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コミュニティFM放送局の運営

都道府県和歌山県 年代40代 業種通信
 株式会社エフエムマザーシップ 
[ 代表取締役社長 ]
坂口 緑 さん

和歌山県の有田は県域のAMラジオも入らない情報過疎地域。そこに暮らす坂口さんは、阪神淡路大震災でコミュニティFMが人命救助に役立ったニュースを聞き、大地震が起きた時に津波が予想される我が町を「情報」で守りたいと開局に挑んだのでした。

起業したとき

仕事の経験
結婚
子ども
生かした していた いた

プロフィール

深夜ラジオに夢中になった学生時代を経て、結婚後は会計事務所で事務職を経験。40代に入り、税理士の資格取得を考えて、和歌山から大阪にある資格取得の専門学校に通い始める。しかし、途中で「イベントプロデューサー文化仕掛け人学校」の存在を知り、以前から関心が高かったコミュニティFM放送局づくりに絶対必要だと、専門学校を途中で辞め、仕掛け人学校の受講をスタートする。卒業後、情報収集や協力者集めを行い、2001年8月に総務省電波監理局から放送局の免許が付与される。翌9月に株式会社エフエムマザーシップを設立し、同年12月に放送局を開局する。

起業年表

年齢 西暦 主な活動
42歳
1995年
阪神淡路大震災。その時、初めてコミュニティFM放送局を知った 
44歳 1997年 資料集めを開始。和歌山県にはコミュニティFM放送局がないことがわかり、自分でもひょっとすればできるのではないかと、開局に向けて活動をスタート 
46歳 1998年 大阪の「イベントプロデューサー文化仕掛け人学校」の2期生として受講。「FMマザーシップ準備委員会」を立ち上げる 
49歳 2001年 8月、総務省電波監理局から、放送局の免許が付与され、11月、本免許授与。そして、12月7日に開局 

起業ストーリー

情報過疎の地域で、安全と安らぎを電波に乗せて

坂口緑さんが運営する、コミュニティFM放送局「FMマザーシップ」が位置する和歌山県の有田は「有田の谷」と言われるほど、情報過疎化地域として知られたところでした。県域のAMラジオ局も聞こえないエリア。加えて、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の物語「稲むらの火」のモデルになった、南海地震で津波災害が起きた場所でもあります。和歌山の地形から考えると、地震が起きた時に津波がやってくる可能性が高いのです。「いつ起きるかわからない地震を考えると、十分な備えが必要です。ところが、この地にはいざという時に、いち早く地域の人に情報を知らせる手段がなかったのです」。坂口さんは危機感を募らせていました。

1995年、阪神淡路大震災が発生。その時初めてコミュニティFMの存在を知った坂口さんは、心が揺さぶられます。「配水車がどこに来ているか、どのエリアに近づくと危険なのか、といった情報をラジオで流すことで、人命救助に役立ったと。ラジオという存在の大きさを思い知りました」。また、それから3年後、東京・銀座のOLたちが勤め帰りに本音トークを話すFM番組「銀座のOL本音トーク」を新聞記事で発見。プロのDJがマイクを握るだけがラジオではないのだと、コミュニティFMという懐の深さを実感します。「人命を救う手助けになったり、地域の人が、地域の言葉で、地域の話題を話したり。そんなコミュニティFMがあってもいいじゃない」と坂口さんは、FMについて調べ始めたのでした。

強い使命感で3000万円の出資と198件のスポンサーを確保

当時、税理士の資格を取得するため大阪の専門学校に通っていた坂口さんでしたが、大阪で開講された「イベントプロデューサー文化仕掛け人学校」の受講者募集記事を発見。税理士学校を途中で辞め、ラジオ放送局づくりに役立つのではないかと、学校に通い始めます。「仕掛け人学校は夜間だったため、大阪から和歌山に帰ってくるのは、釣り人ばかりが乗り合わせる最終電車でしたが、心はいつも踊っていました。最初は夫に申し訳なくて、学校を変わったことは内緒にしていたのですが、帰りが遅い私をずっと見守っていてくれました」。その一方、様々なコミュニティFM放送局を見学したり、大阪の近畿総合通信局でFMの開局について勉強。そこで、開局には平均8000万円は必要になると聞いて、坂口さんは愕然としてしまいます。「お金さえ出せば開局できるなら、どうにか集めようと思いましたが、まさか8000万円もするとは!? しかし、やりますと言った以上、後には引けませんでした」。

