家族向け日帰り温泉
「女性である」ということが、とても強みになったと思います。
起業を思い立ってから、会う方は全て男性ばかりでした。最初は私の顔を見て、開業計画書もあまり真剣に見てもらえませんでした。大工、庭師など、いわゆる「男社会」の職人さん達にも、最初はなかなか受け入れてもらえませんでした。
けれど、今思い返すと、それをバネに、がんばってやってこれたのだと思います。
今は、開業時から知り合いになった男性の方達からも「がんばってるね」と言ってもらえるようになり、温泉の宣伝もしてくれるようになりました。
そして、最初はなかなか取り合ってくれなかった「蒸留樽」の職人さんも「女性なのに、がんばってるね」と励ましてくれてます。今では、私の気持ちをとてもよく理解してくれます。受注先の焼酎の会社で一緒に交渉などもしてくれるようになりました。
そして、鹿児島の起業している女性のグループ「さつま女性起業家塾」の方々と出会い、一緒に勉強できたこと、「女性の起業した店」としてメディアでも取り上げてくれること、などです。
始めは何で女なんかに生まれたのだろうと悔やんだ時もありましたが、今は女に生まれて良かったと、心から思います。
人事制度改革アドバイス・マーケティング事業
うまく起業できたとは、いまだに思っていません。準備も努力も足りませんでした。でも「絶対にこの生き方をあきらめない!」という意志と、「中小企業の永続のために」という企業理念、「女性の輪をつくって賢い女性を増やし、日本を賢い国にする」という自分自身の使命に、回り道をしながらも気づくことができたことで、辞めないでやってこられたという自負はあります。そして、地の利も人脈もない土地で起業したからこそ、気力と気迫で動き回れたと思いますので、今では知らない土地で起業してよかったと思っています。お金があると怠けますし、友人がたくさんいると思うと「きっと助けてもらえる」と努力を怠りがちですし、助けてくれない友人をうらんだりしたかもしれませんから。
山形の伝統を残す漬物の製造販売
社会からの疎外感を味わったことでしょうか。やっと妊娠をしたら「前置胎盤」という異常妊娠で、妊娠中も安静にしていなくてはいけませんでしたし、子どもが生まれて1年間は家業の手伝いも休んで、子育てに集中していました。疎外感を味わい、心から打ち込める仕事を持ちたいと切に望んだことも。それが原動力になったことは確かです。年を重ねるごとに女性は再就職が難しくなっていきますし、自分ではスキルがあると思っても、その職歴や学歴がかえって再就職の妨げになったり……。結婚前はそんな経験もしています。だから、女性は自分の仕事は自分で切り開かねば、という熱い想いが根底にありました。その想いが私の起業の助けになったのではないでしょうか。
全国に眠る8mmフィルムを蘇らせる会社
準備に10年を費やしたこと。
サラリーマン時代、社内外で「将来は起業」と公言しながら貪欲に働きました。特に、営業の経験が積めたことで、営業の本質を知り、技を身につけることができました。
結婚相手が素晴らしい男性だったこと。
私の「起業したい」という思いを理解し、心から応援してくれる人と結婚することができました。仕事を共にしてはいませんが、いつもよき相談相手です。起業後2年間、私は家計に全く貢献できませんでしたが、彼の収入のおかげで生活を心配することなく起業に打ち込めました。また、出産後は彼が1年間育児休暇を取り、育児・家事を全て担当してくれました。彼の両親も私を応援してくれていて、良い家に嫁いだと思います。
ラム酒の製造・販売
素人だから!
酒は飲む専門で、酒屋の娘でもなく、酒屋で働いたこともなく、経営に関してもまったくのド素人。もし、業界のことを知っていたら、きっと起業は難しく、起業しようとすら思わなかったはず。素人は素人なりに進めばいいのです。プロ(既に業界に存在するメーカーさん)と同じようにやりたくてもなかなか追いつきませんし、やりきれません。だから、いいのです。自分なり(素人)のやり方で、という楽天的な考え方だからかも。
なんでもひとりでやらない!
