なみさんのお話では、真のリアリティにふれるためには、そのおおいを取り除くだけでいいというのが、基本的な考えですよね。
そうすると、自然と現れてくるものだと。
そうです。
自分というエゴが恣意的につくるものでないという意味で、そうです。
取り除く作業の大変なところは、本当のことを認めることにあるだけです。
はじめのうちは、説明や申し訳や理由を、本当のことだと信じ込んでいました。
この信じ込みが無くなってから(今でも全く無くなった訳ではないです、、それと気づくのが早くなりましたし、それを殆ど見逃さなくなりました)、本当はどうなのと、認めたくないことも自分に認めるようになりました。
これが取り除き作業です、、、そこが大変なだけです、、、ごまかささないことが、、、
取り除くというのは、ある面ではネガティブな作業ですよね、、、
真のリアリティにふれるというのは、ポジティブな体験ですね、、、
なかでも、なみさんの言う<究極の真実>というものに対して、取り除くという作業と、その真実に触れるという体験を、どのように考えてますか?
実際、なみさん自身にとっては、どちらが先でした?
そこに意識をフォーカスしているという意味では、1974年の<トランスフォーメーションプログラム>との出会いからなので、取り除く作業は、その時から明確に続いてましたね。
究極の真実に触れる体験というのは、ずっと後になります。
取り除く作業も殆ど卒業しました、、、必要ないことが見えだしてきたのです。
そうですか、、、
取り除く作業というものを、なみさんほど長年にわたって徹底してやられた人はいないと思うんです。
ですから、節目節目で大きな変容を経験されてきた、、、
その変容の果てに、究極の真実への変容があるのだと想像できます。
しかし、取り除く作業の前から、そのリアリティのコアというものには、もともと触れていて、それが次第に鮮明になり赤裸々になる、、、そういうプロセスではなかったのか、、、とも思うんです。
そのコアの部分が、なみさんにとって最初どういうものだったのか、、、
体験としては、どんな体験も消えていきますが、、、
大久保さんは、そういう体験があったんですか?
私の場合は、10歳ごろの体験がそうだったですね。
その時は、もちろん言語表現できませんでしたが、とても強烈な感覚があり、それがコアにふれた最初ですね。
すこし詳しく聞かせてください。
その時、どういう状況にいたのか、具体的なことはなにも覚えていないのです。
感覚だけを覚えているんです。
その感覚は、突然雷にうたれたような畏怖の感覚です。
なぜ自分が自分以外のだれでもなく自分でしかないのかという驚き、、、
他のいつでもない<今>という時に、他のどこでもない<ここ>という場所で、他のだれでもない<わたし>というものが、なぜか存在している、という感覚、、、
『<今><ここ>にいる<わたし>』という、このひとつのセンテンスが、状況説明ではなく、自分を貫く感覚として入ってくるという体験です。
いわゆる実存的な感覚ですね。
それまで味わったことのない、恐怖というか、畏怖というか、驚愕というか、そういった明瞭な感覚の肌ざわりといったものがありました。
ただ、今のように、それを言語表現化することはできない、、、しかし、その感覚の質のようなものは意識化できていた。
それからも、数ヶ月おきぐらいに、その感覚に捉われるようになりました。
また、その感覚を意識的に呼び起こすようなことも時折していましたね。
学生時代になると、こうした体験が、自分固有のことではなくて、一般的なことであって、子どもから大人に向かう【意識発達のプロセスの一里塚】だと理解できるようになりました。
ただ、ほとんどの人にとって、この体験が意識化されないで、忘却のかなたに沈みこんでいる、、、
、、、というのは、水平的な世界で客体を生きることに忙しくなるからです。
そこに時折、宇宙線のように垂直に降りてくるものがある、、、それが、自分を貫くのですが、水平的なリアリティに埋没していると、この垂直なリアリテイを感知できないで、通り過ぎさせてしまうのです。
・・・・・ 10歳ごろの実存感覚は【意識発達のプロセスの一里塚】 ⇒ 【註1】
そういう、子どものころのスピリチュアルな体験の話はよく聞きますが、大久保さんの表現はユニークですね。
私自身の場合は、そういうのとは違って、人間関係の微妙なところから生まれています。
なんというか、ちいさな気づきの積み重ねが、そういうものに育っていったというか、深化したというか、、、
ちいさな気づきの積み重ねというのは、どういうものですか?
