デザイン性の高い和布ファッションを提案する泉真弓さんは「日本の着物の愛らしさを伝え、残していきたい」という想いで起業。地元、高知県に根を生やし、よさこい祭りの衣装づくりやプロデュースなど、祭りのキーパーソンとしても知られています。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していた | いた |
京都の美術系短大で学び、東京のアパレルメーカーの高知支店立ち上げなどを手伝った後、1980年に24歳で雑貨店を開業。当時では珍しいヨーロッパ雑貨などを扱うが、ものづくりがしたいという想い、地元ならではの伝統を生かしたいという想いから土佐紬を使った子ども服の販売に着手し、同年「CHIBI COMPANY STUDIO」を立ち上げる。大手百貨店への卸し販売や高知よさこい祭りの衣装デザインなどを手がけ、2000年、有限会社ほにやを設立。高知県発の全国ブランドへと成長している。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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20歳 | 1976年 |
美術系の短大で学んだ後、地元・高知県に戻る |
22歳 | 1978年 | 東京のアパレルメーカーの高知支店立ち上げなどを手伝う |
24歳 | 1980年 | 高知県内にヨーロッパの食器やリネン素材などを扱う雑貨店を開業。子ども服ブランド「CHIBI COMPANY STUDIO」を立ち上げる |
27歳 | 1985年 | よさいこい祭りに出場するチームの衣装デザインを手がける |
33歳 | 1991年 | 踊る人も見る人も一緒に楽しめる「よさこいチーム」をつくりたいと、よさこい祭り「ほにやチーム」を結成。同時期より「和」を取り入れた商品の製作を精力的に開始 |
40歳 | 1998年 | 東京都内の大手百貨店での販売をスタート。以降、続々と全国の百貨店に出店 |
42歳 | 2000年 | 有限会社ほにや設立 |
46歳 | 2004年 | アメリカ・ニューヨークにおける「NYホームテキスタイルショー」(国際見本市)に出展。「最優秀新商品賞」を受賞する |
世界から日本文化の素晴らしさが評価され、今でこそ和のセンスを生かしたファッションを取り入れる若者も少なくありませんが、DC(デザイナー&キャラクター)ブランド全盛期だった80年代は洋がオシャレで、和は野暮ったいというのが通念でした。そんな時代にもの申すがごとく、日本伝統の「和」にこだわったファッションを先駆けて提案したのが、泉真弓さん。今や海外の見本市に出展するほどに成長しています。「着物の柄や帯の刺繍って、とってもかわいいでしょ? でも、こんなにもかわいいのに、身につけるのは年に1、2回程度。がんばって着なくちゃいけないものになっていて、もったいないなと思っていたんです。それに、伝統工芸としては残されていくかもしれませんが、もっと普段の暮らしの中に和を取り入れていくことが、本当の意味で日本の和文化が残る道ではないか、と。ジャブジャブ洗濯しても平気で、気負いなく普段使いできる。そんな伝統とカジュアルが一緒になったものをつくっていきたい。そう思ったんです」。
1980年、泉さんは、まず高知県内で雑貨店を開業。東京のメーカーから仕入れたヨーロッパ雑貨などを販売していました。高知県にはない商品セレクトが人気を呼んでいましたが、その一方で、高知県らしいものを発信したい、好きなものづくりがしたいという気持ちも泉さんの背を後押ししました。2児の母だったこともあり、子ども服に着目。丈夫さと機能性で「もんぺ」として農家の人が使っていた生地と土佐紬を活用し、子ども服を製作。これがまた評判を呼び、子ども服ブランド「CHIBI COMPANY STUDIO」を立ち上げたのでした。
