ウェブサイトでユーザー参加型の商品開発
お金も実務経験も業界知識も業界ネットワークもない、まさにゼロからのスタートだったので、何から何まで苦労しました。「資本政策」や「投資契約」など、ほとんど聞いたこともなく、「モノづくり」も、未知の世界。分業化が進んだ鞄業界では、生地屋、生地加工業者、裁断屋、縫製職人などの協力を得なければなりません。協力工場を探すのに苦労し、イメージ通りの商品を作るまでに、更に苦労しました。職人さんの言葉は、専門的で、ほとんど外国語のように感じられました。自分たちでイメージ通りの素材を探してきて、パターンを起こし、仕様書に落とし、職人さんの言葉で発注できるようになるまで、何度もサンプルをつくり直し、試行錯誤を重ねました。イメージ通りの商品ができても、販路を見つけることが大変でした。商品サンプルを持って、小売店に飛び込み営業をしましたが、商品すら見てもらえず、門前払いの毎日でした。大手量販店での取り扱いが決まっても、流通業における商慣行の理解に苦しみ、予想外に大量の在庫を抱えてしまったこともありました。また、事業計画上、お客様とダイレクトにコミュニケーションを図ることができるオンラインショップは不可欠でしたが、ECサイトの構築にも非常に苦労しました。
それ以前に、もっと日常的なレベルでも、チーム・マネジメントや、契約書や請求書の書き方、ビジネスマナー、自己管理など、あらゆることに躓き、悩みながら、一歩一歩進んで来ました。
全国に眠る8mmフィルムを蘇らせる会社
起業直後に実母が末期ガンだと分かり、精神的に起業を続けられなくなりました。何もする気がおきなくて、仕事を与えられるサラリーマンと、仕事を創り出す経営者、この違いを実感しました。仕事とプライベートの両立についても、時間的に区切りがないので、経営者の方が難しい部分があるとわかりました。結果を出してこそ経営者。お金を稼げない経営者は誰も付き合ってくれないと身に染みました。
起業社長の守備範囲が想像以上に広いことにも苦労しました。
事業計画、広報、営業、制作、経理、人事、雑務…全てを自分でやらなければなりません。サラリーマン時代は部下を持ちチームで取り組んでいたので、なおさら落差が激しかったです。自分でチラシを書き、コピーして、飛び込み営業して、受注して、制作して、経理処理して…黙々と取り組みました。まだ事務所に私を含め3人しかいない時、空いたスペースに「将来はここに制作スタッフが座って、パソコンが何台並んで…」とスタッフに夢を語っていました。(15人体制となった今は、夢が現実になりました)
アイスクリーム販売とレストランの運営
いちご狩り農園を始める時は、家族の反対を押し切って始めたわけですから、とにかく意地を貫くことでしょうか。アイスクリーム販売の時は、これだ!といえるオリジナルの味をつくっていくのが大変でした。でも一番大変だったのは、アイスクリームの販売を始めて観光農園化した時。この場所は農地なので、農業以外やってはいけない市街化調整区域だから、物は売ってはいけないと行政に言われて……。けれども、ただ農業をするだけでは地域が衰退してしまう。都会の人が観光で訪れることで農業に関心を持ってもらうこともできるし、雇用が生まれれば農家の女性たちの自立にもつながるなどと、1年をかけて説得。どうにか特区(*)として認めてもらい、ドライブインとしての許可を何とか取りました。
(*)構造改革特区のこと。特区とは、国の規制によって民間企業や公共団体などの事業や活動の妨げていることから、民間企業や公共団体などの発案によって、地域特性に応じて規制の緩和を行う特定の地域(特区)。
映画館の運営、イベント企画・プロデュース
場所探しと、資金確保、スタッフの確保のすべてです。映画館は3スクリーンほしかったですし、劇場としてのクォリティの高さや椅子、内装、音響設備には、こだわりました。また、ホスピタリティーのある接客ができる映画館にもしたかった。そうすると、どうしても場所も、資金も、人材も必要になります。幸い場所は、旧丸紅ビルをリノベーション(再生)し商業施設「COCON烏丸」ができる情報が入ってきて、ビル側も映画館を入れたいという構想がありましたし、私のコンセプトとも一致。このビルに入居が決まったことが、出資者や借り入れをした金融機関への説得材料になりました。また、内装の構想を練る中で、3スクリーンあっても映画館の中であるホワイエ(ロビー)をシネコンのようにオープンにすることで比較的少ないスタッフで対応できるように設計してもらいました。資金をかけるところ、抑えるところのメリハリも踏まえていきました。
