水谷紀枝さんは、大手不動産会社を退職後、不動産仲介業者として独立。アパートなどの物件を借り上げて、女性ならではのアイデアを生かした、働く独身女性のためのシェアハウスを展開しています。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していた | いた |
大学卒業後にグラフィックデザイン会社に就職し、結婚のため退職。専業主婦をしながら、宅地建物取引主任者の資格を取得し仲介業者として独立。子育てしながら働くために、アパートなどの物件を借り上げて賃貸収入を得るサブリース事業に着目し、働く女性に特化したシェアハウスを考案。シェアハウスという箱だけでなく、女性の自立のためのプログラム開発も視野に入れた事業を展開中。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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25歳 | 1995年 |
大学卒業後バックパック旅行から帰国。グラフィックデザイン会社に就職 |
27歳 | 1997年 | 結婚。勤めていたデザイン会社を結婚退職。夫の転勤のため広島へ。専業主婦の間に宅地建物取引主任者の資格を取得 |
29歳 | 1999年 | 夫の転勤のため東京へ戻る。不動産会社に就職 |
32歳 | 2002年 | 出産により退職。長女出産。不動産業者免許取得 |
33歳 | 2003年 | チューリップ不動産として、本格的に活動を始める。シェアハウス1号をオープン、営業開始 |
34歳 | 2004年 | シェアハウス2号、3号営業開始。シェアハウス3号は資金不足のため、自ら廃屋の内装工事を行う |
35歳 | 2005年 | シェアハウス4号営業開始。チューリップ不動産株式会社として、法人登記。長男出産。出産後にすぐに仕事開始 |
39歳 | 2009年 | シェアハウス8、9号をオープン予定。周辺環境の変化等のためシェアハウス1号、4号を閉鎖。 『シェアハウスで蘇る不動産“新”ビジネス』(ロコモーションパブリッシング)出版 |
外国人などが利用するゲストハウスからヒントを得て、女性専用のシェアハウス事業を展開している水谷紀枝さん。「独身女性が家賃に払うお金を少しでも軽減し、自己投資に回せれば」と、奮闘しています。
2003年に最初のシェアハウス1号をオープンし、6年目の2009年にはシェアハウス9号をオープンさせるまでに成長しました。「実績は続けているうちに自然とついてくるんです。だから、3年はまず続けることです」
さらに水谷さんは「専業主婦は、起業してもリスクヘッジが可能です。事業がうまくいかなくても夫の稼ぎがあるので 元の専業主婦に戻る選択が残されているからです。自分の時間と労力の消費のみで、実質的なマイナス財産を作らなくて済みます。私が起業できたのは専業主婦だったからです。3年間無給でも夫の給料で暮らしていけますので」と、やりたいことがある専業主婦はどんどん起業したほうがいいと、そして身の丈に合ったスタートが肝心と助言します。
「起業をしようとするときに、まずお金をかけることから考える人もいますよね。ロゴをデザイナーにつくってもらうとか…。でも私は最初はそんなに体裁を整える必要はないと思っています。私の場合、会社の看板は拾ってきたまな板に社名を書いて吊るしていました。お金が無いのですから、当たり前です」
大学卒業後にグラフィックデザイン会社に就職した水谷さんは、保険会社に勤務していた夫と知り合い、結婚退社。その後、夫の転勤で広島県へ移住し、宅地建物取引主任者(宅建)の資格を取得しました。「資格の中でも宅建が一番気になっていました。専業主婦で子どももいなかったので、時間がたくさんあったというのが大きかったです」
それにしても、宅建の合格率は15%前後。資格取得は難しそうですが、水谷さんは「時間がある主婦にとっては難しくないと思います。要するに、合格率は勉強にかけた時間に比例するのです」と言います。
その後また夫の転勤で東京に戻った水谷さんは、町の不動産会社に数ヶ月勤務し、“営業経験者”という履歴を得て、大手不動産会社の子会社に就職し、そこからの出向というかたちで、大手不動産会社に入社しました。そこで3年勤めて出産を機に退社しますが、この時の経験が水谷さんを起業へと導きます。
「本当は産休を申請しました。ところが人事部は、そういう前例をつくりたくなかったようで却下されてしまいました。今思えば“営業”は会社の顔ですから、子どもが中耳炎だからといって病院通いで遅刻したり、熱が出たので早退したりというのは、営業職としてはあり得ないことで、“子育て中のお母さんは使いにくい”と判断されるのは仕方のないことだったと思います」
