働く独身女性のためのシェアハウス
最初はインキュベーションオフィスを利用していたので、きちんとした店舗もなく、しかも営業方法を知らないのでどうやったら仕事を取れるか試行錯誤しました。とりあえず営業の一歩として、湯島天神で大量の飴にお祓いを受け、それを宣伝チラシと名刺に付け、「合格祈願お祓い済み飴配布中」と、サンドイッチマンのような格好をして、大学入試前に校門で配りました。この成果はゼロでした。
なかなか日本人の入居者が見つからなかったので、女性で日本語が話せる方ならと思い、大久保の韓国人組合や語学学校へ営業に行き、外国人向けの媒体に広告も打ちました。一方で、物件獲得のためのオーナーへの飛び込み営業や業者への飛び込み営業もしました。こちらの方が、入居者に対しての営業よりも難易度の高い営業でした。
山形の伝統を残す漬物の製造販売
義母の漬物が近所では評判で、山形名物の「青菜(せいさい)漬け」をつくってほしいと頼まれたんです。しかし、あまりにも多くつくってしまい、漬物が残ってしまいました。近所におすそ分けをしようにも、地元ではみんながつくっている漬物ですから、逆に迷惑になってしまうだろうと。そこで、近くにあった野菜の直売所で販売してみたいと家族に相談しました。家族はどうせ売れないという反応でしたが、それを押し切って雪の降る中、長男を背負って直売所に行き、販売させてもらったのが初めての営業であり、そこで買ってくれた方が最初のお客さまです。驚いたことに瞬時で売れてしまいました。それが嬉しくて、病みつきになって「漬物をつくっては売りに出す」を繰り返していきました。
映画館の運営、イベント企画・プロデュース
映画館のオープン日に来てくれた来場者が最初のお客さまではありますが、営業方法として、オープン前にボードに名前を記して映画館に飾られる会費1万円のプレミアム会員を募り、結果1300人集まったので、その方々も最初のお客さまといえます。映画館は特殊な業態でもあるので、「京都朝日シネマ」の実績をベースに、きとんとした器をつくって、ポリシーを持った番組編成を行えば、必ず観客は来てくれると確信していました。オープンの日、「映画館をつくってくれてありがとう」と言われましたが、人に感謝されて開業できる、ということは本当に嬉しいことでしたし、逆に維持し続け、一歩ずつ進化し続けなければならない、大きな責任も感じました。
ウェブサイトでユーザー参加型の商品開発
最初の販路は、自らが通っている慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの生協でした。飛び込み営業でしたが、商品サンプルと共に、学生を対象としたニーズ調査の結果と、ビジネスプランコンテストの受賞歴を持参し、「ニーズ」と「熱意」をアピールしたことで、店長の協力を得ることができました。
大学外に初めて販路を開拓できたのは、過酷な飛び込み営業を続けての出会いでした。その大手家電量販店では、女性客が増加する中で、女性客のニーズに応えられる商品を探していたので、バイヤーの目に止まりました。いままでなかった、女性をターゲットにしたファッション性の高いPCケースという商品のユニークさが、決め手となりました。
全国に眠る8mmフィルムを蘇らせる会社
最初のお客様は大学教授で、大学関連のイベント映像制作でした。この方は、函館市主催「女性起業家講座」に参加した際、講師をしていた方で、その後も様々な相談にのっていただいています。
起業初期の頃は毎日、飛び込み営業をしていました。一般住宅や、官公庁、企業など。その中で営業トークや商品を磨き、ホームページに反映させていきました。お客さんの生の声を収集する意味で、飛び込み営業は意義のある取り組みだと思います。現在は受注経路のほとんどがホームページで、全国から受注しています。
ITを駆使して、幅広くビジネス展開
プロダクションの下請けをお願いしたり、とびこみで企業に「お願い営業」するスタイルはしない(できないし、やりたくない)と決めました。最初のHPの成功体験を生かしました。つまり、自分の得意なオリジナルコンテンツを発表し、それが各種メディアにとりあげられ、それをみた人から仕事依頼がくるというよい循環スタイルです。2002年に、ブロードバンド時代を見越した東北弁のインターネットTV「JENGO-TV JAPAN」を立ち上げ、一躍話題の人となりトントン拍子に仕事につながりました。
