物の産地なのに、意外とそのつくり方を知らない人が増えていると感じていたので、伝承するにはこれは絶好の機会だと、テレビ出演を引き受けることにしました」。半年の契約だった番組出演、それが5年も続く長寿番組になろうとは、この時の新関さんは知るよしもありませんでした。

直売所での販売とテレビ番組での普及、このふたつの活動を通して、なぜ自分の漬物が人気なのか、新関さんはその強みを理解していきます。「伝統の味を時代と共に少し現代風にアレンジし、桶と重石で漬ける方法ではなく、ビニール袋で簡単に漬けられる手軽さを提案。時代の変化を取り入れました。それが人気の理由だと気づいたんです。メーカーが大量生産する味と山形のお袋の味の真ん中、つまり『家庭漬けよりも、ちょっとあか抜けた味』が私の狙うべきポジションなんだと」。経験値を増やすことで自分の強みを把握していった新関さんは、さらに手軽に漬物ができるよう、夫が醤油醸造会社経営というメリットを大いに生かして、オリジナルの漬物ダレと醤油を開発。全国の人が手軽に手に入るようインターネットでの販売をスタートしました。こうして直売所で販売を始めた当初と比べ、新関さんの活動は大きく成長していき、事業としての体制を整えようと考え始めました。そこで、新関さんが選んだ組織形態は「企業組合」。あまり馴染みの薄い組織だといえますが、なぜ新関さんはそれを選択したのでしょうか。

山形の伝統を、漬物レシピ本を通して全国に発信!

「企業組合」は4人以上が組合員になり、それぞれが資本と労働を持ち寄って、自らの働く場を創造する組織。株式会社などの営利法人は営利追求が目的ですが、企業組合は、働く場の確保や経営の合理化といった意味合いが強く、相互扶助による人とのつながりを大事にする特徴があります。新関さんが企業組合を選んだのも、この「つながり」にありました。「漬物の師匠である義母と叔母、私の母親という、私が大切にしている女性たちと一緒に事業をしたかったこと。それが一番大きな理由です。また最低資本金の規定がなかったことも、当時として(最低資本金制度があった)は魅力のひとつでした」。2003年、こうして山形県内で第一号の女性だけの企業組合、さとみの漬物講座企業組合が立ち上がりました。

2005年には、テレビ番組で紹介してきた、漬物レシピを中心に編集した漬物レシピ本『さとみの漬物講座』を出版。「視聴者からの『本はないのでしょうか?』という声から生まれたものです。山形県内と自身のホームページだけの販売にもかかわらず、版を重ねています。製造販売にテレビ出演、講座開催ともう十分かなと思った時期もありますが、限界をつくらないで挑戦した甲斐があったと自分の成長も感じました」。そして、2009年には遂に念願の全国に発信する漬物レシピ本『ビニール袋で手早くできる!野菜のうまみが活きる漬け物』を発行。山形県内の書店ではランキング2位になるなど、地元を上げて新関さんの全国発信を盛り上げています。「漬物講座の開催やイベント出展などの依頼は山形県内だけでなく、東北全域に広がってきています。ここまでくると、やっぱり全国に山形の味を広げたい!多くの人に山形のお袋の味を知ってもらうことは地域の活性化にもつながることですし、子孫を後世に残していくように、次世代に日本の地域文化を伝承することは、その土地に生きる者の務めではないか。そんな気もするのです」。と、新関さんの夢は広がります。

会社概要

会社(団体)名 さとみの漬物講座企業組合
URL http://tsukemono.info/
設立 2003年8月1日
業務内容 漬け物や漬物の素、味噌などの製造・販売、郷土料理の講座開催など

(新関 さとみさんの場合)

起業のきっかけ、動機

私が嫁いだのは、山形の古き良き風景がいまだ残る西部の田園地帯「大曽根」でした。義母は、地元の漬物名人で、近所の方から分けてもらった大量の季節の野菜を、瞬時にしておいしいお漬物にしてくれました。その義母の手際の良さ、味付けのセンス、そして新鮮な野菜の味に心から感動。そして、夫の「うまい。やっぱり、かあちゃんがつくるこの漬物最高だな。キャベツときゅうりの浅漬けが出ると、もうすぐ春祭りだな」などという言葉からもわかるとおり、漬物に四季を感じることが山形の伝統文化なのだと、この地に嫁いで知りました。子どもが生まれたことから、今度は私がこの味を受継いでいかなければというより強い想いを持ち、義母から少しずつ漬け方を教えてもらうようになりました。漬け物の魅力にどんどんはまっていき、せっかくつくったのだから売ってみようと、農産物直売所で販売してみたところ、売れたのです。嬉しかったです。また、多くの方から漬け方を聞かれるようになり、「山形は漬物産地なのに、意外とその漬け方を知らない人も多いんだ。核家族化の進む現代では次世代に受け継ぐことが難しく、また当たり前すぎて、教えてくれる人がいないのかも」ということに気づいたのです。そこで、義母にも協力してもらい、起業する決断をしました。