そのひとつを話してみましょうか。
ものごころのついたころから、生きづらいというか、この自分ではだめだという思いで生きてきたように思います。
私は、父が56歳の時に生まれたんです。
父はすでに成人した一人息子を亡くしており、その数年後のことだったの。
母は、一人息子を嫁ぎ先において離婚し、その後に父と結婚した。
言うことをきかない幼い私によくお灸をすえるほど感情的な人だったと思います。
彼女はがんで若くして亡くなりました。
私が5歳の時、父はやさしい人と再婚しました。
その継母も一人息子を手放して離婚した人でした。
私には一番重要だった3人が、それぞれ、私以外の子どもに気をひかれている状況で育ったんです。
これが、私の人格形成に深い影響を与えていることに気づいたのは、数年前のことです。
父が時々、「何も不自由させてはいないし、競争相手もいないのに、なんでこの子は、こんなに嫉妬深くひがんでいるのか」と不思議がっていたのを思い出します。
父とふたりの母に、私以外に、辛くやるせない気持ちで想う子どもがいた、、、
私にはつねに絶対に勝ち得ない競争相手がいた、、、
ともに男の子で、彼らの前からいなくなってしまった子どもです。
そんな状況のなかで、親の目の前にいるきかん気で反抗的な女の子の私は、よく叱られました。
それで、「私はダメだ、女でダメで、愛されていない」と深く思いこんで育ったのです。
そのことに気づいた時、古いパズルの解答を見つけたような気がしましたよ。
その洞察力はすごいですね。
とても感銘を受けました。
ご自分にとって大切な3人に、それぞれ自分が太刀打ちできない対象(子どもたち)がいた、そのことが自分の精神に決定的な影響を与えていた。
しかし、その対象(子どもたち)は見えない存在だったわけですね。
目に見えない、認知できない、透明なライバルについて、そういう認識にいたることができたということに感心します。
この自分ではだめだという感覚が徹底していた、、、
男ではないし、だから競争には勝てないし、しかし勝たなくてはならない、、、
悲惨な人生ですよ、、、
子供のころから、なんでこんなに悩まなければならないのと思ってました、
悩むことがなくなると、わざわざ盗んだり、悪いことしたりして、悩む種をつくってました(笑)
幼い頃から、心の深層で、とても深い欠落感が結晶化されていたのではないですかね。
それが、究極の真実に、裏側からつながっているような印象があります。
そうした自分を観察することを積み重ねてこられることで、そのリアリティにふれられていたのですね。
成長して大人になってからも、そこのところは本質的に変わらなかったですね。
生きづらくて、悩み多くて、2度の結婚と離婚でもそうですし、仕事でもものすごく苦労して痛いめにもあいました。
でも、そういうことが原動力となって、自己探求を続けてきたように思います。
大人になってから、神秘体験なども少なからずありましたけど、そういうことよりも生きる苦しさを通して学んだことが、SQへの道に通じたと思ってます。
苦悩と孤独こそが、どんな体験よりも魂に深くふれることができると言いますね。
なみさんのお話をお聞きしていると、いろんな節目があって、今SQの世界に入られている。
なみさん自身は、ご自分の<個の変容>を、どのように見られていますか?
自分自身をかえりみると、根底にあるのは、いつも<このままじゃ生きていけない>というものなんです。
なんとかしないと破滅しかないという、切迫した危機感というような、、、
危機感がない場合でも、自分を追い詰めていくというか、そういうものがまずあるのですね。
そして、次のステージにいく機会をつくりだしている。
計画や考えをあらかじめ準備するということもあまりなくて、いつのまにか、つぎのことをやりだしていることが多いんです。
後でふりかえってみると、ああこのことだったのかということにつながってくる、、、
なにか行き当たりばったりできたようなんだけど、だけど的が外れることがない、、、
自分の知らないところで、誰かが目論んだように、的確に目的地に着いている、、、
そこのあたりのしくみが、よくわからないけど、、、
そんなふうに感じるんですね。
危機感をバネにしながら、前へ前へと進んできたが、その方向性がつねに的確だったと言うのですね。
そう。
そして、その危機感と的確さに、あるセンスが備わっているように感じる。
悪賢い(わるがしこい)とか敏い(さとい)とかの言葉があるけど、そういうセンスが、、、
このままいくとどうなるのか、なにをしたらこれをきりひらくことができるのか、そういうことが無意識にわかっている、、、
だから、越えられないような壁に見えても、最終的には越えることができる、、、
そういうところはすごく賢く立ち回っているのではないかしら。
それを、自分はおっとりしていないとか、悪賢いとか、そんな表現で卑下してきたけど、生まれついた知恵というか賢さというのが、すごく役立っているようです。
それから、こういう傾向も自分にはあると思います。
15歳のころに、父が亡くなって、母が小学校の用務員になった。
小学校の用務員室に住んでいたんですが、そこで、さまざまな好奇心を満たしてました。
小学校の先生達と関わりあったり、ピアノを自習ったり、図書館で本を読んだり、クラシック音楽を聴いたり、そういうことがエキサイティングでした。
女学校に通っていたけど、それをやめて仕事をするとかは考えなかった。
いつも、お金儲けとか有名になるとかじゃなくて、未知の世界にはいりこんでゆくというところに惹かれていく、そういう傾向も昔から備わっていたようです。
そういうお話を聞くと、、、なみさんのエネルギーの質のようなものを感じますね。
アメリカに行って医師になったこと、医師を辞めてコーチングに進んだこと、日本に帰国したこと、会社を辞めたこと、病気になったこと、などなど、、、
それぞれの局面で、おなじエネルギーの質が働いているように思います。
それはどういう質で、どんなふうにはたらいているのかしら?