授乳服の製造・販売
近所の授乳中の友人や、パソコン通信(当時はそう呼んでました)の育児サイトで知り合った方たち、同じ助産院で産んだ友人など。商品開発の相談もしながら買っていただいた感じです。
その後は、カラーコピーで簡単なパンフレットを作って、ミニコミ誌などに小さな記事で紹介してもらったり、個人売買の情報誌(当時はまだインターネットが盛んではなかったのでこういう媒体があったのです)、資料請求に応じて送って注文をいただいたり、というように徐々に広げてきました。
草木染工房&茶房
その当時「女性が廃屋を改修して…」というのは珍しく、すぐにマスコミが動き始め、たくさん見学の方がいらっしゃいました。来てくださる方がくつろげる場所として存在したかったので、作品を販売することより、まず「ここを好きになってもらう」と言う事を目標にしました。ここのものだから買いたい、ここの行事だから参加したいと思ってもらえるファンづくりに気を配り、そのために「からっぽ通信」を2ヶ月に一度発行して、まわりの自然の状況や自分の思いを送り続けました。
工夫の巻きずしで町おこし
最初は地元の人でした。大勢の人に味を知ってもらうため、いらしたお客様に食べてもらっていました。
(例えば、3本残っているところに5人のお客様がいらした場合、3本を売るのではなく、「うちのはこんな味です。よかったらまたお越しください」と、切って5人のお客様に食べてもらっていました)
新聞に「農村コンビニ誕生」と載り、ネーミングが人を呼んだのかもしれません。
また、ラジオ、テレビが取材にくるようになり、口コミもあって、拡がってきました。
ハウスクリーニング事業のパイオニア
会社を設立したものの、なかなか仕事に結びつきませんでした。そこで、事務所でじっとしているよりも外に出たほうが何かに出会う可能性がある、と思って町を歩いていると、不動産会社の看板が目に飛び込んできました。そして「掃除の場面は、賃貸物件の引越しにある」と思いつき、飛び込み営業をした結果、ちょうど春の引越しシーズンだったこともあり、「空き家になったアパートの掃除をやってみる?」と言われました。それがお客さん第一号です。
親子のためのスキンケア商品の開発・製造・販売
最初に私の手元にあったのは、石けん3000個。これが最低製造個数でした。広告を打っても全く売れなかったので、自分の知り合いに手紙を書き、子どもが通っていた0歳児専門の保育園の保護者の方などに、簡単な紹介文と連絡先を載せてサンプルとして配りました。雑誌社などに記事として紹介してもらえるように頼みに行くこともありました。こうた地道な営業で少しずつリピーターが増えていったように思います。
ニゴロブナを養殖し、昔ながらの「鮒ずし」を復活
初めて自分が作った「鮒ずし」は、近所の方々に売りに回りました。滋賀には、お正月に鮒ずしを宴席で食べる習慣があるので、12月に1軒ずつ訪問し行商のようでした。しかし、生産量はわずかだったのですぐに完売してしまい、お客様から「おいしかったから、もっとほしい」と言ってもらえたものの、当時は品物が足りない状態でした。この声に応えなければと、何が何でも生産量を増やすことを決意しました。
中小企業の健全な経営をサポートするために
ちょうど12月だったので、年賀状で開業のお知らせをしました。また、まずは自分が税理士をやっていることをたくさんの人に知らせるために人の集まるところに出る必要性を感じ、異業種交流会にも積極的に参加しました。紹介してもらうつもりで開業の連絡をすると、その社長さんが顧問先になってくださったり、その後、また別の人を紹介してくださったりを繰り返して、今に至っています。
戸建住宅の建築・リフォーム・施工
前職の会社の下請けという形で仕事をもらいました。と同時に、チラシ配りや飛び込み営業などを行っていきましたね。法人にした後、地域新聞にマメに広告を出していったのですが、「あいちゃんほうむ」という名前にインパクトがあるようで、宮崎市内でもよく知られる存在になっていきました。また、『家づくりはじめの一歩』というガイドブックも制作。営業ツールにしています。
オリジナル和布製品の製造・卸し・販売
雑貨店の時は、地元、高知県のお客さまです。オリジナルの和布を展開する時は、百貨店のギャラリーで初めて個展を開いた時にいらした大手百貨店のバイヤーが足がかりになりました。商品を気に入ってくださり、わざわざ高知まで来て取引したいと熱意を持ってお話いただいたことで取引が始まり、そこから全国ブランドへと羽ばたけたのだと思います。