起業までに準備したこと

最初は起業という意識はなく、農産物直売所で販売を始めました。それで力をつけていきテレビ番組にも出るようになったので、企業組合にしたという経緯です。ですから、あまり意識をした起業準備はしていません。ただ、今思えば、様々な漬け物をつくって直売をしたことがマーケティングリサーチになっていたといえます。お客さまの反応や売れ行きを見たり、失敗を経験しながら、味つけのセンスも磨いていきましたし。それが今に生きていると思います。

起業時に一番苦労したこと

企業組合を立ち上げる時でいえば、設立のための書類づくりが大変でした。販売職の後は家業の醤油製造業の手伝いと、10年近く事務の仕事をしていなかったので、何が何やらわからなくて。地元の中小企業団体中央会に相談しました。また、楽しみのために購入したパソコンも、マウスの使い方から始まり、ワード、エクセルなどのソフトの使い方は独学で覚えました。会社勤めをしていると、ちょっとした疑問は隣の席の人に教えてもらったりできますが、ひとりだと本を手に2、3時間もかかってしまう。ひとりのつらさが身にしみました。

だからうまく起業できた!…その一番の理由

社会からの疎外感を味わったことでしょうか。やっと妊娠をしたら「前置胎盤」という異常妊娠で、妊娠中も安静にしていなくてはいけませんでしたし、子どもが生まれて1年間は家業の手伝いも休んで、子育てに集中していました。疎外感を味わい、心から打ち込める仕事を持ちたいと切に望んだことも。それが原動力になったことは確かです。年を重ねるごとに女性は再就職が難しくなっていきますし、自分ではスキルがあると思っても、その職歴や学歴がかえって再就職の妨げになったり……。結婚前はそんな経験もしています。だから、女性は自分の仕事は自分で切り開かねば、という熱い想いが根底にありました。その想いが私の起業の助けになったのではないでしょうか。

起業時の環境(友人や家族の協力他)

夫は2000年頃、山形市男女共同参画の運営委員をしていたこともあって、女性の社会への参画の有益さを認識していました。実際、私が働き始めると、子どもの面倒を義母と協力しながらしてくれましたし、多少部屋が汚くなっても、食事の品数が少なくなっても文句も言わず、「誰がお金を持ってきても、家族全体が心も懐も温かくなれば、それでいいと」後押しをしてくれたほどです。それに、企業組合は義母と叔母、母親の4人でつくっていますから、家族の協力体制も万全です。また、地元の年配の方も、私が漬物を研究していることを知って、自分の秘伝の漬物レシピを教えてくれたりと、地元をあげて応援をしてくれています。

最初のお客さんと営業方法

義母の漬物が近所では評判で、山形名物の「青菜(せいさい)漬け」をつくってほしいと頼まれたんです。しかし、あまりにも多くつくってしまい、漬物が残ってしまいました。近所におすそ分けをしようにも、地元ではみんながつくっている漬物ですから、逆に迷惑になってしまうだろうと。そこで、近くにあった野菜の直売所で販売してみたいと家族に相談しました。家族はどうせ売れないという反応でしたが、それを押し切って雪の降る中、長男を背負って直売所に行き、販売させてもらったのが初めての営業であり、そこで買ってくれた方が最初のお客さまです。驚いたことに瞬時で売れてしまいました。それが嬉しくて、病みつきになって「漬物をつくっては売りに出す」を繰り返していきました。

起業の際の重要ポイント

焦らず、少しずつ事業を大きくしていくことです。特に女性の場合は、自分の身丈にあった起業の仕方を見極める必要があると思います。私の場合は結婚して義母と同居していました。義母に家事すべて丸投げはできないし、小さな子どもを育てての家事と育児と仕事との同時進行。ですから、子どもの年齢と共に、自分の事業の活動範囲を大きくしていった気がします。授乳中は、半日の仕事がせいぜい。息子が保育園の年長になった頃から泊まりの出張も可能になりました。
あとは、失敗してもただでは起きない。必ず何かをつかんでから立ち上がる。「失敗は成功のもと」と思い、失敗をしてもくじけない。何でも楽しむ気持ちが起業には大切だと思います。

役に立った情報源や相談先

山形県中小企業団体中央会には、企業組合設立の方法などを詳しく相談しました。それと、何といっても義母。義母によって漬物と出合い、事業になったわけですから、義母なくして起業はあり得ません。また、同じ女性として長年、家業と家事、子育てをこなしてきた技を教えてもらったり、つらい時や悩んだ時の気持ちの整理の仕方などのメンタル面でもとっても支えてもらいましたし、義母の助けなしでは、家事や子育ても中途半端になったと思います。

