竹下さくらさんは、損害保険会社での勤務経験を経て、ファイナンシャル・プランナー(FP)として独立。住宅購入や教育資金、保険契約といった人生に必要なお金に関わるプランをそれぞれのライフスタイルに合わせて提案しています。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していた | いた |
大学の商学部で保険ゼミを専攻。卒業後、損害保険会社に入社し総合職に就く。1996年26歳で、宅地建物取引主任者とFP上級資格(CFP®)を取得。保険会社に在職しながら、FP業界の勉強会に参加し人脈を広げる。1998年に妊娠を機に会社を退職し、FPとして独立。2006年、FP仲間の女性と共同オフィスを構え、2007年には、女性3人で「なごみFP事務所」を設立。個人ベースの仕事はもちろん、「なごみ」としてもFP業務を幅広く展開中。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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22歳 | 1991年 |
大学卒業。損害保険会社入社 |
26歳 | 1995年 | 住宅金融公庫が女性にも融資の門戸を開いたのをきっかけに、マンションを購入。FP上級資格(CFP®)取得。宅地建物取引主任者取得 |
27歳 | 1996年 | 結婚。FP業界の勉強会に参加し、人的ネットワークが少しずつできる |
28歳 | 1997年 | 損害保険会社の子会社の生命保険会社に出向 |
29歳 | 1998年 | 生命保険会社を退職。自宅の1室を事務所にして、FPとして独立 |
30歳 | 1999年 | 長女を出産 |
31歳 | 2000年 | 一級FP技能士資格取得 |
32歳 | 2001年 | 夫の留学に同行して渡米。渡米中はFP業を休業。長男出産 |
33歳 | 2002年 | 帰国。FP業を再開。南新宿で共同オフィスを構える |
35歳 | 2004年 | 女性FPの会(WAFP関東)の理事に就任 |
36歳 | 2005年 | 共同オフィスを出て、他の独立系FP(女性)とともに西新宿の事務所店舗を借り完全に独立した事務所に |
37歳 | 2006年 | 独立系FP(女性)がさらに加わり、3名による共同事務所形態に変更。「なごみFP事務所」として展開 |
40歳 | 2009年 | 事務所を銀座に移転。 |
竹下さくらさんは、「ファイナンシャル・プランナー(以下、FP)とは?」という質問に、次のように明快に答えてくれました。
「その人の考え方や人生観に合わせてプランを立てる仕事です。主に財テク系のアドバイスをするFPとライフプランニングのアドバイスをするFPに分かれますが、私の仕事は後者で、お金ありき、儲けありきではなくて、人生設計の提案です」
実際の業務は、個別相談、執筆や監修、セミナーが3本柱とのこと。
「たとえば、セミナーをすると、その中の何人かが個別相談にみえます。また、雑誌社などから最近の相談事例を踏まえた原稿を依頼されて執筆。それを見たスポンサーからセミナーの依頼が来る…というように、一度軌道に乗れば回っていくのですが、一般的には軌道に乗せるまでが難しいようですね」
FP資格を持っている人は、現在、日本に20万人(資格別ののべ人数では50万人)くらいいると言われていますが、その中でも上級資格(CFP®)や国家資格の一級FP技能士を取得していないと、独立してやっていくのはなかなか難しいというのが現状のようです。すでに26歳のときに上級資格(CFP®)を取っていた竹下さんは、実務経験を経て一級FP技能士資格も独立早々に取得しました。
慶應大学商学部出身。学部の9割は男性で、公認会計士を目指す人が多い中で、保険制度に興味を持ちその道を専攻しました。
卒業後は、損害保険会社に入社して総合職に就きます。主な仕事は、保険代理店の保険販売や管理を推進するためのノウハウやツールを提供する営業推進業務でした。また、この時期に「損保FP実践講座(財団法人損害保険事業総合研究所主催)」を受講したことが、FP初級資格を取得するきっかけになりました。損害保険という枠を超えた、個人を取り巻くマネー知識の重要性を知り、FP資格を取得したいという強い思いがでてきたと竹下さんは言います。
