町役場に務めていた小野敬子さんは、定年を5年後に控えて退職し、ゆい農園をオープンしました。リンゴ畑の栽培に失敗するものの、農産物加工に進路を変え、こだわりの減農薬玄米せんべいを生み出し奮闘しています。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していた | いた |
青森県出身。町役場に25年務めて、定年を5年後に控えて退職。5000平方メートルの畑を手に入れ、ゆい農園をオープン。農産物の加工販売を思い立ち、県の産業総合支援センターのビジネスインキュベートに無農薬発芽玄米“ありがとうせんべい”を応募して入賞。入賞金をもとに有限会社ゆい農園を設立。現在は減農薬玄米せんべい“玄米大好き”を主力商品に事業を行う。平川市議会議員も務める。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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31歳 | 1975年 |
高校卒業後、青森県南津軽郡平賀町役場に就職 |
56歳 | 2001年 | 役場を退職し、ゆい農園をオープン |
58歳 | 2002年 | 同県の産業総合支援センターのビジネスインキュベートに“ありがとうせんべい”を応募し、入賞 |
59歳 | 2003年 | 有限会社ゆい農園設立。平賀町(現・平川市)町議会議員に立候補し、当選 |
61歳 | 2005年 | 減農薬玄米を使って“玄米大好き”せんべい加工開始 |
小野敬子さんは、町役場の職員として勤務していた時代に、環境問題や、食の安全などに関する講演会を見つけてはよく足を運んでいたと言います。
「食の安全ひとつとっても、私たちが知らないことがけっこうあるんだな…と感じました」
定年後は、当時中学校の教師だった夫といっしょに、農業や食に関することで何かやりたい、そう漠然と思っていた小野さんでしたが、98年に夫が他界。その2年後には、役場を退職してしまいます。
「あと5年で定年だったんですが、このまま勤め上げるのが嫌になってしまったんですね。それで、以前から気になっていた農地があって、所有者に聞いたら、譲ってもいいよという話しになって…」
そして、小野さんは農地取得の最低面積5000?のリンゴ畑を手に入れ、ゆい農園と名付けました。
「母に手伝ってもらって一生懸命リンゴを作ったんですが、無農薬でやろうとしていたこともあってうまくいきませんでした」
農業で食べていくことの難しさを知った小野さんでしたが、農に関する仕事や、溢れているがゆえにないがしろにされている“食”に関わる仕事がしたいとの思いは消えません。そんなある日、農業月刊誌で発芽玄米が体にいいという記事を読み、玄米に着目します。
「玄米は体にいいとわかっていても、やっぱり炊くのに手間がかかるし、好きじゃないという人もいます。それで、もっと気軽に玄米を食べられる方法はないかと考えたんです」
小野さんは、早速知り合いの農家の方から無農薬玄米を調達し、発芽玄米をあられ菓子のように加工して、まわりの友人や知人に試食してもらいました。しかし、「食べにくい」と不評。そこで今度は、発芽玄米の“ポンせんべい”を試作しました。
「これは、評判が良かったんですが、商品化する資金がなかった。それで、県の産業総合支援センターのビジネスインキュベートに“ありがとうせんべい”という商品名で応募したんです。そしたら、入賞してしまった」
賞金は300万円。これを資本金に、有限会社ゆい農園を設立します。しかし、ここからが大変でした。
「いろんなところへ配って宣伝したんですが、美味しいと言ってくれるのに、買うまでには至らない。当時は、無農薬玄米を手焼きしていたのですが、原価が普通の米の倍かかるため、売れば売るほど赤字になってしまうんですね」
コストが倍かかるからといって、そこはやはり“せんべい”。そう高くすることはできません。まる2年間赤字続き。周囲からも「辞めたほうがいいのでは?」と声が聞こえ始めます。
「でも、このせんべいが売れないはずはない、売れなかったら世の中がおかしい!って、思っていたんです。(笑)」