超初心者を対象としたパソコン教室
宣伝方法がまったくわからなかったことです。普通の主婦ですから、まとまった資金もなく、教室の集客につながるようなコネもないまま、起業を思い立ってしまったものですから大変でした。そんな時、いつものように広報誌などが置いてあるスタンドで「渋谷区広報」を取って、電車で眺めていました。そこで、区民コーナーの会員募集の欄が目に留まったのです。「そうだ、ここに載せてもらおう」と思い立ち、さっそく区役所の広報へ依頼に行きました。ところが、今ほどノートパソコンが一般的ではない頃でしたので、「安く教室を開催して、悪徳な商売をするのでは?」という疑いの目で見られたりして……。広報の担当者に、何度も頭を下げて、私の熱意と人柄を見てもらい、その結果、広報誌に無料で掲載してもらえることになりました。おかげで、集客することができました。
バイオ苗の研究開発・生産・販売
担保もなく、資金をどうするかが一番苦労しました。中山間地域なので、農地山林合わせても、5000万円の評価を持つ不動産が無かったのです。担保能力が無いところに融資をすることは、当時考えられないことでしたが、支店長に「国土の半分が中山間地域という日本において、農業に熱心に取り組もうというやる気のある人を応援しなくて、いったい誰に農業をやってもらうのですか」と強く訴えて、支店長の英断で融資が決まりました。
また、苦労したとは言えないかもしれませんが、子育て、家事、仕事などに追われて、30代40代をどのように過ごしてきたかあまり覚えていません。それほど多忙な毎日で、時には、山ほどある洗濯ものをたたみながら、女性の社長はなかなか大変だなと思いました。でもこの大変さのお陰で、苦労の中に明るく生きる方法を見つけました。
家族向け日帰り温泉
事業計画書を携え商工会議所を始め県庁、公庫等でどんなに懇願しても、特殊公衆浴場に属する為、融資が受けられないという返事ばかりでした。結局、飲食店開業の為の資金と、長年自営業をしていた父の信用で、銀行から融資を受けることができました。
もう1つ、両親を含めた周囲の反対というのもありました。指宿は「砂蒸し」で有名な温泉処。蛇口をひねると温泉が出てくる「配湯」というシステムがあり、一般の公衆浴場は数え切れないほどあります。商売にはならないのではと言われました。それなら指宿には無い温泉、貸切風呂を作るしかない、と私は思いました。
皆を説得するために、街頭アンケートや交通量調査も行い、その結果、たくさんの方が貸切の温泉に興味を持っているということが分かり、反対していた両親や親戚に納得してもらえました。
子どもの金銭教育
一人で事業をするということはすべてを自分でやらなくてはいけないということに創業してから気付き、指導を受ける場所も相談する場所もどこにあるのかがわからなかったので、とにかく勉強会と聞けば参加し、なんでも吸収しようと動き回りました。
パソコンも使えない状態でしたので、上手な人に聞きながら仕事で使えるレベルになりました。
ほか、長男が小学生、二男が2歳の子育て中でしたから、夫の手助けを得られないときの自宅外での仕事時の保育が問題でした。幸いにも、365日、不定期でも子どもを早朝から遅くまで預けることのできる保育園が見つかったので仕事を続けることができました。それでも、仕事と家事と子育てのバランスをとった時間調整は難しく、お金よりも時間のやりくりで苦労していました。
生活弱者のための日常生活サポート事業
一番は資金がなかったことです。ビジネスプランコンテスト「みやぎ元気起業家コンテスト」に参加し、3位入賞を果たしたのですが、このコンテストは受賞すると県の融資制度を活用できるという話で、それも狙いでした。しかし、NPO法人の場合は融資を受けられないという話が土壇場になってわかり困ってしまいました。コンテストの賞金として10万円獲得したものの、法人化のための印鑑づくりで消えていましたし、事業を開始すると、人件費や運転資金もかかります。そこで、事業への熱意を作文として綴って、NPO法人にも融資してくれる山形の殖産銀行(現・きらやか銀行)から融資を受けました。