美濃和紙で作るウエディングドレス
最初に私の美濃和紙のウエデングドレスをお買い上げいただいたのは、私が出演したテレビを見た方で、自分の娘が嫁ぐ時には、他人とは違うオリジナルのドレスを着せたいと思われていたそうです。書道家でもあり、美濃和紙の素晴らしさをご存知でした。とても気に入っていただき8年後、下の娘さんのウエデイングドレスも作らせていただきました。
人と人とのつながりを紙コップアートで体感
自分の活動記録を多方面に送っているうち、新聞に掲載されたことがキッカケでした。掲載された記事を見て、連絡をくださったのがある高校の先生でした。全校生徒と校長先生が糸でんわで話をする、というワークショップでしたが、こういった経験をあちこちで積みながら、口コミやマスコミによって、徐々に活動が広まっていったように思います。
バイオ苗の研究開発・生産・販売
営業は夫が担当してくれました。
新聞や雑誌の掲載をみた方からの問い合わせに対応したり、“お客様の困り事なんでも相談受け付けます”と年に2〜3回、車で北海道から九州、鹿児島まで訪問したり、地道な営業活動をしてきました。その結果、顧客からの口コミも増え、信頼関係ができ、だんだんと顧客が増えていきました。
自然・アレルギー対応食品などのネット販売
ネットショップに訪れた個人のお客さまです。販売はネットショップのみでしたので、プレスリリースを配信し、いくつかの雑誌や新聞で紹介していただきました。それもあって、個人客だけで、開業1ヶ月の月商が8万円でした。軌道に乗ったのは3ヶ月後あたりです。2年目は、1年目の年商が2年目の月商になっていました。
生活弱者のための日常生活サポート事業
最初はチラシをポスティングして歩きました。記者クラブにポスティングしたことで、新聞に記事として載せてもらい、それを見た方から連絡をもらいました。ケアマネジャーさんからの電話が最初だったでしょうか。介護保険内ではできない病院への付き添いをお願いできないか、という相談だったと思います。
超初心者を対象としたパソコン教室
営業方法は、渋谷区の広報誌に無料で掲載してもらって集客につなげました。それで受講してくれた方が最初のお客さまです。広報誌に掲載した数行の募集記事を小さくくり抜いて、それを持参してくださった第1期の会員とは、現在でもいい仲が続いており、月1回、年2回の親睦会にも参加いただいています。
ハウスクリーニング・家事代行・整理収納
友人です。私が自宅に来てやってくれるなら、と共感して仕事をくれました。その後も、口コミで広がっていきました。最初に、自分には営業力が足りないと営業に関して勉強したのですが、結果、これまで営業活動らしい営業はしないまま、紹介の紹介……といった感じで仕事をもらっています。
足と靴のカウンセリング・インソール製造販売
紹介で来てくださった方。資金も無かったので、手作りでちらしを作り、ポスティングなどを行いました。また、百貨店の催事や病院での催しものなどに出展させて頂き、そのような場所で、「足と靴の相談会」などを実施し、少しでも多くの方に知っていただけるよう努力をしました。
コミュニティレストラン&デイサービスの運営
当時は「コミュニティカフェ」という言葉も概念もなかったですから、高齢者に配慮したレストランなので「シルバーレストラン」と呼ばれて非常に珍しがられ、メディアに頻繁に取り上げられました。それを見た近所の団地に暮らす高齢の方が、わざわざ店を探して来てくれました。
タイと日本の国際交流ビジネスを目指す
起業する前から、自分がどんな仕事ができるかをブログなどでアピールしていたら、身近な方々から声をかけていただき、特に最初は営業をしませんでした。ただし、営業は好きなので「ここはいいかも」と思ったところには、すぐに電話かメールをしてアポイントを取ります。
筆文字デザイン・デザインアートプロデュース
最初はお隣の表札を無料で作らせてもらいました。そしてそのお友達が新築をされるので注文をいただいたのが一番最初です。その表札が情報紙に取り上げられ、それが元で新聞やテレビで紹介されたのです。その後は営業はしていません。紹介や口コミで今まで続いています。
人生設計を手伝うファイナンシャル・プランナー
