さっきも話しましたが、IQ、EQをもとにしたプログラムはあるのですが、SQはまだないのです。
一度つくったのですが、満足できるものではなかったので、、、
当時は、SQをつくれる自分にまだなっていなかったのです。
今もまだ修行中ですが、これから、再チャレンジしたいと思ってます。
これから作ろうとされているSQプログラムというのは、内容やステップなどのイメージはできているのですか?
まだできてません。
SQは、IQやEQと、どうちがうのですか?
今までのIQ、EQでのプログラムは、社会に生きる自分や、マインドの自分にかかわるものでした。
SQのプログラムは、真の自分、つまり<主体>にかかわるものになると思います。
人生のほんとの意義や、おおもとになるものについて、などのテーマがポイントです。
なみさんのSQプログラムを、わたしたちが実践したとすると、なにがどう変わりますか?
私の理想としては、まず、世の中を事実として見なくなること、、、
すべて信じ込みにもとづいていることが理解できること、、、
自分の本質を知ること、、、
同時にそれは人間の本質を知ることでもあること、、、
そうすると、今までにない世界観が現れてくると思います。
何をも問題にするのではなく、対立、敵対、正当性などからほど遠いところで、人間が、愛と幸福と平和を生きる、、、エゴの張り合いの社会からの転換、、、しかし、エゴが無くなるわけではないでしょう、、、日常生活に必要な部分ですから、、、でも、エゴのその機能が自動的に最優先となってしまっているような日常世界ではない、、、それとは異なった人間社会にみんなで生きる可能があると思います。
大久保さんは、『オーバービュー』という本はご存知?
いいえ、知りません。
宇宙飛行士たちが言ったことをもとにして、書かれているのですが、、、
アメリカの本ですか?
そうです。2年ぐらい前に書かれた。
翻訳されています?
翻訳はどうなんでしょう、、、知らないです。
この本では、宇宙飛行士が宇宙体験の後に起こった意識革命について書かれています。
一度、地球の外に出て、外から地球を見ることができたら、同じ自分でありえないというわけです。
人類を、生きとし生けるものを、無生物を、私たちの住居である地球を、大きな目で全体として見ることができるようになるようです。
全体を愛し同時に全体の責任をとる立場が現れるということがわかるような気がします。
このオーバービューを、地球に関してではなくて、自分に関してみることができたら、というのが、私がSQプログラムで実現したいことです。
自分の外にでて、自分を外からみることができたら、同じ自分として生きるわけにいかない、、、という意味で。
アメリカには、なみさんの意図されているようなSQプログラムは存在するのですか?
ラマナマハラシ系の活動や、ルパートのセッションなどは、SQ的な内容ですね。
ですが、私が考えているようなSQプログラム自体は無いというか、知る限りではありません。
しかし、こういった活動が活発になってきていて、アメリカでは多くの人が取組んでいます。
例えば、、、Stephen Wolinsky, Greg Goode, Scott Kiloby とか、、、多くが心理学博士ですね。
なみさんのSQプログラムと同じ類と言っていいかどうか、、、霊的な訓練法というのは、昔からたくさんありますね、、、
ヨガとか禅とか、、、
十牛図なんかもSQプログラムの道程のようですし、、、
シュタイナーの『いかにして超感覚世界の認識を獲得するか』という本も、そうですね、、、
そういう遺産を背景にしながら、現代でも世界中でアシュラムやリードやセッションが数多くあります。
知る人ぞ知るグルを中心としたネットワークや、スピリチュアル有名人による集まりなど、、、
そういう現象を見ると、スピリチュアルな時代の流れと機運というのを感じますが、どんなふうに見てますか?
たしかに、そういう機運はあるでしょう。
ただ、どうなんでしょうか。
グルとかスピリチュアルとかでもてはやされている実態をみると、安っぽいといっては語弊があるかもしれないけど、共感できないケースが未だに多いように感じます。
どれぐらいの真剣さで、実際に生きるためにやっているのか、、、
単なる知識や趣味や話のネタとしてなのか、、、
グルやスピリチュアル有名人の話を聞いて、ほんとに自分を解放できているのか、、、
逆に自分を偏狭で空想的な空間に閉じ込めてしまっていないか、、、
そんなことを自分のなかで確認してみるといいと思います。
一般にみんなは、ほんとに必要な道を徹底してやるのが好きでないみたいですね。
だから、教えるほうも、ポピュラーになるためには、あまり徹底してやらないほうがいいみたい、、、
それから、怪しげなことをいわないと、ポピュラーになれないのね(笑)
キリストやブッダに出会ったとか、、、
なにか異常なものを見たり聞いたりとか、、、
いわゆる超常体験や超能力のたぐいですね、、、
スピリチュアルブームには、そういうイベントを求める人が多いですね。
エゴがそれにとらわれてしまうと、探求ではなくなってしまうので、、、
お酒に酔うのと同じになってしまうんです。
今のスピリチュアルブームの多くが、そういうムードに包まれてますね。
それだと、客体に留まってしまって、主体にいたることができなくなってしまうし、体験が解放ではなくて、縛るほうになってしまう、、、
そうは言っても、そういうほうが楽しいので無理ないのですが、、、
そういうのが、ほんとに楽しいのかしら(笑)
人生の<ドラマ>をまだまだ堪能したい人は、そうなんです。