自然・アレルギー対応食品などのネット販売
何といっても、仕入れ先探しです。ビジネスの経験もない主婦であることから、なかなか信用してもらえず、自然食品のメーカーなどに何十件も問い合わせましたが、まったく相手にしてもらえませんでした。ところが、ある晩、私が多数の企業に問い合わせていることを知った人が、「名前や立場は明かせないけれど、あなたががんばっているから」と、仕入れ先を紹介してくれたのです。おかげで仕入れ先が見つかり、ビジネスをスタートすることができました。いまだに、その方が誰だったのかわかりませんが、その方のおかげで今があると思っています。
イベントの司会・演出・総合プロデュース
個人事業と会社の区別です。
2人で立ち上げて拡げていきたいということで、最初から法人化を選びました。ただ、私たちの周りには音楽家・フリーのアナウンサーなど、個人事業としてやっている人も多くいます。婚礼司会などではフリーの人と同じ扱いの場合も多く、会社法人として何がメリットなのか、わからなくなることもありました。でも事業を拡げていく上では、やはり会社にしてよかったと思います。契約を交わす場合も会社のほうが信用してくれますし、2人でやっていくには、やはり会社組織のほうがいろいろな面でやりやすいと思います。
山形の伝統を残す漬物の製造販売
企業組合を立ち上げる時でいえば、設立のための書類づくりが大変でした。販売職の後は家業の醤油製造業の手伝いと、10年近く事務の仕事をしていなかったので、何が何やらわからなくて。地元の中小企業団体中央会に相談しました。また、楽しみのために購入したパソコンも、マウスの使い方から始まり、ワード、エクセルなどのソフトの使い方は独学で覚えました。会社勤めをしていると、ちょっとした疑問は隣の席の人に教えてもらったりできますが、ひとりだと本を手に2、3時間もかかってしまう。ひとりのつらさが身にしみました。
コミュニティFM放送局の運営
やっぱり資金です。いくらコミュニティラジオといってもラジオ局ですから、施設に機材に人材確保にとお金がかかります。私が開局した当時は、平均で8000万円かかると言われて呆然としました。主婦が貯金として持っている額ではありません。夫に頭を下げて、将来のために蓄えてあった貯金を開局の資金に充て、自宅や土地を担保に入れて国民生活金融公庫から借り入れ、友人から出資を受けて……。どうにか5000万円を集めて放送機材や建物の改装費に充て、局内の備品は手づくりするなどして開局しました。
授乳服の製造・販売
マーケット自体がなかった商品なので、助産師さんや雑誌編集者さんなどいろいろな方に意見をお聞きしましたが、誰に聞いても「皆産むことで頭がいっぱいだし、産んでしまったら自分のことに気が回らなくて我慢してしまうし、絶対に売れないよ」と言われました。
確かに実際に授乳中の人たちはその通りの反応だったし、1万円の商品を見ても「2千円だったら買うけどね」といった反応も。まずは、「授乳服とは」ということを広めるのに長い時間がかかりました。
コミュニティレストラン&デイサービスの運営
最初は、ライターやイラストレーターとしての仕事とレストラン運営の仕事を掛け持ちでしていたので、時間的にも精神的にも体力的にも限界ぎりぎりでした。つらかったです。また、当初は3人で始めましたが、法人格がなかったため、金融機関からの融資や物件の賃借契約などの名義など、どうしても個人の肩に負担がかかり、それも大変でした。NPO法人になってからは、気持ち的にも楽になりました。
天草の自然海塩の製造・卸し・販売
資金があまりなかったので、いかに低資金で古民家のような雰囲気のある内外装にして、多くの方にお店を知ってもらうか、ということに知恵を絞りました。また、当初は販売利益を考えず、安く販売してしまい採算が合わない、ということもありました。それに気づいてからは卸し販売を強化するなど対策を練っていきましたが、最初の2年くらいは、売り上げがなかなか立たず、本当に厳しかったです。
多言語にわたる翻訳・通訳・語学教育サービス