個別相談は、FP協会の上級資格(CFP®)認定制度に登録。日本FP協会からの紹介で相談業務を開始しました。
執筆は、親方が企画した冊子で、小さな原稿を担当しました。
講演は、FP業界の勉強会でできた人的ネットワークからの紹介で公共機関の講師を体験しました。
ミルク酵母パンの製造・販売
開店前からTV取材が決まっていたので、工事中からガラス前面にオープンを知らせ、開店時は客が殺到しました。もちろん、オープンの案内は、それまでにパンを通じて知り合った人々、お友達、パンの生徒さん、得意先の人などに知らせ、小さな開店パーテイとしました。
自慢のスイーツも販売するカフェの経営
まったく広告費をかけなかったので、店舗近隣の方やその方々の口コミで来てくれたのが、最初のお客さまです。その後も特に広告・宣伝をしていないのですが、地域誌などに記事として取り上げてもらい、またそれをみた方が来てくれたりと、口コミで広がっていきました。
コミュニティFM放送局の運営
地域の商店や企業への飛び込み営業です。開局前に、スポンサーがいることを証明する同意書をもらわないと、放送局としての許可が降りないと言われたので、何度も門前払いを受けながらも粘り強くコミュニティFMについて説明して、開局前に198社の同意を得られました。
天草の自然海塩の製造・卸し・販売
お店に来ていただいたお客さまが最初ですが、店で待っているだけでは商品をアピールできないので、デパートなどで開催される県内外の物産展に出店していきました。また、出店中にはデパートの食品売り場を回って営業活動をするなど、縁(塩)をつないでいきました。
人事制度改革アドバイス・マーケティング事業
製造業の社長さんから退職金問題のコンサルティングの仕事をいただきました。この方とは異業種交流会で席が近かったことが最初の出会いでした。その後、封書の手紙を出し、出会いへの感謝を申し上げたことに感激してくださり、仕事をいただくことができました。
子どもの金銭教育
最初の大きな仕事は、ファイナンシャルプランナー資格講座のライブ新規講座開講で、オリジナルカリキュラム作成、全講師のマネジメント、メイン講師を担当しました。福岡でも地元に力のある講師がいます、と福岡の責任者への売込みが成功した事例です。
緩和ケアの診療所、在宅ホスピス医
自由な医療がしたいと医師会に所属せず開業したので、ビル2階で看板も見えないくらいひっそりと始めました。しかし、以前に勤務していた病院の患者さんや、私が出演したラジオなどを聞いて探していらっしゃる方など口コミで少しずつ増えていきました。
アイスクリーム販売とレストランの運営
最初のお客さまは、ゴルフ帰りに「いちご狩り」の看板を見て気になっていた方が来てくれました。あまり宣伝はしていなくて、ほとんどクチコミです。だから、お客さまとのコミュニケーションはとっても大切にしています。黄色の建物も目立ちますし。
安心、快適なオーダーメイドウィッグサロン
もとの会社のお客様がとても喜んで駆けつけてくれ、今もずっと来店してくださっています。来てよかったと思っていただける接客、高い技術を心がけ、兵庫県全域のみならず、大阪、三重、奈良、鳥取、等の遠方から定期的に来店してくださっています。
多言語にわたる翻訳・通訳・語学教育サービス
起業当初、公民館などを利用して中国茶の講座を開いたあと、即売という形で販売もしていましたので、最初のお客様は講座に参加してくれた一般の方々でした。小売りや営業の経験がなかったので、ちょっと強引な売り方だったかもしれません。
スリング、育児用品の製造・販売
最初の頃は助産師さんにチラシを配って、スリングが必要そうな方(新生児を持つママで腱鞘炎などに罹患している・しそうな方)に渡して頂きました。チラシを見て電話を頂いた方のところへ出向き、スリングの使い方などを説明しました。
旅館経営をベースに地域を活性化
もともとこの旅館についていたお客様にも、もちろんご案内しましたが、前経営者が70歳を過ぎた年配の方だったので、新規のお客様の開拓が多かったです。ホームページを作って、インターネットで予約をできるようにしました。
農家の女性がつくった里山のレストラン
ドライフラワーの販売については、講習会、デパートや店舗などへ直接売り込みに歩きました。レストランについては、地元のテレビ局、ラジオ局、新聞社などに宣伝に行くことで、お客様に知ってもらえるよう努力しました。
