パン作りの好きなお母さんから、日本初のミルク酵母パン店「マールツァイト」の店長として起業した白井幸子さん。それは、関心と疑問をもって試作・探求を続けた結果でした。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していた | いた |
一般的なパン作りを教えるうちにミルク酵母と巡りあう。関心をもち探求するうちに、ドイツのミルクとパンの第一人者に認められ、その後も複数の有名店に卸をしながら3年間品質と技術に磨きをかける。2002年日本初のミルク酵母パン店「マールツァイト」をオープン。ワイン・チーズのセミナーも開催し、2003年「シュヴァリエ・デュ・タストフロマージュ」(フランスチーズ鑑評騎士)に叙任される。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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35歳 | 1985年 |
第3子出産(この子が幼稚園の時にパン教室に出会う) |
45歳 | 1995年 | マザーズのパン製造スタッフとして勤務 |
46歳 | 1996年 | 天然酵母パン店「パオ」の製造、販売手伝い。ホームベイキングスクールの教室の認定書を授与される。自宅でパン教室を開き、また、豊島区の社会教育会館におけるパン教室講師を引き受ける |
47歳 | 1997年 | 「ミルクランド」小寺とき氏の指導によりミルク酵母パンの製品化に成功。日本にチーズを広めたチーズの草分け的存在のチーズ店「フェルミエ」にてパンを販売し始める |
48歳 | 1998年 | TV東京big Special 「パンの達人が教えるパンツアー」(酵母パンの達人)として出演 |
49歳 | 1999年 | 小寺とき氏の随行としてパン、ミルクの研究のためドイツ、スイスを訪問、ドイツの日刊紙に記事が掲載される |
50歳 | 2000年 | 日本初のミルク酵母パン店「マールツァイト」をオープン。店内でのセミナー開始(以後、年5〜8回のペースにてチーズセミナー・ワインセミナーを継続) |
52歳 | 2002年 | 港区消費者センターにて「ミルク酵母」の作り方を講演。ミルク酵母のミルクの供給者「東毛酪農」を取材。「オーストラリア食文化の集い2002」に参加 |
53歳 | 2003年 | 「オーストラリアチーズフェスタ2003」に参加。「東京大丸デパート催事」でマールツァイトのパンを初めて販売。講談社「パンの基本大図鑑」で初めてミルク酵母のパン店として紹介がなされる。「シュヴァリエ・デュ・タストフロマージュ」(フランスチーズ鑑評騎士)に叙任される |
56歳 | 2006年 | 「東京中日新聞」のコラムに店長の紹介が掲載 |
もともと“作ること”が好きだったという白井幸子さんでしたが、子ども3人の育児中は専業主婦でした。3人目のお子さんが幼稚園の時に、パン教室があると知って習い始めたのがすべての始まり。お子さんも手が離れ出した頃、パンの製造スタッフとして働き出した白井さん。パン作りを教えるようにもなった中で、ミルク酵母と巡りあうチャンスがやってきました。
しかし、ミルク酵母の扱いは難しいということで普及しておらず、自分なりに試作をしながら情報を調べているうちに、ドイツから日本にミルクやパンの紹介をしていた小寺ときさんとの出会いが実現。持参したパンを食べてもらった時の「これでいいんです!」という声が、白井さんに自信と勇気を与えました。
小寺さんの“ミルクランド”にパンを卸すようになりましたが、白井さんはそれでは満足しませんでした。無農薬の野菜を食べて育った牛のミルクから作る天然酵母、国産小麦粉から水、塩にいたるまで厳選した材料で製造するため、一般的なパンよりも高価でもありました。そこで「舌の肥えた人たちに、値段も高いこのパンがどう評価されるか」と、チーズの草分け的存在“フェルミエ”の門を叩き、そこでも気に入られます。
このように3年間、評価の厳しい店に卸をしながら品質と技術の向上に磨きをかけ続けていた白井さん。その様子をそばで見ながら支えてきたご主人は、初めは天然酵母パンでの起業を心配していましたが、次第に納得してくれるようになったといいます。こうして2000年にいよいよ、日本初のミルク酵母パン店「マールツァイト」が誕生したのです。