水谷さんは長女を出産後に、不動産業者免許を取得します。路面店は出せないので、インキュベーションオフィス(*1)を借りての登録でした。そしてまず始めたのは、不動産仲介業務。「不動産屋というのは、地元に根を張って地主の信頼を得て管理物件を預けてもらい、その管理料が安定収入となります。突然参入してきた若い女性が、地元に根を張るのは簡単なことではありません。ですから私のような立場は、もうひとつの業務、仲介業のみになるケースがほとんどです」
不動産管理会社から流通物件を託してもらい、顧客を見つけるのが仲介業。ところが不動産管理会社は、いい物件は自分で顧客を見つけて管理していることが多く、流通物件には顧客が入居しにくい物件しか残っていないとのこと。「土地勘のない地域で、こうした物件にお客さんを入居させるのは大変な業務」と水谷さんは言います。
そこで水谷さんは、サブリースという方法を思いつきます。サブリースは、建物を所有するオーナーからアパートやマンションを一括して借り上げて、第三者に賃貸して、オーナーに一定の賃料を支払うシステムです。「自分が動かないで不動産の仕事をするためには大家さんになるのが一番いいのですが、そんな物件は持てませんので、サブリースならバーチャルな大家さんになれると思いました」
そして「女性専用のシェアハウス」というコンセプトを生み出しました。「不動産業界は男性が多いので、その中で女性がやっていくには差別化しなくてはいけない。女性にしかできないことなら真似されにくいですから。こうやって人に話すといかにもマーケティング的な戦略に聞こえますが、資金も基盤もない自分が持っているもので出来ることは、それしか無かったというのが本当のところです」
シェアハウスをオープンするにあたっては、水谷さんにノウハウがあったわけではありません。ゲストハウスを見学するなどして、部屋や共同スペースの配置、入居ルールの作り方などを見よう見まねで取り入れ、さらに「もし自分が使う場合は…」と、検討を重ねたと言います。物件探しも楽ではありませんでした。
「最初の1軒目は、物件の選択肢もありませんでした。シェアハウスのような人の出入りが多い物件に貸そうと思う大家さんは少ないですから。でも、仲介業者時代の縁で、条件は良くありませんでしたが、任せてもらえる物件が見つかりました。ワンルームマンションの1階で、借り手のつかない日当たりの悪い部屋を3部屋まとめて借り上げることができたのです。真ん中の部屋を共有スペースにして、両側の部屋は、うなぎの寝床のように3段ベッドをつくって、12人寝泊まりできるようにしました。フリーターとか派遣社員の若い女性が入居して7〜8割は埋まりました。微妙に赤字でしたが、とにかく最初は利益よりも実績づくりのための物件だと思っていましたので。物件をまとめて借り上げさせてもらうためには、管理会社がいいと言ってくれないとだめですから」
こうしてシェアハウス1号は、風紀も乱れず滞納もないというような信用を得て、2軒目、3軒目と話が運びました。そして4軒目をオープンする2005年に、自己資金100万円で会社を設立しました。
「今でこそ、収益が上がるようになり投資家も現れて、ワンランク上の物件をつくることができるようになりましたが、最初の頃は私も大工仕事をこなしました。だからこそ借金もせず自己資金だけでやってこれました。もちろん夫のおかげですが。ただ夫は私の事業には無関心で、習い事に精を出している程度の感覚だったと思います」
水谷さんが次に取り組もうとしているのは、シェアハウスという箱だけでなく、ソフトです。
「女性が若い頃から、小さな成功体験を積むということが大事です。地方から東京に出てくると、会社と自宅の往復でコミュニティができない。騙されたりキャッチセールスにつかまったりというような、都会の一人暮らしならではの挫折のポイントがあります。でもシェアハウスに住むことで仲間が増えて、生活が充実して、挫折を回避できる。それが成功体験につながるのではないかと。こうしたプログラムを何らかのかたちで提供したくて、今がんばっているところです」
女性ならでは、水谷さんならではのアイデアが、今後も新しい事業を生み出していく予感がします。
*1 インキュベーションオフィスとは、起業者や創業者の支援を目的としたレンタルオフィス。地方自治体や公的機関などが運営することも多いので、入居審査が必要な場合もあるが、比較的安価な家賃で借りることができる。
会社(団体)名 | チューリップ不動産株式会社 |
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URL | http://www.tulip-e.com |