開業資金

80万円です。企業組合を設立した時の資本金で、企業組合員である義母と叔母、母親と私が20万円ずつ出資して集めました。私が出資した20万円は、直売所で漬物などを販売して得た利益を少しずつ貯蓄していったもの。使途としては、漬物を製造する場所をつくるために、夫が経営する醤油醸造会社の従業員休憩所の改装費です。

活動拠点(事務所・店など)

漬物を製造する作業所は、夫が経営する醤油醸造会社の一角です。オフィスは、たとえ5分の短い時間でも作業がはかどるように、自宅茶の間隣の客間の一角にパソコンを置いて、そこを私の仕事場所にさせてもらっています。また、販売に関しては産直販売所や各種イベントに出張して直売するほか、インターネット販売によって全国に発送しています。

起業時の管理体制の整備(税理士、弁護士、弁理士など)

山形県や法務局への書類申請などは、山形県中小団体中央会がバックアップしてくれました。また、決算に関しては、夫が経営する醤油醸造会社で長年お世話になっている税理士に依頼しています。

起業後の転機

2005年に発刊した漬け物レシピ本『さとみの漬物講座』が転機でした。ケーブルテレビ山形で漬物専門料理番組「さとみの漬物講座」に出演していたのですが、視聴者の方々から「なぜ、レシピ本をつくらないのか? ぜひ欲しい」との要望があり、それならばと、自分のホームページを作成し、そこにレシピもアップしました。テレビにも出演し、講座も開いているので、これで十分かなという思いもあったのですが、やはり自分の活動をきちんとした形で残すのも悪くはないと制作したのが、この本です。一生かけて売ればいいと思って刷った初版3000部は半年で完売。増刷しています。それをきっかけに、東北最大手の新聞社、河北新報での食のコラムの執筆など仕事の幅がどんどん広がっていきました。そして、2009年8月にはPHP研究所より全国書店向けの漬け物レシピ本『ビニール袋で手早くできる!野菜のうまみが活きる漬け物』の発売にこぎ着けました。あきらめたり、こんなものでいいかと限界をつくらず、がんばってきた成果だと思っています。

起業して自分が成長したと感じたこと

経験が増えたことで、多少の質問にはびくともしない自信がついたと実感します。また、もともと文章を書くのは苦手だったのですが、自分の思いを表現して伝えたいし、またそれが必要であれば、書くしかありません。そんな経験を重ねていくと、だんだん苦にならなくなってくる。最初は週に1回漬物講座やイベントなどがあると準備も大変で、緊張して「もう限界!」と思っていたことが、依頼がくれば受けたいと思い、どうしたら準備も効率よくでき、自分のモチベーションを高め続けるかと考え、自分の限界だと思っていたハードルがだんだん高くなってきたように思います。経験値が上がるといつのまにか能力が上がり、最初大変だったことも簡単にクリアし、それ以上のことも前ほどの労力をかけなくてもできるようになった気がします。

起業を志す人への一言アドバイス

自分に引き出しをたくさん持っておくことが、まず大切です。何がやりたいのかわからなくても、常にアンテナを伸ばして、興味のあることはトライする。そうすると引き出しも増えていきます。私の場合、最初に勤めた会社が中南米との貿易をしていたこともあり、タイピングの勉強をさせてもらいました。これが今ではメールでのやりとりで生きていますし、文書作成などの仕事の効率を上げるスキルとなっています。外資系企業で秘書も務めましたが、そこでは礼儀作法が身に付き、それも今の仕事で役に立っていると思います。洋服の販売職では、お客様の満足度を高める会話や販売能力を学ばせてもらいましたが、それもしかりです。役に立つのは仕事からだけではありません。結婚して料理のレパートリーを増やしたいと行った料理教室。ここでは料理だけでなく、講座の運営の仕方なども学びましたから、自分が漬物講座をすることになった時、非常に参考になりました。このように、過去に経験したことは、その後、必ず何かしらに生きてきます。無駄はひとつもないと思います。

気分転換のしかた

子どもと一緒に過ごすことです。最近はイベントが多く、日・祝日も仕事が入ってしまいがちなので、春休みなど子どもの長期休暇の時には、数ヶ月前に必ず子どもとの旅行を予定に組み込みます。子どもに対しても「あなたのことがとっても大事!」というアピールができますし、また自分にもいいプレッシャーになります。「馬の鼻の先の人参」のごとく、旅行日まで必死に仕事をして、仕事を残さず心から楽しく子どもとはしゃいでストレスを発散させる。そして、帰ってきたら、あれだけ楽しく休日を満喫したのだから、また次の旅行ができるように、今日からいっぱい仕事をしてお金を稼ぐぞ!と。そんな自分の奮起材料にもなっています。

その他伝えたいことなど

誰でもひとつは得意なことが必ずあります。それに気づくことが事業の種を見つけるポイントです。私は母親から料理を教え込まれてきたこともあり、昔から料理が得意なほうでした。その得意を事業に生かしています。好きなことは続けることができます。どんな些細なことでもいいですから、自分の得意なこと、好きなことをぜひとも探してください。


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