そこで、地域の友人たちに声をかけて出資者を一口5万円で募って800万円を確保し、貯金2200万円と合わせて3000万円を資本金に。そして、夫に協力してもらい、自宅や所有する土地などを担保に入れて、国民生活金融公庫と地方銀行から、1000万円ずつの借り入れを。どうにか5000万円をつくりました。しかし……。「個人での放送局経営は前例がないので、電波監理局側は『先に町役場の後援をもらってください』、町役場側は『支援はしますが、電波監理局の許可を先にもらってから』と板挟み。こんな状態が続くなら、開局はいつになるやらと……。それなら個人でやろうと決心しました」。電波監理局は開局後の経営の安定の証として、地元企業・商店から応援状を集めることを条件に提示。坂口さんの営業活動の日々が始まりました。コミュニティFM放送局といっても、まだできていないラジオ局のため、海のものとも山のものともつきません。理解してもらうには時間がかかりました。そこで、応援団になってくれた友人らと任意団体「FMマザーシップ準備委員会」を立ち上げて営業活動を行う一方、円滑な資金繰りと広報機能のふたつを持つよう、地域の人に一口1000円で会員を募ってステッカーを配布しました。「最終的には198件のスポンサーを集め、電波監理局と町役場の両方から了解が得るまでには4年近くかかりました。なかなかラジオ局ができないのに、お金を集めているわけですから非難する声もありましたよ。それでも、粘り強く続けてこられたのは、強い使命感だったと思います」。

プロがつくる局から、地域の人が方言で、地域の話題を話す局に変身!

2001年8月7日、ついに総務省電波監理局から放送局の免許が付与され、周波数88.9MHZを手に。11月には本免許を授与され、パールハーバーに奇襲攻撃のあった12月7日を「紀州攻撃」とかけて、開局日に。電波送信所のある「鷲ヶ峰コスモスパーク」の風車の力を借りることで、日本初の風力発電によるコミュニティFM放送局が誕生しました。しかし、放送局の運営は平坦ではありませんでした。ラジオ放送にはプロが必要と考えた坂口さんは、大阪からタレントのDJを呼んで住居を提供し、技術者や局長も経験者を呼び寄せました。運転資金として用意していた2000万円はあっと言う間に底をつき、営業活動でほとんど会社を留守にしているうえに、放送の知識もない坂口さんに、信頼を寄せるスタッフは誰もいない状況に陥ってしまったのです。

開局から3年後、坂口さんは、ラジオ局だからプロがやるのが当たり前という既成概念を捨て、スタッフを解雇。「技術もDJも覚え、私ひとりでも放送できる体制に。原点に帰りましたね。別の地域から来たタレントでは、災害が起きた時に、地域の施設や道の名前すら言うことができません。それでは何のためのコミュニティラジオなのか、と。地元の高校生が放課後に話したり、近所のおばあちゃんが自分の孫のことを話に来たり、地域の人が誰でも地域の方言で話して、番組づくりにも参加できる。そんな放送局に変身しました」。

そんな有田ならではのコミュニティFM放送局に生まれ変わった途端、地域を支えるスポンサーも増加。その年から事業は黒字化し、厳しいながらも運営ができるようになっていったのです。「地元警察とも連携し、事故が起きた時はすぐ情報が入るようになっています。捜索願が出ていたおじいちゃんを探すために、ラジオで呼びかけて発見に一役買ったことや、3年間DJを続けた高校生は、その才能が買われて一芸入学で大学に合格したことも。ひき逃げ事故が発生し、身元のわからない故人の遺族を探すためにラジオで呼びかけ、見つけたこともあります。地域のために、と始めたラジオ局ですが、今は地域の人たちに生かされて続けているんだなと実感しますね」。缶のプルトップを集めて車椅子を寄贈する活動や、有田の海岸で採取したシーグラスを使ったアクセサリーの販売。また、和歌山県内にある女子刑務所に向けてのボランティア放送など、有田ならではの活動も広がっています。「これからも地域に愛され、地域を守りぬく、そんな存在でありたいと思っています」。FMマザーシップ、その名に込められた母のような愛で、今日も坂口さんの元気な声が有田の街を包み込んでいるのです。

