上田理恵子さんは、働く母として病児保育の必要性を実感。その経験から、「働くお母さんたちにやさしい社会をつくる」ために、訪問の病児ケアと家事代行を行う会社、株式会社マザーネットを設立しました。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していた | いた |
空調メーカーで新規事業開発に従事する一方、社内ベンチャー制度の評価委員を務める。仕事をしながら、「『キャリアと家庭』両立をめざす会」を設立し、ワーキングマザー向け月刊情報誌『Career&Family』を創刊。2001年にメーカー退職後、株式会社マザーネットを設立。家庭にケアリストを派遣し、家事・育児の細かいニーズに応えるサービスを行っている。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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22歳 | 1984年 |
ダイキン工業株式会社入社。業務用食器洗浄機の開発や、新規事業開発に従事。 社内ベンチャー制度の評価委員も兼務 |
32歳 | 1994年 | 「『キャリアと家庭』両立をめざす会」設立 |
37歳 | 1999年 | ワーキングマザー向け月刊情報誌『Career&Family』創刊。 |
39歳 | 2001年 | 退社。株式会社マザーネット設立。家庭にケアリスト(*1)を派遣し家事・育児の細かいニーズに応えるサービスを開始 |
40歳 | 2002年 | 『女性のための創業マニュアル』を発行。「女性のための起業塾」開講 |
41歳 | 2003年 | 東京支社開設。その後、2004年に長野地区、2005年に福岡支社開設 |
44歳 | 2006年 | 第1回にっけい子育て支援大賞受賞 |
45歳 | 2007年 | 大阪市きらめき企業賞受賞。女性のチャレンジ支援賞(男女共同参画担当大臣賞)受賞 |
47歳 | 2009年 | 『働くママに効く心のビタミン』(日経BP社)出版 |
保育園で子どもを預けて働くお母さんたちにとって、一番困るのは子どもが病気になったときに預かってもらえないこと。子どものために仕事を休みたいが、どうしても休むことができないという板挟みは多くのワーキングマザーが体験しています。上田理恵子さんが設立した株式会社マザーネットは、「働くお母さんたちにやさしい社会をつくりたい」という強いから生まれました。現在は、関西、関東、長野、福岡で約1万人が会員登録する企業へと成長。病気の子どものケア、出張や残業時の保育園へのお迎え、保育園や学校が休みの日のケア、病院への付き添い、産後のケアといった、チャイルドケアサービスと家事代行のサービスをケアリスト(*1)と呼ばれるスタッフが行う事業を中心に、働くお母さんや企業の管理職のためのセミナー、子どものためのスクールなども行っています。
自身も企業に働きながら二人の子どもを育て、子どもたちを保育園に入れるのに苦労しました。さらに、取引先との大事な約束の日に子どもが発熱しても、預けていた保育園には病児保育のサポートがありませんでした。そんな体験から、“働くママにやさしくない社会”を実感して、「『キャリアと家庭』両立をめざす会」を1994年に設立します。これが、2001年に設立したマザーネットの前身となりました。「『キャリアと家庭』両立をめざす会」では、働くお母さん同士や、先輩たち経験を分かち合うための交流会を行い、孤立しているお母さんたちをつなげていきました。設立までの7年間に同会に寄せられた悩みは2万件。一番多かったのが、「子どもが病気の時に預けるところがない」という相談でした。「本当の意味でお役に立ちたい。誰もやらないなら自分がやる」と、17年勤めた会社を思いきって退職。「最初は起業なんて、まったく考えていませんでした。自分にとってはごく自然の成り行きでした」と振り返ります。
設立の5年前からは、人材派遣会社パソナの南部靖之社長が主催する起業塾に参加。その起業塾で、「上場したいとか、売上を100億にしたいという目的で起業した人は失敗することが多い。大きな志を持つことが何よりも大切」と教わりました。「それは、今でもずっと心に残っていて、この市場が伸びるからという利益追求をしたことはありません」