なんと言ったらいいのか、、、
今はSQの話をしているので、それにつながるような、すこし回りくどい説明をしますね。
地球の回りを人工衛星が回っていますね、、、
人工衛星が周回する円運動というのは、なにを表現しているのかわかります、、、?
・・・・・
あれは、もともとは、もっと向こうへ行きたいという意思が秘められているんです(笑)
しかし、それを地球の重力が引っ張っていて、向こうへ行けなくしている。
重力がなければ、ほんとは向こうへ飛んで行ってるんですね。
しかたなく、円運動になってしまっている。
つまり、向こうへ行こうとする推進力と、重力とが拮抗して、円運動が生まれている。
または、重力にねじふせられて、推進力が鎖につながれてしまっていると言っていいかもしれない。
生命史のなかで、魚が陸に上がろうとしてカエルに進化しましたね。
海のなかで暮らしていたら、問題無く幸せ?だったのに、なぜ陸に上がろうとしたのか?
学者の間ではいろいろな解釈がありますが、要するに、陸に上がりたかったのです(笑)
海から陸に上がるということは、生命にとっては大冒険です。
人類が火星に移住するようなものです。
リスクも大きい。
しかし、それを突破して、魚が陸に上がりカエルに進化する。
カエルに進化したところで、推進力が減退し、重力と拮抗し、円運動になる、
そこに、両生類という種が生まれるわけです。
円運動となり、生命が自動運動化すると、種が固定化する。
しばらくすると、推進力のエネルギーが蓄積され、円運動から離脱できるようになる。
そして、両生類の次の種である、爬虫類が生まれる。
このようにして、生命進化による種の多様性が現れる。
この場合の重力というのは、物質の抵抗力です。
生命の推進力と物質の抵抗力が、交叉し均衡したところに、、、というよりも、、、
生命の推進力が物質の抵抗力によって抑え込まれたところに、円運動としての形態化がある。
推進力だけで、物質の抵抗力がなければ、神の源泉だけが存在し、形が生まれない、、、
つまり、森羅万象が生じない、、、
物質の抵抗の結果として、この世界がある、、、
そして、生命進化の現時点での最終形態が人類です。
人類も例外ではない。
哺乳類という種としての円運動を突破することで、人類という種が生まれたが、これもまた円運動を描いている。
だから、ここにも、生命の推進力が物質の抵抗力によって抑え込まれた現象をみることができる。
この場合の円運動とは、私たちの在りかたそのものです。
社会形態、道徳、宗教などに見られる、抑圧的な側面は、この円運動を現している。
この部分は、蟻社会の蟻塚と共通した性格を持っているんです。
私たちが、安定した平和な社会で楽に生きようと思うのは、この円運動の慣性に従っているわけです。
そうすると、生は自動運動化して、意識が眠ることになります。
しばらくして、推進力が蓄積され、重力を超えて増大すると、円運動から離れようとする。
重力に逆らって、物質の抵抗を越えて、向こうへ行こうとする。
意識が目覚めるわけです。
目覚めた意識が、向こうへ行こうとして、物質の抵抗に出会う。
この抵抗の意識化されたものが、<地上の掟>と呼ばれているものです。
有名な、聖書のなかの【イエスに対する悪魔の誘惑】というのは、そのことです。
そして、イエスは、この悪魔の誘惑を拒絶することで、<地上の掟>とは異なる方向性を示唆します。
つまり、エネルギーの質には、ふたつの傾向がある。
物質の抵抗に屈した円運動に満足してそこに留まろうという傾向と、円運動から離脱して物質の抵抗を突き抜けようとする傾向と。
なかでも、円運動から最大限に離脱しようとするものは、いったんエネルギーの根源に帰って、推進力をマックスまで補填しようとする、、、これが<神の意思との一体化>なんだろうと思います。
なみさんの<個の変容>の歴史というのは、円運動に入って意識が眠ろうとすると、そこから離脱する、、、ということを繰り返しているように見えますね。