素直にみんなに助けを求め、みんなの力を借りる!自分で出来ることは、自分で一生懸命する。自分が出来ないことは、丁寧にお願いして、やってもらう。
子どもの金銭教育
子どもの頃から「女もひとりで生きていけるだけの稼ぎはあるように」と親から言われ育っていたので、やるからには「仕事にする」という心構えはできていました。社会のためになる生き方をしていれば、後からお金はついてくると信じていたし、今でもそう信じていることが強みでしょう。
人の真似をしない動き、世の中の半歩先を行く活動を心がけ、少なくとも自分の仕事をするエリアでは誰もやっていないことにチャレンジし、誰かと競うようなことはしなかったのもよかったといえることでしょう。
実績で説明しなければ何をやる仕事なのか理解してはもらえなかったので、とにかく実績を作ることを考えました。
超初心者を対象としたパソコン教室
一言でいえば、あきらめなかったことでしょう。資金もコネも場所もないと、ないないづくしでしたが、私にはアイデアがありました。資金がないのなら、生徒に自分のノートパソコンを持参してもらえば、設備投資費がゼロになるうえに、自分のパソコンなので覚えも早い。コネがないのなら、これから人脈を広げてコネをつくっていけばいい。場所がないなら、公共施設を借りれば安くなるうえに信用にもつながる。そうやって、マイナスをプラスに変えるよう発想を転換しました。ないないづくしでも、発想を変えれば弱みが強みになりますから、発想転換は起業には、とっても大切なことだといえます。
ウェブサイトでユーザー参加型の商品開発
支援者・応援者が多かったことです。現在も、大学教授やOB/OGをはじめとする、多くの人たちに支援、指導をしてもらっています。また、慶應義塾大学には、KIEPというインキュベーションコミュニティを中心としたサポート体制が整っています。右も左も分からない中で、そうしたサポート体制の充実は、貴重でした。一人で立とうとして、一人では決して立つことはできないことを痛感し、現実の厳しさと同時に、人の温かさを知って感謝の気持ちを持つことができたことが、くじけずに挑戦を続けられた一番の原動力だと思います。
スパの企画運営・教育・コンサルティング
それまでの仕事経験を生かしたことでしょうか。リーバイ・ストラウス ジャパンまでの間に、「理論立てて、売って、仕掛ける」という一連をみっちり学んだと思っていますし、「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」では人材教育の重要性を学び、「フェニックス・シーガイア・リゾート」では、マルチターゲットに応えるために、それまでの学びをすべて生かしていきました。今の事業も同じです。これまでの経験を生かすことができたから、起業すること自体に難しさはなかったのだと思います。
ハウスクリーニング事業のパイオニア
「ハウスクリーニングサービス」は、家事の助けになることはもちろん、家事の好きな女性の雇用の創出につながると確信していました。そうすれば女性が行なう家事の地位そのものが上がるに違いないと思い、行動してきたのです。
また、ベンチャービジネスとは言うものの、ハウスクリーニングは、古くて新しいビジネスの分野です。暮らしの中で必要とされる地味なビジネスは好不況の波に流されない、堅実な事業だったから、成長できたのだと思います。
生活弱者のための日常生活サポート事業
何よりもフットワークの軽さだと思います。人脈もほしい、情報もほしい。だったら、人とのつながりを増やさなくてはと、ビジネスセミナーや異業種交流会など、とにかく人が集まるところには参加するようにしました。これは今も変わらずです。知り合いがイベントを開催すると聞けば、お手伝いを買って出て、人とのつながりを増やしています。活動に共鳴してくれる仲間は多いほど心強いですが、人にしゃべらないと仲間も増えないし、伝わりませんから。
ハウスクリーニング・家事代行・整理収納
起業する際にお金がなかったことで大変な思いもしましたが、お金がないことがプレッシャーになり、起業するしかないと強く背中を押した結果にもなったと思います。貯蓄がもしたくさんあったら、起業という発想にはつながらなかったかもしれませんし、しっかりした事業を考える努力や、お金がないならないなりに知恵を絞る努力もしなかったかもしれません。また、周囲の多くの方の助けも、起業できた理由のひとつです。感謝してもしきれません。
活魚・鮮魚や水産加工品の製造・販売
一言で言えば、素晴らしい仲間がそろっていたということです。家業がまき網漁をしているため、鮮度抜群の魚が手に入ること。同じ思いを持つ女性たちがメンバーとして仲間に入ってくれたこと。行政が地域を盛り上げるためなら、と事業をするための相談に細かく乗ってくれて連携できたこと。その3つは大きいです。私たちの魚を待っていてくださるお客さまへの責任感も、売り上げが少ない時でも活動を続けるためのモチベーションになりました。