しかし、当時は、株式会社を作るのに必要な資本金は1千万円。上田さんの夫を含め、周囲はもとより、どこに相談に行っても「やめておいた方がよい」と反対されます。「応援してくれたのは、小3と小1の息子たちだけでした」と語るように、逆風のほうがはるかに強かったのでした。それでも諦められなかった上田さんは、勤めていた会社の持ち株を売却して自己資金600万円をつくり、父親から100万円、ベンチャーキャピタルから300万円を借りて資金繰りします。実際の業務に向けては、病児保育ができる看護師を集めることが急務でしたが、幸運もありました。創業の翌日、新聞紙面にマザーネットの記事が掲載されたのです。「その日のうちに、利用したいというお客さまと、仕事をしてみたいというスタッフから100件近い電話がかかってきました」。
スタッフも揃い、いよいよ業務がスタート。ところが、何もわからない状態で突き進んでいた上田さんに最初のピンチが訪れます。ハローワークと大阪府から「看護師を派遣することは法律で禁止されています」と、即事業停止の通達が入ったのです。しかし、派遣先とスタッフが業務契約を結ぶ派遣と違って、ケアリスト(*1)とマザーネットが直接業務請負契約を結んで訪問してもらっているだけなので、派遣業には当たらないという判断になりました。看護師の訪問については、厚生労働省に相談をして、医療業務を行わなければ問題ないということに。それでも、病気の子どもの面倒をみるのには重大な責任が伴います。「もし事故が起きたら一生が台無しになりますよ、と忠告されましたが、そのために保険にも入りましたし、そうしたリスクを追ってでも必要なことだという思いがあったので」と、上田さんは後には引きませんでした。
「壁にぶち当たっては修正というような連続でしたね。私には経営者としての才能はないと思いました。だからこそ、前に進むことしかできなかったのです」と、上田さん。そう語るのには理由があります。創業して7ヶ月後には、資本金の1000万円が底をついてしまったのです。利益だけ追求するか、事業者としての経験があれば、撤退してしまうような節目です。しかし上田さんは、5年返済を条件に600万円の融資を受けることを決断。常に頭にあったのは自分を突き動かしてきた「働くお母さんたちにやさしい社会をつくりたい」という熱意でした。少しずつ経営の経験を積み、3年目にしてようやく黒字。いまでは年35%ほどの伸び率となっています。「急成長をしないかわりに、事業拡大のための借り入れもしない。利益のなかでやり繰りします。売り上げ目標もありません」。
ケア業務だけでなく、家事代行を行うようになったのも、仕事で帰宅が遅くなるお母さんたちの要望があってのことでした。家事代行は、いまや業務の4分の1を占めています。「他社がやらない大変なことばかりをやっている気がします。それが結果的にビジネスになっているんだと思います」。マザーネットが信頼されている理由のひとつに、お客様とスタッフのマッチングがあります。「退職前の5年間は、役職退職になった方を中小企業に派遣する新規事業を担当していました。そのときに、技術よりも人間的相性が大切なことを学びました。それがいまのケアサービスのマッチングに生きていると思います」。利益を求めず、常にお母さんの立場で考えることをスタッフに要求し、あとは自発的に仕事をしてもらうのが方針。
景気の悪化もあって、働くお母さんたちの雇用状況にはさらに過酷になりつつあるので楽観はありません。「一般会員だけでなく、法人会員の開拓が重要です。会社が費用負担をしてくれれば、お母さんたちは安心して働くことができるのですから」。管理職のためのワークライフバランスセミナーでは、男性にシングルファザーとして子育てのスケジュールを作成してもらい、母親の育児や家事の負担を実感してもらうプログラムがあります。「いくらお母さんたちをサポートしても、職場が変わらなければ負担は減りません」。目標を訪ねると「マザーネットが必要なくなる社会の実現」と即答。しかし実際は、24時間の対応を求められるほど、ますます必要とされています。「子育てが終わったら、できるだけそうしたニーズに応えられる体制を整えたい」と、上田さん。理想の社会を目指した挑戦が続きます。