奮起した小野さんは、コストパフォーマンスを良くするために、無農薬玄米から減農薬玄米に変え、手作業を軽減すべく、県から加工機械をリースします。そして生み出した新商品が“玄米大好き”でした。添加物を一切使わず、天日干しの塩のみを使うというこだわり。周囲の人に試食してもらうのはもちろん、ここだと思ったところにはサンプルを送るなど、なるべく多くの人に知ってもらう努力をしました。
「あそこに持って行ったらどうか、と言ってくれる人もまわりにいて、ありがたかったですね。おかげで、置いてくれるところあって…」
地元のデパートやコンビニが取り引きをしてくれるようになり、四国や静岡など、県外にも“玄米大好き”のファンが少しずつ広がっています。
2005年には、お湯を注ぐと玄米粥にもなるという利点を生かして、現在5ヵ月の賞味期限を、真空パックによって1年半に延ばした非常食バージョンも誕生しました。
「それでも、まだまだです。機械がフル稼働すると一日200パックはできるのですが、まだ100パック分くらいしか稼働していません」
宣伝にお金をかけられないこともあり、人とのつながりや出会い、そこで得られた助言を大切にしていきたいと語る小野さん。地元を起点にした農業の活性化も視野に入れて、現在、地元市議会では議員も務めています。
「食がないがしろにされているのではないか…」そんな思いから始まった農産物の加工販売。小野さんの挑戦は、まだまだ続きます。
会社(団体)名 | 有限会社ゆい農園 |
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URL | http://www.ahslove.co.jp/yuifarm/ |
創業 | 2001年11月1日 |
設立 | 2003年4月16日 |
業務内容 | 農産物の加工販売 |
食や環境について勉強するうちに、農と食に関わることをしたくなりました。
農産物を自分でつくるのは難しいですが、加工販売なら、なんとかできると思いました。
本を読んだり、農業関係のセミナーなどに行ったりして知識を得ました。
起業時というより、売り上げが思ったように伸びないので、いま現在まだ苦労しています。
うまく起業できたかどうかは、まだわかりません。ただ、県の産業総合支援センターのビジネスインキュベートに入賞していなかったら、会社設立はしていなかったと思います。
周囲の人たちに支援していただいた。夫が亡くなったので、息子も協力してくれました。
友人や知人に、商品を配ってまわりました。
商品を開発した場合などは、自分が良いと思っても、売れるまでに時間がかかる場合が多いので、利益を得られるようになるまでの資金的体力は、なるべくあったほうがいいと思います。
チラシを見て応募した、産業総合支援センターのビジネスインキュベートです。商品開発をする上でも、その後でも、周囲の方に相談にのっていただき助けられました。
産業総合支援センターの商品開発募集で入賞した賞金300万円。
農地の中にある、工房、事務所、倉庫、集会所、住居を兼ねた一戸建を拠点にしています。
税理士には年度末の決算のときお願いしています。
2004年くらいまでは赤字続きで、このまま続くようではまずいと思っていました。周囲から、辞めたほうがいいのでは?という声もありました。でも、このせんべいが売れないはずはない。もっと多くの人に食べてもらえれば…という思いがあり、翌年の2005年に、より低コストでできる低農薬玄米を使用した「玄米大好き」を開発し、少しずつ赤字を挽回しています。
役場に勤務していたときのように給料をいただいていれば生きることに困ることはありませんでした。起業してみて、すべてが自分に託され、初めて“生きる!”ことがわかった気がします。さまざまな出会いがあり、本当に苦労してきた人の話を実感として受けとめられるようになりました。
起業するための本を読んだり、セミナーに行ったりするのもいいですが、実際に事業や商売をやっている人の話を聞くことが大事です。
小高いところにあるうちの農園から景色を見ることです。特に、岩木山を見るとほっとします。困ったときは「がんばれ!」って言われているような気がします。
私がこの仕事を始めた理由のひとつに、食がないがしろにされているのではないかという思いがありました。食べものが体も心も育てているのだということを、若い人たちに知って欲しいと思い、体にいいものを提供したかったのです。