天草の自然海塩の製造・卸し・販売
勇気と情熱とやる気があったからでしょうか。私を奮起させてくれた塩職人の長岡秀則さんは、人間的にも生き方も魅力的な方で、「海が汚れたら、川も山も汚れ、動物は生きていけない」と海を守ることに使命感を持つ人でした。そんな彼の情熱に私が引き寄せられて勇気をもらい、多くの人との縁に支えられてここまでこられたのだと思います。長岡さんは当社の会長だったのですが、その後、塩の研究をもっと深めたいと当社から退きました。
親子のためのスキンケア商品の開発・製造・販売
資金作りのために、販売元が要望する化粧品の企画開発を手がけるOEMを始めました。最初は企画開発のみで実際の製造は他の工場にお願いしていましたが、工場側になかなかこちらの意向が伝わらないので、複数の販売元のOEMを手がけるようになった段階で小さな自社工場を設立しました。OEMは資金の基盤になっただけでなく、販売元からの難しい要望に答えることで研究と製造の技術レベルを上げていくことができました。
映画館の運営、イベント企画・プロデュース
映画館をつくる準備をしているタイミングで、現在、京都シネマが入居する商業施設「COCON烏丸」立ち上げ構想の情報が入ってきたこと。しかし、それ以前に「映画館を京都の街につくりたいんだ」という強い意志と熱意を持ち続け、その計画を具体的に言葉や文章などで対外的に発信し続けていったことが、私が起業できた理由だと思います。その結果、入居先のビルの情報や協力者などの確保につながりました。
働く独身女性のためのシェアハウス
結婚していて夫の給料だけで暮らしていけましたので、最初の3年間は無給でも生活に困ることはありませんでした。専業主婦でいられるということは、女性の起業に対しての最大のリスクヘッジです。あとは、あまり深く考え悩まないことです。会社としての体裁を整えようと資金的無理をしない。女性だから…と思われることはいいことですので利用しました。「見栄」と「恥じらい」を混同しないことです。
シックハウスを作らない設計事務所を目指す
「宣伝をしなかった!」こと。これが幸いし、口コミだけでお客様や相談が増えていったのです。
仕事が無くて苦しい時期、妥協して他の仕事もしたほうがいいとも言われたのですが、自然素材を使った母親の視点から設計をする、という意志を貫きました。他社との差別化を徹底し、その旨をお客様に丁寧に説明する事で競合することが無くなりました。
お母さんを応援したい・ベビーシッター会社
専業主婦のお母さんたちのサポートをしたいという一貫した趣旨を持ち続けたこと。他にいろいろな業種や事業に手を出すことも考えましたが、あちこちに手をひろげなかったことで信頼を得たと思っています。また、子育ての提案を雑誌、新聞に取り上げられたことで話題になったことや、人材を養成・教育してから派遣したことで質のよいサービスと評価されたことだと思います。
人と人とのつながりを紙コップアートで体感
この師の教えに混乱している中、「考えたらアカン!」こうピシャリと言われました。考えた時点でそれはもう自分が知っているものであり、やっていく中で結果から教えられるもの、と聞いたとき、殻がはずれたような感じでした。こうして、「あれこれ考える」ことから「とにかくやってみる」に気持ちをチェンジしたのです。するとオリジナルの作品がどんどん生まれました。
筆文字デザイン・デザインアートプロデュース
自分のコンセプト・スキルや商品・サービスをたくさんの人に伝えることができたのが一番の理由です。
起業する前にボランティアでイベントのお手伝いなどを遊びとしてしていたのが、たくさんの人脈を作るきっかけになったようです。その時、集客や企画など自然に会得できたように思います。
利害関係のない人脈作り、奉仕は進んでやることをおすすめします。
戸建住宅の建築・リフォーム・施工
家に一番長くいるのは誰よりも女性ですから、女性の好みを把握することは重要。私は同じ女性ですから気持ちがわかるので、男性の大工なら埋めてしまうスペースでも「ここに収納スペースをつくりましょうか?」などと提案することができます。男性の多い業界だからこそ、私のような女性の視点が強みになって、お客様に信頼いただけているのだと思います。
ITを駆使して、幅広くビジネス展開
自分のポリシー、スタイルに妥協しなかったことです。私は32歳で経験のなかったコンテンツ制作という新しい分野に飛び込みました。就職した会社でみんなの発想はそれほど面白くないなと感じていましたが(失礼)、会社員でいるかぎり、自分がどんなにいいと思ったプランでも上司がOKしないと世にでないという限界を感じ、思い切って独立しました。
自慢のスイーツも販売するカフェの経営