「元々、お金を扱う制度や運用のことが好きでした。上級資格(CFP®)についても、どうしても取りたいというよりは、当時住宅金融公庫が女性にも融資を始めたので、自分でマンションを購入しようと思い立ったことがきっかけでした。不動産業界の人とやり取りするときに、自分が何も知らないのは不安だったので、宅地建物取引主任者資格を取ろうと思ったのです。勉強してみたら、上級資格(CFP®)の試験科目のひとつ、不動産運用設計の内容もカバーしていたので、その流れで取得しました」
会社に勤務しながら、FP業界の勉強会に参加し、人脈を広げていきました。年一度開催される「FPフェア」という、FP資格者を対象としたイベントでは、「FP徒弟制度」の募集チラシを見つけて応募。この徒弟制度の師匠は、FPとして活躍する紀平正幸さん、小野瑛子さん、伊藤宏一さん、森賀津雄さんの4名でした。
「財テクをアドバイスするFPが主流だった当時、紀平さんたちは、人のライフプランを軸にした提案していこうという少数派でした。自分たちと同じスタンスでアドバイスできる人材を育てたい、ということで、『FP徒弟制度』を設けて募集したそうです」
紀平さんの弟子になった竹下さんは、原稿やセミナーのノウハウなど、FPとしての実務を一年ほど学びました。この時期に、「執筆の仕事をまわしてもらったり、無償で原稿を書くなどして経験を積んだことなどが後につながっていった」と言います。
独立の転機は、30歳の時に訪れました。27歳で結婚した竹下さんは、2年後に第一子を妊娠します。
「当初は産休をとって復職するつもりでいましたが、会社に前例がなかったので断念しました。勤務していた損害保険会社が、子会社を設立して生命保険事業を展開することになり、その立ち上げスタッフとして出向していたので、とても忙しかったのです。毎晩遅くまで仕事をしていました。総合職の場合、女性も男性と同様に扱われているので、一年休職することは難しかったのです」
こうして退職して出産に備えた竹下さんですが、流産という辛い経験をします。
「ショックで、自分の何がいけなかったんだろうと悩みました。でも、仕事があったので、そちらに気持ちを持っていくことができて比較的早く立ち直れたのだと思います」
独立し、「竹下FP事務所」の屋号を掲げて自宅の1室を仕事場にすると、すぐに仕事の依頼が舞い込み始めました。
「上級資格を持っていたことと、会社に在席中からFP関係の業務を経験していたことがあったからだと思います。私の場合は、ライフプランの中でも、保険に関する相談、不動産取得に関する相談を得意としていたことも大きかったですね」
前職の保険会社での業務経験はもちろん、自身の住宅購入のために取得した宅地建物取引主任者資格が生かされたことは言うまでもありません。
翌年、今度は無事に長女を出産。ご主人の留学で一緒に渡米し、アメリカで長男を出産。「アメリカで暮らした一年間が唯一専業主婦していた時期」ということで、帰国すると、またすぐに仕事を再開しました。
子育てしながらも、執筆、セミナー講師などを自由にスケジューリングすることができるという、フリーで仕事をすることのメリットを改めて実感しました。
36歳の時、かつて「FP徒弟制度」で一緒に勉強し同じように独立していた中村薫さんと、初めて共同オフィスを構えます。この時の2人の間の約束がユニークです。
「とりあえず3カ月一緒にやってみて、続けるか別れるか決断しようって決めたんです。でも、気がつけば今に至っています。何かつぶやくと、横から答えが返ってくる。家で、一人で仕事していていた時よりも情報もネットワークも広がりました」
その後、やはり「FP徒弟制度」で同期の柳澤美由紀さんが加わり、3人それぞれのノウハウ、協力関係を生かして、独立系FP事務所を設立。共同事務所として「なごみFP事務所」と命名しました。
2009年からは、事務所を銀座に移し、3人それぞれが個人ベースで仕事を展開しつつも、最近では「なごみFP事務所」として仕事を引き受けるケースも増えてきています。
これまでまったく営業せずに、有効な資格を取得し、一つひとつの仕事を丁寧に積み重ねることによって順調に歩んできた竹下さん。共同事務所として、または個人として法人化の可能性を聞いてみると…。
「3人とも自分の仕事を持っているので、3人での法人化はいまのところ考えていません。私個人としても、法人化して決算する手間を考えると、いまはまだ時期ではないと思っています」
つい目先のことにとらわれてしまいがちですが、竹下さんが考えるのは、まずは今後5年間のワークライフバランスです。