泉さんに転機が訪れたのは1985年のこと。高知県といえば「よさこい祭り」が有名で、今や東京・原宿でも「スーパーよさこい」としてテレビ放映されるほどです。その「よさこい祭り」をこれまでは見る側として楽しんできた泉さんのところへ、衣装デザインの依頼が入り、祭りをつくる側へとなったのです。「高知では端午の節句の時に、鯉のぼりと一緒に、『フラフ』という大きな旗を立てるんです。それが空になびいている様子は、高知らしい風景で大好きで。そこで、フラフを使って衣装を製作したんです」。それがセンセーショナルを呼び、泉さんが衣装を製作したチームは、3年連続で大賞を受賞。よさこい祭りは、これまで何度となく進化を遂げていますが、泉さんはよさこいの衣装でイノベーションした人物として知れ渡っています。この衣装製作に着手したことで、より和を生かしたオリジナル商品をつくりたいという気持ちが泉さんの中で強くなっていきます。
そして1991年、踊る人も、見る人も全員が一緒になって楽しめる祭りにしたいと、自ら「よさこいチーム」を結成。そのチーム名に、高知の方言で「本当にそうだね」と相槌を打つ昔言葉である「ほにや」を付けたのです。それが現在の有限会社ほにやの名にもなりました。同時期、本格的に和布のオリジナル商品の販売をスタート。百貨店内のギャラリーで個展を開きます。「その個展に大手百貨店のバイヤーの方がいらっしゃって、とっても当社の商品を気に入ってくれたんです。わざわざ高知まで来てくれるほど情熱的で、それならぜひにと取引を始めました」。卸し販売の始まりです。それを足がかりに、泉さんの商品が全国の百貨店に並ぶようになっていったのです。
卸し販売が始まったことを機に、有限会社ほにやとして法人化。2004年にはアメリカで開催された国際見本市「NYホームテキスタイルショー」において「最優秀新商品賞」を受賞し、「メイドイン高知」が遂に世界へと羽ばたき始めます。一方、泉さんがリーダーを務める「よさこいチーム」も着実に育ち、何度も賞を受賞。オーストラリア(シドニー)や中国(上海)などでも踊りを披露する機会にも恵まれました。
「ほにやの事業と、よさこい祭りは私の中では切っても切れない関係です。相乗効果を狙って祭りへの参加を始めたわけではないのですが、『日本の伝統を残していきたい』『みんなが気軽に“日本”を楽しめるものをつくりたい』という意味では、事業もお祭りも同じなんです。祭りから学ぶこともとっても多いんですよ」。2008年で、よさこい祭りは55回目の開催になりますが、高知ならではの祭りとして全国にその楽しさを伝えて後世に残していきたいと、泉さんはすでに勝手に「第100回よさこい祭り実行委員会」を準備しているそうです。高知という地域を、日本の和という文化を、とことん愛するからこそ、泉さんオリジナルの事業であり、文化継承が実現しているといえるはずです。
会社(団体)名 | 有限会社ほにや |
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URL | http://www.honiya.com/ |
創業 | 1980年 |
設立 | 2000年4月7日 |
業務内容 | オリジナル和布製品の製造・卸し・販売など |
ものづくりが好きな一家に生まれたこと、美術系の短大で学んだこと、アパレルメーカーの手伝いをしたことなどの影響を受け、当時、高知県では珍しかった雑貨店を始めました。東京の雑貨メーカーからヨーロッパ雑貨などを仕入れて販売していました。でも、ものづくりがしたいという気持ちがあり、もんぺとして使われていた生地を使い、子ども服をつくってみたら、とってもかわいかったのです。日本の和の商品は当時、野暮ったいなんて言われていましたが、配色や刺繍など愛らしいものが多い。それなのに着るのはお正月や夏の浴衣くらい、ともったいなくて……。日本の文化を残していくには、デザイン性が高く、かつ、お洗濯もジャブジャブできる、そんな日常に使えるカジュアルさが必要だという使命感を感じました。そこで、和布を使ったファッションを提案しようと、有限会社ほにやを設立しました。
雑貨店を始める時は、商品や物件探しなど、すべて知り合いのつてで紹介してもらう、といった感じでした。また、今のようにインターネットも発達していなかったので、なかなか情報が入らない。地方にいると仕入れる商品や生地などの素材の選択肢も少なかったです。
雑貨店をつくり、子ども服ブランドを立ち上げた時は、若かったですし、売り方も値付けも原価計算も知らなくて……。手さぐりでやりながら、覚えていきました。今振り返ると大変だったと思いますが、当時はあまり大変とは思っていなかったような気もします。