海外旅行に行くように彼岸にも行きたいし、有名人に会うようにキリストや仏陀にも会いたいんです。
ドラマに飽きて、そろそろ舞台から降りたいと感じている人は別ですけどね(笑)
グルたちにしても、有名になればなるほど、おかしな具合になっちゃいますね、、、、
私の経験から言っても、弟子やファンが集まれば集まるほど、パワーの感覚が強まって、エゴが膨張してくるところがある、、、
そういうのは、どこの世界でも共通しているので、、、
エゴインフレーションというか、、、
でも考えてみると、スピリチュアルの世界が、そういうのは一番たちが悪いと言えるかもしれないですね、、、
成金なんかはわかりやすいので、スピリチュアルよりもかわいらしいエゴかもしれない、、、
金から名誉へ、名誉から知識へ、知識から人格へ、人格から霊性へ、、、と、梯子を上るように、エゴがだんだんと肥大化してくる、、、
当人と取り巻きだけが、自分達は進化していると思っているけれど、、、霊的に進化して、自分のエゴが消滅したと思うのは、エゴに呑み込まれてしまったからかもしれない、、、
パワーに酔ってしまうんです。
そう言えば、ドラッカーはカリスマが嫌いでしたね。
ドラッカー自身は、ビジネス界や経営者の間ではカリスマのようでしたが、、、
カリスマを生む社会は、ファシズム社会であり、精神的奴隷社会だと言ってました。
ですから、自分のパワーを増大させるために、弟子やファンを利用するような、カリスマ的グルや精神的指導者には気をつけたほうがいいですね。
SQ(真の自己にかかわること)を真剣に求めるなら、スピリチュアルなイベントを期待して、特別な雰囲気に包まれるのではなく、普段の生活で工夫したほうが良いと思います。
感覚や感情の意識化や、驚きや味わいの探求など、そういうものを日々の地道な努力として積み重ねていく、そこに芽生えてくるものを大切にするといいですね。
あまりはなばなしい神秘的な体験を求めないほうがいいということですね。
昔から「修行の結果として付随してくることはあるが、それに囚われるな」と言われてますからね。
ただ、入り口として、実践のポイントみたいなものがあれば、教えてください。
たとえばですね、、、こういうことをやってみる、、
朝の目覚めの1分間の体験というもの、、、
朝目覚めるときに、最初の1分間の意識状態に注意するのです。
眠りから覚めた直後は、まだ日常的な意識が戻っていない、、、意識が裸の状態、、、なにもないという、、、
1分間過ぎると、いつものマインドが怒涛のように押し寄せてくる、、、
その直前のマインドが来る前の意識というものに注意する、、、
これを毎朝やってみる、、、
なみさん自身は、それを実践されている?
はい、、、修行のようなものです。
以前から、ヴィパッサナ−瞑想などをよくなさってましたね。
ヴィパッサナ−瞑想は随分長くやってました。
でも、この瞑想は、自分には合わないようでした。
なにか自分が閉じ込められたような感じになるんです。
そうなんですか、、、
禅僧のかたにもいろいろ会いましたよ。
立派な方もいましたが、いずこも思ったほど<体験的>ではないようなんです。
悟りを開いたという、ある禅僧の方にお会いして、私のセッションを受けてもらったことがありました。
私のセッションのひとつは、大久保さんもご存じのように、過去の記憶に戻っていきますでしょ、、、
その禅僧の方に、それをお願いしたら、「私は悟ったので過去はない」と仰るのです。
私は、「では悟る前に戻ってください」と言ったんです(笑)
それは面白い、、、なみさんらしいですね。
<覚者>は別として、修行者は、あまり<悟り>に執着しないほうがいいんでしょう、、、
<悟り>のイリュージョンが肥大化すると、あたりまえのことを見過ごしてしまいますからね。
アメリカで禅を広めた鈴木俊隆老子をご存知ですか?
鈴木大拙ではなくて?
いいえ、その後ですね。
鈴木大拙の思想が広まった後に、カリフォルニアで禅センターを開いて活躍した人です。
いつごろのことですか?
ベトナム戦争のころですね。
1959年から12年間、日本に帰国されないで、1971年に彼の地で亡くなったようです。
鈴木老子は、<悟り>という言葉を発しないことで有名らしいんですが、こんなエピソードがあるんです。
あるアメリカ人が、老子の家を訪ねた折に、<悟り>という言葉をなぜ使わないのか聞いたらしいんです。
すると、そばにいた奥さんが、「悟ってないからよ」とささやいたんです。
老子はあわてて、奥さんに、「それを言ってはいけないよ」と言って、3人で大笑いしたと、、、
その後に、「悟りが大事ではないということではない、しかし、それは禅において重視しなければならないということではない」と言ったそうです。
ユーモアのある人なんですね。
なみさんは、ヨガとか禅とかの古典的な修行から、最新テクノロジーを使って脳波をθ波にする研究まで、幅広く探求されていましたけど、そうした経験の積み重ねが、SQプログラムの創出に生かされてくるんでしょうね。
SQプログラムはできていないので、大久保さんにSQについてのまとまった話をすることは難しいけど、
私自身は今、SQを実践している、、、SQを生きている、、、と言っていいと思います。
すると、そういうのが、いろいろなところに反映されてくるんです。
どういうところに反映されるのですか?
⇒ ⇒ <起業>と<スピリチュアル>のテーマで、大久保が語る、
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