自分が得意なこと、好きなことを生かした事業をしようと、考えたことが大きいです。まったく経験のない未知の事業でしたら、大きな借金をしても返済に自信がなかったでしょうし、ましてや売り上げを上げることも難しかったはずです。また、自分らしい店にしようと、妥協しなかったことも大きいと思います。
足と靴のカウンセリング・インソール製造販売
何でもやってみることだと思います。色々な本を読んだり話を聞いたりしても、最終的にそれらを自分自身が考えて、実行しなければ「机上の空論」でしかありません。また、実行したからといって成功するとは限りませんが、たくさんの失敗を積み重ねていく上で、よりよい方法というものが見えてきます。
コミュニティレストラン&デイサービスの運営
レストランを開業する以前から、地域で働く女性たちの仲間がいたことは大きいです。出資をしてくれた人は総勢50人いますが、そのほとんどが女性ですし、その人たちは「自分の店」という感覚で店を宣伝してくれたり、常連客になってくれたり、従業員として協力してくれたり……。ありがたかったです。
多言語にわたる翻訳・通訳・語学教育サービス
福島県起業支援室(福島コラッセインキュベートルーム)に入居したことは、すごくプラスでした。建物内に県や市の部署があったり、商工会議所があったので、いろいろな情報が入ってくる環境でした。法人化するときの書類の揃え方なども細かく教えてもらえたので、ひとりでもできたのだと思います。
コミュニティFM放送局の運営
どんな状況に陥っても、あきらめなかったこと。これに尽きますね。神様は乗り越えられない試練は与えないと思うんです。だから、しんどい時も、きっと乗り越えられるから私は生かされているんだと考えて、開局できるまであきらめませんでした。だから、4年の準備期間も耐えられたんだと思います。
オーガニックに特化した飲料メーカー
応援してくれる友人や先輩が回りに大勢いたことだと思います。たとえば、「就業規則は何を基準につくればいいんだろう?」と相談すると、自分が勤める会社の就業規則を教えてくれる人もいました。わからないことは肩肘張らないで、素直に人に聞いて教えてもらう。その姿勢は大事だと思います。
アイスクリーム販売とレストランの運営
「ここにしかない」という資源の活用です。農村風景も商品のひとつですから。また、味も「ここにしかない」にとことんこだわっています。アイスクリームは、地元の旬の素材を使っているので、まさしくここに来ないと食べられない。それが、応援してくれる人やファンを多く得られた理由です。
タイと日本の国際交流ビジネスを目指す
周りの方々からのアドバイスやご協力を受けられたことです。周囲のご協力や応援が一番の理由です。
また、今まで自分が培ってきた人的ネットワークの中で、Win-Winで仕事ができる方々に改めてご相談させていただき、アドバイスをいただけたことも起業できた理由だと思います。
緩和ケアの診療所、在宅ホスピス医
人に恵まれたことでしょうか。起業当時は、自分の哲学をどれだけ貫くか、力を発揮するかばかりにどうしてもとらわれがちです。自分が気づかない基本的なことをスタッフや周囲の方から教えてもらうことが多く、たくさんの勉強をさせてもらいました。
イベントの司会・演出・総合プロデュース
やる気と、時間の使い方と交友関係です。
たくさんの人と会えるように工夫しました。自分の事務仕事は後回しや朝晩にやるようにして、人脈を広げる努力をし、また、2人で商工会議所女性会に入ったり、NPOの立ち上げに参加したりしました。
草木染工房&茶房
思ったことは速やかに実行してみる、ということができたからでしょう。その情熱があったからこそ、たくさんの協力を得られたのだと思います。「こういう条件だからできない」ではなく、「まず行動に移してみる」ことで、次に進めます。
オーダーメイドサプリメントの販売・企画
それまでの仕事でお付き合いのあった業者の方から、ロット数も抑えて仕入れをさせてもらえたことと、主人のお給料があったので、儲けを考えずにお客様に喜んでもらえることだけを考えることができたので、精神的に楽だったことです。
中小企業の健全な経営をサポートするために
正直なところ、うまく独立できた例とは思えません。実際に準備もバタバタしましたし、独立した時点では顧客もゼロでした。本当はもっと、計画的にするべきでしたし、営業しておけばよかったなという反省点もあります。
心の教育プログラムを提供
目的と目標が明確だったことと、まわりの協力を得ることができたこと。
誰かに頼るのではなく、起業した私自身が会社の土台となっていること。終点の映像、いわば、つくりたい最終結果が明確であることです。
ライフオーガナイザー資格制度を創設
まずは週末起業から始め、ある程度の採算性が見込めると判断した時点で正式に起業したこと。またとにかく思いついたらすぐ行動、を実行し続けていったこと。そして自分への投資を怠らなかったことです。
自然・アレルギー対応食品などのネット販売