「長女の受験のことなどを考えると、5年間は落ち着かないので、まずは現状維持。ただし、今後増加する老後の人生設計に関する相談ニーズも考えて、社会保険労務士資格の取得も視野にいれていきたいと思っています」
最後に、FPとして大事な資質は何かを聞いてみました。
「人の話を聞けることだと思います。自分の価値観を押し付けてしまう人は向いていません。個別相談の場合は、お客さん自身がたくさん話し過ぎたと思うくらいで帰っていただくのが、いいコンサルティングです。また、専門的な難しいことをわかりやすく説明・提案できることも大事です。あとは、自分の強みを持って、それを明確に打ち出していけるかどうかです」
資格を取得するだけでなく、自らの興味と経験を“強み”につなげていくことが、FPとして独立し、成功する鍵と言えそうです。
会社(団体)名 | なごみFP事務所 |
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URL | http://blog.livedoor.jp/nagomifp |
創業 | 2006年 |
業務内容 | 独立系ファイナンシャル・プランナー |
子どもの出産を機に、家族の時間を大切にした仕事の仕方に切り替えたいと考えました。総合職で夜遅くまで働く日々が続き、このままの生活を子どもが生まれた後も続けるのは難しいと判断。育児休暇もとりにくい環境であったため、思い切って会社を辞め、FP業を始めることを決意しました。
FP資格の取得と人的ネットワークの構築の2つです。興味のある分野であったため、FP初級資格を取得した後も勉強を続け、FP上級資格まで取得。知識的に関連のある宅地建物取引主任者資格も、FP上級資格の勉強と合わせて取得。マンション購入時の知識としても役立ちました。
業界で仕事をしていく上でのノウハウ等の習得です。執筆やセミナー、個別相談など全てが自分の経験の積み重ねによってしかノウハウを蓄積できないので、誰かの真似をするのではなく、自分の手作り感覚で仕事に臨みました。
人的ネットワークの構築です。特に、よいタイミングで徒弟制度の募集に応募でき、すばらしい親方にめぐり逢えたことが、いま自分がこの業界でこのように仕事をしている転機となりました。
家族(夫)のスタンスは、「育児にしわ寄せがこない範囲なら好きにしていい」というもので、特段の協力はありませんでした。ただ、最近は、夜や週末に原稿を書いたりセミナー講師をする私の仕事への理解も感じられ、私が仕事をすることについて家庭内の理解が深まってきているように感じます。
個別相談は、FP協会の上級資格(CFP®)認定制度に登録。日本FP協会からの紹介で相談業務を開始しました。
執筆は、親方が企画した冊子で、小さな原稿を担当しました。
講演は、FP業界の勉強会でできた人的ネットワークからの紹介で公共機関の講師を体験しました。
仕事を選ばず、どんなに忙しくても拒まず、来た仕事を丁寧に確実にこなしていったことが、次の仕事へとつながりました。
徒弟制度で同期だった女性FP(現在の事務所を共同経営している女性FP2人)
日本FP協会の勉強会
0円。
自分の知識とキャラクターだけが元手。それは今もかわりません。
事務所(銀座)。
特にそうした管理体制の整備がない状態で開業しましたが、仕事柄、人的ネットワークの中に、「FP」兼「弁護士」、あるいは「FP」兼「税理士」がいるため、特に不安は感じていません。
ちょうど今が転機なのではないかと思っています。事務所を移転し、新しい仕事も増加傾向で、非常に忙しくしています。結果的に全てが良い方向に展開しており、充実感を得ています。
精神的・経済的に自立できていると感じています。仕事を通して、常に社会につながっている意識が強くなりました。
人的ネットワークの力を借りてここまできました。今の仕事は、自分自身の暮らしに役立つし、人に伝えることで感謝され、その上お金ももらえるという仕事です。その分、厳しさも求められますが、好きな仕事だからこそ一生続けたい仕事と考えています。
学生時代にやっていた卓球を再開しました。事務所の他のメンバーも、2人ともそれぞれに運動をしています。
家の外に事務所を持ち、充実感のある仕事をしながらも、ある程度時間を自由にできる(子どもの個別面談や学校行事にも気兼ねなく参加できる)のは、共同事務所ならではの利点ではないかと考えています。また仕事だけでなく、育児その他の悩みの相談にのってもらえるメリットもあります。仲の良い同年代の仲間との事業展開が、仕事と心の安定に大きく寄与していると思います。