中国茶の輸入ルートが確立していたこともあり、起業すればすぐに輸入販売が可能だと思っていたんです。でも実際は、輸入届を提出したり、食品審査を受けたり、様々な手続きがありました。事前に調べておけばよかったことですが、始めてからわかることも多く、苦労しました。あとは、法人になるときに定款を作成したり、法務局への書類提出などをすべて自分で行ったので、大変でした。
親子のためのスキンケア商品の開発・製造・販売
化粧品会社を経営することや事業展開に関して全く知識がなかったので、一から自分で始めなくてはいけませんでした。広告を打たないと始まらないと思い、最初の段階で、資本金の1/4を投入して某女性誌の見開きに広告を出しましたが、石けんが2つ売れただけ。その後は、親に借金をしたり、銀行に融資をお願いしたり…、商品を世に出すための資金的体力づくりが一番の課題でした。
緩和ケアの診療所、在宅ホスピス医
看護師は、働きたいと言ってくれるスタッフがたくさんいたのですが、幼い子どもの面倒を見てもらうためのベビーシッターと、医療事務を担当してくれる事務員はなかなか見つからず、焦りました。本業である医療に関する知識はあっても、経理などの知識がなかったため、医療事務員は必須。幸い直前になって、人からの紹介で適任者が見つかりましたが、当時はかなり焦りました。
戸建住宅の建築・リフォーム・施工
見積書の作成です。修業時代は、技術取得に集中していましたし、施工などの現場仕事には自信がありました。しかし、見積もりを自分でつくったことがなかったんです。見積もりは建築業界のかなめですし、さぁ、困ったと。そこで、前職の会社や他社などから図面と見積書を貸してもらい、ふたつを照らし合わせながら数字の根拠を割り出すことで勉強し、クリアしました。
ミルク酵母パンの製造・販売
いくら、味がよく売れるからといっても、銀行やお役所は通りいっぺんの過去の実績や担保と言って、なかなか貸してくれなかったこと。実際に近所の銀行さんでは、調査した結果、パン店を開く市場価値が見当たらなかったそうです。銀行はそういう所と割り切れればいいのですが。
店探しが一番大変だったのですが、それも資金ゆえかもしれません。
自慢のスイーツも販売するカフェの経営
何といっても、資金調達です。離婚で分与されたマンションを売ったり、身の回りのものを質屋に入れたりして自己資金をつくり、金融機関から融資を得ましたが、金融機関に資金の相談をすることも初めてのこと。交渉には時間もかかりましたし、厨房機器の購入や駐車場スペースの整備などで追加融資を依頼したりと、資金の工面は本当に大変でした。
オーガニックに特化した飲料メーカー
ありませんでした。初めて雇った従業員がまさかの退職をして落ち込んだことも、取引先が倒産して真っ青になったことも、取り込み詐欺に遭って悔いたこともあります。確かに、その時はショックですが、それを苦労だとは思っていません。前に壁が立ちはだかっても、壁は超える楽しみがあるものですし、失敗は改善のもとだと思っています。
人事制度改革アドバイス・マーケティング事業
結婚を機に、地縁も人脈もない名古屋に移転し、起業したので、とにかく不安でつらかったです。現在、起業6年にして、約6000人の方と名刺交換をさせていただきましたが、起業して3年間は、とにかくありとあらゆる異業種交流会に顔を出して、「伊藤麻美を知ってもらう活動」に勤しむことで、人脈構築を行っていきました。
活魚・鮮魚や水産加工品の製造・販売
活魚の販売を行っている漁村女性グループは、他の都道府県でも見本となる取り組みがなかったことです。また、最初のうちはどういったところに販売に行けばよいのかもわかりませんでした。自然の生きものを扱っているので、要領がわからず販売先に到着するまでに、活魚を死なせてしまったこともありました。
人と人とのつながりを紙コップアートで体感
師からまず言われたことは「世界で誰もやったことのないことをしなさい」という言葉でした。今までの受験勉強で教えられてきたものは、見たものを上手に描くという事で “ワザ”や“上手く見せるテクニック”。これにしがみついている簡単さ、オリジナルは考えれば考える程難しいものだと痛感しました。
タイと日本の国際交流ビジネスを目指す