ライフオーガナイザー資格制度を創設
週末起業の仕事の最初のお客様は、インターネットからでした。営業は全てオンライン上で行い、基本的にホームページとブログやメルマガでの集客しか行っていませんでした。いまもやり方は大きく変わっていません。
スパの企画運営・教育・コンサルティング
スパのアカデミーの生徒が最初のお客さまでしょうか。ネットなどで告知して集客しました。スパの運営やコンサルティングに関しては、こちらから営業活動は特にしていませんでしたが、声をかけてもらいました。
ラム酒の製造・販売
最初のお客様は、南大東島のみなさんです。
島でできたお酒なので、まずは、島の人々に飲んでもらいたい、という思いでした。
島内放送を使って、島内中にラム酒の誕生と島内先行販売の案内をしました。
オーガニックに特化した飲料メーカー
三井住友銀行本店の役員食堂が最初のお客さんでした。ずっと営業職でしたから、営業活動は得意中の得意でした。決裁権のある方を狙って、とにかく飛び込み営業。それが基本です。
障害者就労、環境問題など地域課題の解決に挑戦
回収車に乗って地域を回り、段ボールが積んであると、「回収させてもらってもいいですか?」と飛び込みで声をかけた。何もPRするチラシも持たずに、口だけの営業でした。
ホームページ制作・マーケティングリサーチ
最初のお客さんからはホームページを通じてご依頼をいただきました。18日に会社を設立して、その夜に自社のホームページを作りました。最初の依頼はその1週間後でした。
主婦のチカラをプロデュース
人の紹介、昔の知り合いから広がっていきました。あとはイベントや情報紙を作り、参加企業や広告出稿主を募ったことがきっかけとなって続いていきました。
イベントの司会・演出・総合プロデュース
飛び込みで営業にいきました。
司会の仕事がとれるように、ホテル・婚礼式場などに挨拶回りをしたり、行政にも紹介して頂いて、挨拶に伺いました。
心の教育プログラムを提供
プロアが提供するプログラムがお客様の人生にどう影響を与えられるか、参加することでどんな結果が得られるのかを効果的にお話しました。
働くお母さんを支える病児ケアと家事代行
創業の翌日に毎日新聞に掲載され、その日のうちにお客様と仕事をしてみたいというスタッフから100件近い電話がかかってきました。
家族向け日帰り温泉
雑誌社に営業をしました。また、オープン3日前に新聞の広告をうち、オープン前日に鹿児島市内の繁華街でチラシを配布しました。
オーダーメイドサプリメントの販売・企画
宣伝広告もしなかったので、とにかく来ていただいた方が満足していただくこと、口コミで広げてもらえることを目指しました。
活魚・鮮魚や水産加工品の製造・販売
地元で開催されていた朝市に参加し、家族が漁獲した新鮮な魚を直売。その時に買っていただいた方が最初のお客さまです。
医療子育て相談・代替医療
出産後に引き受けた育児サークルの会報誌に開業記事を出し、それをみて来てくれました。その後は口コミがほとんど。
イーコマースに関するコンサルティング・支援事業
フリーのSE時代、最後に一緒のプロジェクトをした会社が、環境を整えた上で仕事を発注してくださいました。
いのちと食べ物の本当の関係を伝える
これまでの仕事と提案書を持って、気に入った商品を作っている会社にアポイントを取って営業しました。
シックハウスを作らない設計事務所を目指す
口コミからの紹介。今も90パーセントが口コミからの紹介なので、チラシは撒いたことがありません。
お母さんを応援したい・ベビーシッター会社
雑誌と新聞を見たという方がほとんどです。
その後は口コミで広がりました。
働き続けたいという要望に応えるネットオフィス
それまでの仕事(ライター)の中で、知り合った方へ営業しました。
言語障害・発達障害の子どもと親のサポート
もともといた会員がお客様ともいえるでしょう。
自然素材のみを活用した石けん等の製造・販売
インターネットでの受注で、県外の女性でした。
玄米せんべいで食の大切さを訴える
友人や知人に、商品を配ってまわりました。
女性の身体をケアするための複合施設
おっぱいサロンのお客様からの口コミです。
大切なペットとの別れを手助けする訪問火葬
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