さっき、ビジネスが成功していた時にエゴのパワーが強くなり、それに対して<干からびてきた>という感覚を抱いたと話されていたけど、この感覚は、意識が眠ろうとする自動運動化へのアラームメッセージではないですかね。
想像をたくましくすると、人類の種としての円運動から離脱して、生命が次の種に移行するには、人類史始まって以来の膨大なエネルギーが求められる、、、
したがって、これからは多くの者がそういう体験をすることになるんです。
海から陸へ上がろうと、魚ががんばったようなものです(笑)
ですから、なみさんは、これからの人類の生きかたを先取りしているのかもしれない、、、
われわれの何世代かあとには、なみさんのような生き方が普通になっているかもしれないですよ。
・・・・・ 【イエスに対する悪魔の誘惑】 ⇒ 【註2】
面白いですね、、、生命の壮大なストーリーにつながっているのですね。
でも、何世代かあとの、その人たちは、かわいそうですね。
飛び出すときの苦しさといったら、まさつの苦しさなので、たいへんですよ(笑)
それと、当初は、円運動から離脱することによる疎外感や孤独感がともないますね。
そういう代償を払わないと、アウエアネスに目覚めることができない。
【註1】 <10歳ごろの実存感覚は意識発達のプロセスの一里塚>
Mポンティは、幼児の自我形成論の中で、幼児が鏡に映っている自分が自分自身だと認識する段階で、どのように自我の鋳型が形成されるかを物語っています。
ポンティは、ごく初期の段階に鏡の中の父親に向かって微笑んでいた幼児が、しばらく後に鏡の中に父親を認めると、振りかえって現実の父親に向かって微笑むようになると言います。
鏡の中の父親と現実の父親を並列視できることで、鏡の中の父親は虚像であることを認識できるようになるわけです。
しかし、鏡に映った自分が、鏡を見ている自分自身の虚像だと認めるのは、父親のケースよりも難しく、それよりも随分後になるそうです。
父親のケースのように、鏡の中の虚像と現実世界の実像とを並列視できないからです。
鏡に映った自分が、それを見ている自分自身の虚像であることを認めるということは、父親像のように、自分のことを並列視できるようになったことを意味します。
このことは、決定的な意識革命であるのですが、この鏡像の認知が<わたし>の自我形成の端緒となり、実はこの時から、<わたし>は鏡に映った身体像に次第に閉じ込められていくことになります。
以降、<わたし>は鏡像と現実の身体と外界との関係を学習します。
そして、それらのすべてを学習し認知しつくした後に、それは3歳頃ですが、一人称の<わたし>(フランス語でJe)を発語できるようになるとポンティは言います。
王座に就いた国王が「朕がこの国を治める」と宣言するように、この<わたし>の発語によって、私の身体を起点(視点)としたパースペクティブな世界が形成されることになります。
同時にそのことによって、私の身体がパースペクティブな構造に規定されていくことになります。
更に、<10歳頃>になると、私はこの身体とパースペクティブな世界との関係全体を客観視できるようになることで、身体が3次元世界に閉じ込められ、<物質的身体が完成>します。
また、その反作用として、3次元世界から疎外された意識が<実存意識>となります。
この実存意識は微かな感覚として体験されますが、言語化されないため、記憶の彼方に沈みこんでしまいます。
ですから、感覚が定着することがすくないわけです。 (大久保)
【註2】 <イエスに対する悪魔の誘惑>
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の劇中劇である<大審問官>のなかで、このテーマが語られています。
これについての詳細(感想)はこちらです ⇒ http://watasitokigyou.blog.fc2.com/
(大久保)
⇒ ⇒ <起業>と<スピリチュアル>のテーマで、大久保が語る、
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