会社概要

会社(団体)名 株式会社エフエムマザーシップ 
URL http://www.fm889.net
設立 2001年9月4日
業務内容 コミュニティFM放送局の運営

(坂口 緑さんの場合)

起業のきっかけ、動機

阪神淡路大震災でした。その時、「配水車が○○公園に来ています」「息子へ 母は○○体育館で待っています」といった立て看板をラジオ局のDJが読み上げるなど、必要な地域情報を流したFM放送局の偉大さを感じ、情報が人間の命を救うのだということを知ったんです。そんな地域ならではの情報が流れるコミュニティFM放送局が、地域にあればなんと心強いだろう、と。和歌山の中でも、ここ有田は昔から「有田の谷」と言われるほど情報過疎地域で、県域のAMも入らないエリア。それに地形から、地震が起きると津波が来る可能性の高い場所でもあります。災害への備えと、地域の触れ合いがあるFM放送局を何としてもつくりたいと思ったのです。

起業までに準備したこと

資金と人のネットワークです。開局の資金は地域から出資を募りました。開局には開局後、スポンサーになってくれる人の同意書が事前に必要だと言われたので、地元の企業や商店を回って、4年近くかけて198件の了解を得ていきました。草の根的な活動でネットワークを広げていくことが、準備で一番大変だったことです。技術やノウハウは大阪のFM放送局に教えてもらったり……。何しろコミュニティFM放送局は、第3セクターが運営するところがほとんどで、素人による開局自体、前例のないこと。経験者に教えを請うしかありませんでした。

起業時に一番苦労したこと

やっぱり資金です。いくらコミュニティラジオといってもラジオ局ですから、施設に機材に人材確保にとお金がかかります。私が開局した当時は、平均で8000万円かかると言われて呆然としました。主婦が貯金として持っている額ではありません。夫に頭を下げて、将来のために蓄えてあった貯金を開局の資金に充て、自宅や土地を担保に入れて国民生活金融公庫から借り入れ、友人から出資を受けて……。どうにか5000万円を集めて放送機材や建物の改装費に充て、局内の備品は手づくりするなどして開局しました。

だからうまく起業できた!…その一番の理由

どんな状況に陥っても、あきらめなかったこと。これに尽きますね。神様は乗り越えられない試練は与えないと思うんです。だから、しんどい時も、きっと乗り越えられるから私は生かされているんだと考えて、開局できるまであきらめませんでした。だから、4年の準備期間も耐えられたんだと思います。

起業時の環境(友人や家族の協力他)

最初、周囲は「そんなのやれるわけがないから、やめておけ」の合唱でしたが、地域の友人たちは資金をつくるために出資をしてくれました。夫の母は亡くなりましたが、私の活動を陰ながら応援してくれていましたし、夫は実家の協力を得て、自宅や土地などを担保に入れることに同意してくれました。家族や友人の支えなくては、これまでやってこられなかったと思います。また、FMについて調べていた時、人を介して大阪FMの部長職の人を紹介してもらい、その方にたくさんのノウハウを教えていただきました。

最初のお客さんと営業方法

地域の商店や企業への飛び込み営業です。開局前に、スポンサーがいることを証明する同意書をもらわないと、放送局としての許可が降りないと言われたので、何度も門前払いを受けながらも粘り強くコミュニティFMについて説明して、開局前に198社の同意を得られました。

起業の際の重要ポイント

人ですね。人間関係をどう構築して、ネットワークを広げていくか。コミュニティFMですから、地域の人に賛同してもらって巻き込んでいかなくてはいけませんし、運営していくには地域の企業などにスポンサーになってもらわなくてはいけません。人に泣いて、人に笑って、人に喜んで。たくさんの人とのつながりを持っていくことが、成功にもつながるのだと思います。