店のオープン後は、チーズに合うパンということで指名を受けてイベントや催事に参加したり、店内でワインセミナー・チーズセミナーを開いています。また、パンと共に無農薬野菜のスープやチーズ、ハム、ミルクなども販売しています。2003年にはチーズのソムリエとも言える「シュヴァリエ・デュ・タストフロマージュ」(フランスチーズ鑑評騎士)を叙任されました。
「特に主婦の方が起業するには、いろいろなものに興味を持って参加したり発信することと、人との繋がりが大切です。起業するまでにしっかりとした根を作っておかなければなりません。子育てと同じですね」とメッセージをくださいました。
会社(団体)名 | マールツァイト |
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URL | http://mahlzeit.hp.infoseek.co.jp/ |
創業 | 2000年10月27日 |
業務内容 | ミルク酵母パンの製造販売、無農薬スープやチーズなど良質で安全な食品の販売 |
ポストハーベストの農薬の心配無い小麦粉、素材をつかった安全で良質なしかもヨーロッパの最高級のパンと肩をならべられるパンを作りたいとかねがね思っていたから。
準備するべきは、「こと」ではなく「技術」です。そのためには自己中心のこだわりではなく、なにがイースト菌のパンでは不足なのか、安全な食とはどういうことか、ドイツのカンパーニュの味とはどういうものか、本当に健康な牛乳とはどういうものなのか、これらをすべて勉強しました。もちろん、目的は売るのですから、おいしいパンかを実際に相応の顧客に評価をしてもらうため、店の開店までに3年間有名店にて卸をさせていただき、大丈夫といえるまで品質と技術の向上に磨きをいれました。
いくら、味がよく売れるからといっても、銀行やお役所は通りいっぺんの過去の実績や担保と言って、なかなか貸してくれなかったこと。実際に近所の銀行さんでは、調査した結果、パン店を開く市場価値が見当たらなかったそうです。銀行はそういう所と割り切れればいいのですが。
店探しが一番大変だったのですが、それも資金ゆえかもしれません。
フェルミエの方々、小寺さん、パオさん、相談にのってくれたWWB JAPANなどの良い人にめぐり合えたことが一番。それには、徹底したパン作りの情熱を持って、人任せでなく努力して動くこと。
主人は、焼きあがりまでに時間がかかる上に顧客も狭められるであろう天然酵母のパンに当初は積極的ではありませんでした。しかし、その特長となぜそのパンを作らなければならないかを時をかけ、協力させることで起業時までには納得してくれました。家族が同じ思いで主婦の企てる仕事に協力しなければ、開店した後、上手く行かないのではないかと思います。
開店前からTV取材が決まっていたので、工事中からガラス前面にオープンを知らせ、開店時は客が殺到しました。もちろん、オープンの案内は、それまでにパンを通じて知り合った人々、お友達、パンの生徒さん、得意先の人などに知らせ、小さな開店パーテイとしました。
なぜ、起業するのかそのコンセプトを明らかにして、曲げないこと。
そのコンセプトに基づき、企画書をしっかり作ること。
家族に理解してもらい、協力してもらうこと。
適切な立地に店を持つこと。
WWB JAPAN。
朝日信用金庫借入れ 一部自己資金(40%)
東京都文京区大塚。
税理士なし、弁護士なし、弁理士なし。
起業上の書類手続き、税務報告においてはすべて夫が行う。
なし。
成長したとはいえないかもしれませんが、仕事のお付き合いをすることによって、想像以上にいろいろなこだわりや考えを努力して実践されている立派な方々が多いというのに気づき、大いに触発されてます。
自分が他人とはちがう何に情熱を注ぐことができるのかを見定めること。
利益は先に考えるものではなくて、何を相手が望んでいるかを考えて起業すること。
仕事内容によってそれぞれ相談できる仕事仲間を作っておき、時々相談したり、情報交換をすること。
自分の仕事なのだから、楽しく落ち込まず健康でいること。従業員との人間関係も大切なこと。