創業 | 2003年2月 |
設立 | 2005年3月 |
業務内容 | シェアハウス企画・運営、不動産仲介・管理 |
出産を機に会社に産休を申請したところ前例がないとのことで却下されました。後に続く人が出てきても困るとのことで、直属の部長からも、子育てしながらの仕事はお客さんに迷惑がかかるからやめるべき、と諭されました。ある意味、遠回しな言い方ではなくストレートでしたのであまり怒りは湧かず、「確かにおっしゃるとおり・・・」と納得して円満退社を選択しました。
とはいっても今後ずっと働いていたい一方で、まだ何人か子どもを産むつもりでしたので、会社員として子育てしながらの就職を断念。自分のペースで子育て可能な起業を選択しました。
不動産開業における必要書類の記入・申請など事務的な手続きや、事務所の選定。会社員時代の貯金300万円。法人化の際には、資本金として自己資金から100万円を準備しました。
仲介業を始めた頃は、仕事がなくて暇を持て余しました。シェアハウス事業を始めたときは、まだ実績がない事業だったので、物件を任せてくれるところが見つかりませんでした。
結婚していて夫の給料だけで暮らしていけましたので、最初の3年間は無給でも生活に困ることはありませんでした。専業主婦でいられるということは、女性の起業に対しての最大のリスクヘッジです。あとは、あまり深く考え悩まないことです。会社としての体裁を整えようと資金的無理をしない。女性だから…と思われることはいいことですので利用しました。「見栄」と「恥じらい」を混同しないことです。
家族は無関心でした。「仕事をやめて暇になったので新しい稽古ごとを始めて夢中になっている」程度の認識だと思います。友人は顧客を紹介してくれました。応援していたのか、面白がっていたのかはわかりませんが。同じ社宅の人たち(専業主婦)は私のいい加減な子育てをみていられずよく叱られましたが、協力もしてくれました。実家は、遠方でしたが実績のない間は保証人などになってくれました。
最初はインキュベーションオフィスを利用していたので、きちんとした店舗もなく、しかも営業方法を知らないのでどうやったら仕事を取れるか試行錯誤しました。とりあえず営業の一歩として、湯島天神で大量の飴にお祓いを受け、それを宣伝チラシと名刺に付け、「合格祈願お祓い済み飴配布中」と、サンドイッチマンのような格好をして、大学入試前に校門で配りました。この成果はゼロでした。
なかなか日本人の入居者が見つからなかったので、女性で日本語が話せる方ならと思い、大久保の韓国人組合や語学学校へ営業に行き、外国人向けの媒体に広告も打ちました。一方で、物件獲得のためのオーナーへの飛び込み営業や業者への飛び込み営業もしました。こちらの方が、入居者に対しての営業よりも難易度の高い営業でした。
お金をかけず、身の丈から始めることです。始めたら3年続けることです。実績は、続けているうちについてきますので。
特にありませんでした。
免許登録や供託金、業界団体の入会金で約300万円。
インキュベーションオフィスレンタル契約金15万円、月々の事務所レンタル(窓なし2畳)7万7千円。不動産業は法律上、自宅と別にオフィスが必要ですので渋々契約しました。
法人設立時には、資本金100万円。
以上、すべて自己資金です。
自宅です。オフィスのすべての機能を転送にして自宅で育児しながら対応しました。
最初は個人事業なので、確定申告も自分でできる程度のお金の流れしかありませんから、税理士も不要です。自分でした方が税理士に頼むよりメリットを享受できます。
定款作成や法人登記なども、必要ならば全部自分でできます。
専門家を必要とするものが出てきら、後から考えるものだと思っていました。最初にそれを考え出したらお金ばかり出て行って失敗につながる危険性があると思います。
転機は、いち早くシェアハウスの可能性を開拓したことです。
そのおかげで本を出版することができました。
世間というものに対して誠実に向き合うようになったこと。自分が多くの人に助けられて存在できている、ということを認識し始めたことです。人とのつながりは大切だと理解できるようになりました。
体裁や見栄を気にせず、とりあえず3年続ければ、実績という強い営業ツールが自然発生します。
子育てと、学校のPTA活動です。
既婚女性のほうが起業に向いていると思います。その理由は、男性のように社会的体裁を作る必要もないからです。
ほかにも、結婚という経済の安定基盤のおかげでマイペースを守れます。その結果として3年続けることができて実績が生まれます。また、主婦的な生活感は、起業に非常に役に立ちます。