役に立った情報源や相談先

FM放送局の開設のノウハウは、電波監理局の方や大阪FMの方からです。町役場にも了解を得るために相談に行きました。また、起業してからは、コミュニティFMだけに地域の人たちからたくさんの情報をいただきましたし、ラジオ番組にも参加してもらっています。

開業資金

5000万円です。友人や地域の人から出資者を一口5万円で募って800万円を確保し、貯金2200万円と合わせて3000万円をつくり、資本金にしました。そして、自宅や所有する土地などを担保に入れて、国民生活金融公庫と地方銀行からそれぞれ1000万円を借り入れています。また、開局前に準備委員会をつくり、その事務所の家賃などに充てるために、一口1000円の会費を募り、会費を支払っていただいた人には「FMマザーシップ応援隊」のステッカーを渡すなどして、広報活動にも役立てました。

活動拠点(事務所・店など)

本社・演奏所は、国道42号線沿いにあります。また、電波の送信所は「鷲ヶ峰コスモスパーク」という展望が良く、コスモスが咲き誇る公園内にあります。ここは風力発電をしている場所でもあるのですが、その風車を借りて風力発電でFMを放送しています。

起業時の管理体制の整備(税理士、弁護士、弁理士など)

会計事務所に務めていたので、税務・財務の知識はありましたし、最初は税理士や弁護士などの専門家に仕事をお願いするのは、私には贅沢。開業前や開業直後は必要ないと思います。どうしても必要になった場合に依頼するというのがいいのではないでしょうか。

起業後の転機

自分が放送局の運営に対して無知だということから、経験豊富な技術者やDJ経験のあるタレント、局長を大阪から呼び寄せて運営していました。私は営業活動でずっと外を飛び回って、番組はお任せ状態。標準語で話し、個性のないFM放送局だったと思います。スタッフの信頼も失っていました。そして、起業して1年目、最初に雇用した局長クラスのスタッフを解雇することに。3年目にはタレントさんも解雇。その後は、DJも技術も自分で覚え、ひとりでも番組ができる体制を整えました。この時が私の転機だったと思っています。今では、地元の人が紀州弁で地元の話をする本当にやりたかったコミュニティFMになりました。

起業して自分が成長したと感じたこと

今日、従業員に支払う給料が銀行口座にない、という状況に陥った時です。朝、銀行口座をチェックしても口座にお金はない状態。従業員に頭を下げて給与の支払いを遅らせてもらおうか、スポンサー探しに営業に行こうか、しかし、こんな状況ではいい営業もできるわけがないと、自宅で考えあぐねていました。そして、念のためもう一度口座を確認しにいこうと、再度銀行に行ったら、なんと過年度に納めすぎていた税金の還付金の入金が200万円あったのです。これなら、従業員全員に給与が支払えると。その時、神様はまだ私を見捨てないのだと思いました。それまでの私は、個人で放送局を立ち上げた偉い人間だという思い上がりがありましたが、その時から私は「生かされているのだ」「放送を続けなさいという神様からの使命を与えられているのだ」という謙虚な姿勢で取り組むようになりました。

起業を志す人への一言アドバイス

世の中、インターネットの時代と言いますが、やはり大切なのは人。それはいつの時代になっても変わりません。何よりも人間関係を大切にして、ネットワークを広げていきましょう。

気分転換のしかた

海が近いので、浜辺でシーグラスを採取するのは子どもの頃からの趣味です。また、鉱石や水晶なども大好きで、集めたコレクションを見ています。シーグラスは人間が海に捨てたものを海が長い年月をかけて宝石に変えてくれたものですし、石は地球が誕生した時からあったわけですから、ロマンやエネルギーを感じます。仕事は人との付き合いがほとんどですから、物言わないシーグラスや石に心で話しかけることは、いい気分転換になりますね。最近はこれらを使ってペンダントやブレスレットなどを制作することもあります。

その他伝えたいことなど

神様はその人が乗り越えられる試練しか与えませんから、どんなことも、できるまであきらめなければ必ず夢はかないます。有名なITベンチャーが欲しがった放送局を、一介の主婦でも粘って粘って、手に入れることができたんですから、焦らず、粘り強くあきらめないでいきましょう! 

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