一番は家族の協力です。夫は経営コンサルタント会社に勤めていましたが、私が起業することには反対せずに、むしろ応援してくれました。今ではビジネスパートナーとして、経理を担当してくれています。
ミルク酵母パンの製造・販売
フェルミエの方々、小寺さん、パオさん、相談にのってくれたWWB JAPANなどの良い人にめぐり合えたことが一番。それには、徹底したパン作りの情熱を持って、人任せでなく努力して動くこと。
人生設計を手伝うファイナンシャル・プランナー
人的ネットワークの構築です。特に、よいタイミングで徒弟制度の募集に応募でき、すばらしい親方にめぐり逢えたことが、いま自分がこの業界でこのように仕事をしている転機となりました。
オリジナル和布製品の製造・卸し・販売
和布が「好き!」という気持ちと、日本の伝統を残していかなくてはいけないという危機感というか、使命感があったことが一番です。好きと使命感、これに尽きるのではないでしょうか。
ニゴロブナを養殖し、昔ながらの「鮒ずし」を復活
資金的にもう限界というときに、ニゴロブナの養殖事業に興味を持って出資したいという企業が現れました。経営理念があることが大事で、何よりも、成功するまで続けることに尽きます。
美濃和紙で作るウエディングドレス
傍目から見たら私の起業は、成功のように見えます。マスコミにも取り上げられ、県や市からの支援もありました。でも今でも自分の起業は正しかったのかどうか考えることがあります。
自然素材のみを活用した石けん等の製造・販売
「阿波藍」を配合した手作り石鹸が他にはなく、全国初の商品でした。
また、藍を育てる農園の話題や私たちの肌の悩みで体験したことなど、他にはない話題を提供できました。
農家の女性がつくった里山のレストラン
一番の反対者だった家族に事業のプレゼンテーションを行えるほど現実的な計画を立てることができたこと。最終的には家族の協力を得られたこと。そして、自分たちの努力です。
玄米せんべいで食の大切さを訴える
うまく起業できたかどうかは、まだわかりません。ただ、県の産業総合支援センターのビジネスインキュベートに入賞していなかったら、会社設立はしていなかったと思います。
旅館経営をベースに地域を活性化
決断したことだと思います。それは、うちのスタッフに対しても求めて、どんなことについても、先延ばしにせず、その場その場で決断していけるように努力しています。
大切なペットとの別れを手助けする訪問火葬
3人の子どもが成人していたことが一番だと思います。
勤務の時間が不規則で食事の支度などできないことも多いのですが、大人ばかりなのでどうにかなります。
働くお母さんを支える病児ケアと家事代行
「働くお母さんにやさしい社会を作りたい」という明確なメッセージを発信することで、仲間ができ、いろいろな人が様々な形で応援してくれたことです。
ホームページ制作・マーケティングリサーチ
起業後にとても素敵な仲間ができたことです。いろいろなところで知恵を貸してくださいました。私一人ではとてもやってこられなかったと思います。
医療子育て相談・代替医療
頭でいろいろ考えたり悩んだりせずに、これは天職だと信じられたこと。いろいろなことが用意されていたかのようにうまくことが運びました。
スリング、育児用品の製造・販売
これで儲けたいといった欲がなかったからかもしれません。そのかわり、「必要としている人に届けたい」という想いが強かったのです。
授乳服の製造・販売
大きな投資をせず、自分の力でできる範囲で自然にゆっくり始め、継続したことと、他の人の力を借りたことだと思っています。
いのちと食べ物の本当の関係を伝える
実績があったこと、その結果、経済的余裕があったこと。また、時代のニーズに合う提案とスキルがあったことだと思います。
主婦のチカラをプロデュース
珍しかったので目立ったことでしょうか。人がやりそうでやっていないので話題性になり、マスコミ取材が頻繁にありました。
イーコマースに関するコンサルティング・支援事業
怒りのエネルギー。ここであきらめたら元どおり、元に戻りたくない、という気持ちが原動力でした。
障害者就労、環境問題など地域課題の解決に挑戦
仕事で培ったコンサルティング力を生かせたことと、いろいろな方から協力を得ることができた。
安心、快適なオーダーメイドウィッグサロン
お客様も取引先も当社も、誰もが喜べるビジネスプランだと信念を持っていたことです。
工夫の巻きずしで町おこし
「マイスター工房八千代」ならではの、おいしい特産品や総菜ができたこと。
働き続けたいという要望に応えるネットオフィス
同じ思いをしている人がたくさんいて、仲間となってくれたことです。
バイオ苗の研究開発・生産・販売
農林金融公庫から5000万円の融資をうけられたことです。
言語障害・発達障害の子どもと親のサポート
同じ志を持った人材がいて、その目標が一致したので。
女性の身体をケアするための複合施設
はじめにネットワークを広げていたことだと思います。