自分が行ないたい事業を客観的な視点から見て、市場にマッチしているのか考えることです。
自分が「良い」と思っても、人から見たら「独りよがり」である場合が多かったので、色々な方からアドバイスをいただきました。耳が痛くなったり、もうこれ以上考えられないと思うこともあり辛かったです。
ハウスクリーニング事業のパイオニア
創業当時、少しでも自分の会社の存在を知ってもらおうと、人に会う度に会社の宣伝をして回りました。しかし、名刺を渡した途端、「掃除なら家で妻がやってるよ」とほとんどの男性に言葉を返されました。「家の掃除は妻である女性がやるもの」という世間の常識の壁が大きく立ちはだかっていたのです。
オリジナル和布製品の製造・卸し・販売
雑貨店をつくり、子ども服ブランドを立ち上げた時は、若かったですし、売り方も値付けも原価計算も知らなくて……。手さぐりでやりながら、覚えていきました。今振り返ると大変だったと思いますが、当時はあまり大変とは思っていなかったような気もします。
美濃和紙で作るウエディングドレス
起業時の苦労は、たいしたことはありません。その時は、夢が一杯ですから。それよりも大変なのは、会社を起こしてからです。いかに継続していくか毎日立ちはだかってくる壁を乗り越えて志を胸に、歯を食いしばり頑張っていく気力を持ち続けることです。
女性の身体をケアするための複合施設
鍼灸の資格を取るまでは、広告宣伝などは私がおこない、治療は先生方にやってもらいました。収入はすべて先生に差し上げていたので、収入の道としてやっていた学習塾と子育て、学生としての学業と見習いの身としての修行で寝る時間がありませんでした。
ニゴロブナを養殖し、昔ながらの「鮒ずし」を復活
ニゴロブナの養殖技術は確立されていなくて、独学しか方法がありませんでした。国家事業で40年前に農地として開拓された地で、養殖池をつくり、事業を行うというベンチャービジネスを周囲の農家や行政にもなかなか理解してもらえなかったことです。
主婦のチカラをプロデュース
もともと起業を予定していなかったので、独立資金を持たないまま創業したため、運転資金に苦しみました。また、「主婦の声を生かす」という商品は、目に見えないため、地方では業務内容がなかなか伝わらず、当初は仕事が受注できませんでした。
ハウスクリーニング・家事代行・整理収納
何といっても、お金がなかったことです。就職を断念して起業することになったので、起業のために貯蓄していなかったからです。そこで、保険を解約したり、身の回りの服やバッグなどを質屋やリサイクルショップに売って資金に変えました。
工夫の巻きずしで町おこし
メインとなる商品を生み出すことと、スタッフのやる気を起こすこと。
スタッフ間の意志の疎通を図り、ローテーションを組み、うまく稼動するようになるまでの経過。
加工部分とカルチャー部門との連携と、ビジネス感覚をもつこと。
草木染工房&茶房
資金を持たない出発でしたので、運転資金不足で企画している半分も実行に移せないことが残念でした。軌道に乗るまでの間、子どもたちにかかる費用さえ不足していました。
そこで、徹底的にお金をかけない工夫をしました。
人生設計を手伝うファイナンシャル・プランナー
業界で仕事をしていく上でのノウハウ等の習得です。執筆やセミナー、個別相談など全てが自分の経験の積み重ねによってしかノウハウを蓄積できないので、誰かの真似をするのではなく、自分の手作り感覚で仕事に臨みました。
旅館経営をベースに地域を活性化
苦労というよりは、失敗も含めて、一日一日が勉強だという気がしています。私たちのような若くて外から来た人間が一年くらいで地元に認めてもらえるなんて、おこがましいので。お金と信頼は後からついてくればいいです。
スパの企画運営・教育・コンサルティング
それまでに携わった、ITベンチャー立ち上げやホテル再建は、クリアしなくてはいけない条件が山積みで、本当に大変でしたから、それに比べたら、自分で起業するのは何も難しいことはなかったような気がします。
大切なペットとの別れを手助けする訪問火葬
移動火葬車について関東方面の同業者に問い合わせたのですがあまり教えてもらえず、情報を得るのに苦労しました。その後、東京で自動車関係の会社をしている兄に相談して解決することができました。