和布が「好き!」という気持ちと、日本の伝統を残していかなくてはいけないという危機感というか、使命感があったことが一番です。好きと使命感、これに尽きるのではないでしょうか。
母親が家事や育児をサポートしてくれました。また、コピーライターをしている友人は、私が伝えたいことをうまく言葉にしてくれる達人なので、ファンづくりのためのDM制作などを行ってくれました。想いを伝えるための言葉はとっても大事ですから、今でも言葉の相談をしています。
雑貨店の時は、地元、高知県のお客さまです。オリジナルの和布を展開する時は、百貨店のギャラリーで初めて個展を開いた時にいらした大手百貨店のバイヤーが足がかりになりました。商品を気に入ってくださり、わざわざ高知まで来て取引したいと熱意を持ってお話いただいたことで取引が始まり、そこから全国ブランドへと羽ばたけたのだと思います。
和の商品は野暮ったいという世間の風潮があっても、流行に流されることなく、覚悟を決められたことです。また、事業に誇りを持つことと、人に対する謙虚さは決して忘れてはいけないと思います。
私は8割方、決めていて事後報告のような形で相談するケースが多いのですが、相手は異業種の友人や先輩が主ですね。業界が違うので、厳しい目で見たアドバイスをもらえます。また、情報収集に関してはインターネットなど便利なものに頼りすぎないことを大切にしています。便利なものに頼りすぎると、自分の五感や嗅覚が鈍くなりますから。
雑貨店を始める時は約100万円です。アルバイトで貯めていた貯金と母親から借りました。有限会社ほにやをつくる時の資金は500万円です。200万円はそれまでの事業で得た利益、300万円は国民生活金融公庫からの融資です。
高知市内にふたつの店舗とオフィスを構えています。ひとつはショップ「ほにや本店」。そして、もうひとつのショップ「ほにや暮らしっく common」のあるビルの2階にオフィスを構えています。
起業当初は、プロの方に依頼することはありませんでした。その後、取引先が倒産した際やコピー品をつくられた時に初めて弁護士に相談。また、アメリカで展開を始める時にも相談しています。商標やデザインなど、思わぬことが起きる可能性もあるので、現在は専門家にすぐ相談できる体制を整えています。
やはり、「よさこい祭り」にかかわったことが転機ですね。初めて衣装デザインを手がけた時に、和を生かしたオリジナル商品をもっとつくりたいと思うようになり、自分でよさこいチームを結成した年から、実際にオリジナル和布商品の製作を始めていますから。よさこい祭りを見る側から参加する側になって、地域をもっと盛り上げていきたいという気持ちにもなりましたし、有限会社ほにやとしても、地域や日本の伝統を盛り上げていく会社でありたいという気持ちが強くなりました。
まだまだです。起業して30年近くなりますが、いつももっとこうしたい、次はこうしたいという気持ちがあります。よく言えば向上心があるのでしょうが、悪く言えば諦めが悪いほうというか……。人も増えて事業としては大きくなっているといえると思いますが、自分自身、成長したと実感することがないのです。
和の商品が野暮ったいと言われていた時期でも、自分の好きだという気持ちへの誇りと、伝統を残していくんだという使命感があったからこそ、流行に流されることなく、でもトレンドを意識して柔軟に取り入れながら、想いを曲げないできました。だから、今があるんだと思います。好きだという気持ちは大切ですが、それはポーズではなくて、本当に心から好きなのか。それを自分に問うてみて、覚悟を決めることです。そして、あきらめないこと。このふたつが大事です。
高知市で毎週日曜日に開催されている街路市「日曜市」を散歩することです。この日曜市は約300年以上の歴史があって、野菜や果物、花きや骨董などが売られているのですが、独特の雰囲気があって、とってものんびりします。
何事も、楽しむことが大切だと思います。スタッフにも「もっと、ほにやを楽しみなさい」とよく言っているのですが、まだまだ楽しみ切れていない感じがしています。たとえば、商品づくりなどは楽しむことで完成度も上がっていくものだと思いますし、事業のアイデアも楽しんで考えれば、時には思いもかけないアイデアが飛び出します。ぜひ、楽しんでください!