*1ケアリスト…マザーネット独自の厳しい審査に合格した育児と家事のプロスタッフです。ケアリストはマザーネット固有の名称です。
会社(団体)名 | 株式会社マザーネット |
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URL | http://www.carifami.com |
設立 | 2001年8月27日 |
業務内容 | ワーキングマザーの総合支援サービス |
30歳で長男、32歳で次男を出産しました。二人の子どもを同じ保育園に入れるのに苦労したことなど、働くママにやさしくない社会を実感。第2子出産の3日前に「『キャリアと家庭』両立をめざす会」をひとりで設立。創業までの7年間に2万件の悩み相談が寄せられました。一番多かったのは、「子どもが病気の時に預けるところがないこと」。本当の意味でお役に立ちたいと、17年勤めた会社を思いきって退職し、マザーネットを創業しました。
創業の5年前より、パソナの南部靖之社長が主催する起業塾に参加。「上場したいとか、売上を100億にしたいという目的で起業した人は失敗することが多い。大きな志を持つことが何よりも大切」と教わりました。“どの市場が伸びるかというようなマーケティング”はするなとも言われたので、“人がやることを自分はやらない”という信念をもてたのかもしれません。
当時は、株式会社を作るのに、資本金が1千万円必要。起業には夫を含め95%の人が反対しました。子どものおこづかいまでもらい、1千万円用意するのが大変でした。
「働くお母さんにやさしい社会を作りたい」という明確なメッセージを発信することで、仲間ができ、いろいろな人が様々な形で応援してくれたことです。
夫を含め、周囲の95%が反対でした。当時、小3と小1の息子たちが、必死で応援してくれたことが支えになりました。実父も資本金の一部を融資してくれました。
創業の翌日に毎日新聞に掲載され、その日のうちにお客様と仕事をしてみたいというスタッフから100件近い電話がかかってきました。
一生かけてやり遂げたいと思える理念があること、だと思います。それが見つかるまでは、起業するのを待った方がよいでしょう。
どこに相談に行っても「やめておいた方がよい」と反対されましたので、役に立ったと感じた情報源はありません。パソナの南部社長の助言はありがたかったです。
勤めていた会社の持ち株を売却した自己資金600万円、実父から借りた100万円、ベンチャーキャピタルから借りた300万円を合わせて1000万円。
大阪市淀川区のオフィス。最初はワンルーム(10坪)でしたが、今は同じビル内に三つの部屋を借りて、「オフィス」「託児ルーム」「セミナールーム」として使っています。
知人の税理士にお願いしました。今も見てもらっています。
8月に創業してから7ヶ月後には資本金1000万円がなくなりました。自分には経営者としての才能ないと気がつきましたが、そこでやめようとは思いませんでした。さらに大阪市信用保証協会から600万円の融資を受け、経営の経験を積んで3年目に黒字にすることができました。
自分には能力がないと気づいたこと。だから前に進むしかないと思います。
起業後は白黒の世界がカラーになったように感じています。自分でやったことの結果がすぐに見えるのは、大きなやりがいにつながります。企業で働いていたときは、悪くも善くも与えられた仕事をやってきたので充実感が違います。心と体が一致している感じがします。一緒に働くスタッフに対しては、目的を共有できることが大事です。マザーネットに関しては、儲かる、儲からないではなく、お母さんの気持ちを第一に考えるということだけを基本にして、あとは自発的にやってもらっています。シンプルで明快な目標を持ち続けることが大事だと思います。
子どもたちと会話することが、何よりの気分転換です。
マザーネットがなくなる社会を目指しています。管理職向けのワークライフバランスセミナーも行っています。シングルファザーを体験することで、仕事と育児を両立する難しさを実感してもらいたいからです。いくらお母さんたちをサポートしても、職場が変わらなければ負担は減りません。