シックハウスを作らない設計事務所を目指す
宣伝費がなかったことです。資本金は無く、事務所も持てず、主婦で子育てもあり時間の制約がかなりありました。また、無名なため仕事の依頼がなかなかなくアルバイトをしながら続けていました。
足と靴のカウンセリング・インソール製造販売
事業の形態が一般的ではなく、何をやっている店であるかを理解して頂くのに大変時間がかかりました。また、店を知って頂くのにも時間がかかり、当初3年間は資金的にも非常に苦労をしました。
イーコマースに関するコンサルティング・支援事業
子どもがまだ授乳中だったので、育児との両立が最も大変でした。また、それまで専業主婦だったので、私がパソコンにかじりつきだしたことで、夫と家族への影響は大きかったです。
働く独身女性のためのシェアハウス
仲介業を始めた頃は、仕事がなくて暇を持て余しました。シェアハウス事業を始めたときは、まだ実績がない事業だったので、物件を任せてくれるところが見つかりませんでした。
働くお母さんを支える病児ケアと家事代行
当時は、株式会社を作るのに、資本金が1千万円必要。起業には夫を含め95%の人が反対しました。子どものおこづかいまでもらい、1千万円用意するのが大変でした。
お母さんを応援したい・ベビーシッター会社
ここでも新業種ということで銀行が融資相談になかなかのってくれなかったり、パブリシティー、特に某大手新聞社が取材してくれなかったことが辛かったですね。
障害者就労、環境問題など地域課題の解決に挑戦
起業のときよりも、その後の資金繰りに苦労しました。利益を生むのに3年かかりました。あらゆる助成金や融資を探したが、利用できるものはありませんでした。
オーダーメイドサプリメントの販売・企画
子どもが受験の時期だったので、両親からは大反対されました。主人は、家族に迷惑をかけないこと、大きな借金をしなければということで、許してくれました。
中小企業の健全な経営をサポートするために
とにかく、ツテもなにもない状態でスタートしましたので、顧客開拓と資金のやりくりが大変でした。結局は自分の貯金をくずして資金をやりくりしました。
自然素材のみを活用した石けん等の製造・販売
子どもが0歳で目が離せない時期だったため、時間のやりくりに苦労しました。
睡眠時間2時間という日が半年ほど続き、体力と気力の維持が大変でした。
農家の女性がつくった里山のレストラン
家族が事業に反対していたので、自分たちが本気だということをわかってもらうことでした。起業してからは、接客の難しさとハーブガーデンの管理です。
働き続けたいという要望に応えるネットオフィス
夫の転勤先である北見に住んでいましたが、今後の転勤のことを考え、実家の奈良に登記しました。
遠隔地からの会社登記に苦労しました。
筆文字デザイン・デザインアートプロデュース
実績がない、カタログもない・サンプルもない・ないないづくしをどうカバーするか?どう伝えるか?その方法が一番苦労しました。
ITを駆使して、幅広くビジネス展開
苦労したという思い出がないです。苦労もあったかもしれませんが、後から思えば必要なことだったのではないかと思います。
ライフオーガナイザー資格制度を創設
週末起業から始めたので、週末起業をするための時間をいかにつくっていくかが最大のポイントでしたし苦労した点です。
ホームページ制作・マーケティングリサーチ
当初はお金をもらうということに、少し抵抗がありました。見積を安く出しすぎて、あとで青ざめたことがあります。
玄米せんべいで食の大切さを訴える
起業時というより、売り上げが思ったように伸びないので、いま現在まだ苦労しています。
言語障害・発達障害の子どもと親のサポート
活動拠点の確保。継続的な親への支援や相談業務には固定した場所が必要だったこと。
安心、快適なオーダーメイドウィッグサロン
資金不足、時間不足です。お客様のために開店を急がなければならなかったからです。
医療子育て相談・代替医療
経理などの事務仕事をしたことがなかったので、戸惑った。
スリング、育児用品の製造・販売
起業時は特に苦労した思いはありません。
心の教育プログラムを提供
人を集めることがいちばん大変でした。
いのちと食べ物の本当の関係を伝える
特になし。
ラム酒の製造・販売
職人探し