健康を増進し、心身の疲れを癒すスパ。今や老若男女問わず日常に取り入れられています。梶川貴子さんは、スパのセラピストのキャリアアップを支援。スパサロンやホテル内のスパ施設を運営、コンサルティングしています。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していた | いなかった |
大手企業数社での勤務を経験した後、ITベンチャー企業立ち上げに参画するが、早々に撤退が決まり、大きな挫折感を味わう。その後、「ザ・ウィンザーホテル洞爺」などへのスパ導入でホテルを再建。「フェニックス・シーガイア・リゾート」の再建では約3年にわたる単身赴任で手腕を発揮したが、長い夫婦別居生活に限界を感じ、建て直しのめどがついた時点で退職。東京へと戻る。情熱を注いだスパ業界で、セラピストたちのキャリアアップを支援したいと、2006年起業。夫との時間を大切にしながら、地域再生にも力を注いでいる。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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22歳 | 1987年 |
津田塾大学を卒業し、ボストンコンサルティンググループに入社。経営コンサルタントとして勤める |
30歳 | 1995年 | 日本コカ・コーラ株式会社に転職。《ブランドコミュニケーション》を担当し、『爽健美茶』『ジョージア』をはじめとした数々の製品をヒットに導く |
34歳 | 1999年 | リーバイ・ストラウス ジャパン株式会社に転職。約1年間、同社初の路面店立ち上げに携わったほか、広報に力を注いだ《ブランドマネジメント》を担当 |
35歳 | 2000年 | 米ITベンチャー企業の日本法人アット・ジャパン・メディア設立に参画。最高業務執行責任者として手腕を発揮するが、翌年6月に日本撤退が決定 |
37歳 | 2001年 | 「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」の立ち上げにマーケティング担当取締役として参画。スパ事業に着手 |
39歳 | 2003年 | リップルウッドロッジング社の上級副社長として、「フェニックス・シーガイア・リゾート」の再建を任され、2006年1月までの約3年間、宮崎県に単身赴任 |
42歳 | 2006年 | 株式会社ウェルネス・アリーナを設立 |
心や身体などの回復促進や健康増進のためのサービスを行う施設を意味する「スパ(SPA)」。提供するサービスは温浴やトリートメント(マッサージ)、アロマテラピーなどと聞けば、今や誰でも一度は経験したことがあるはずです。「スパは、東洋医学や様々な国伝来の民間療法などを再構築してパッケージを変えたものと解釈しています。ハーブなど自然の力を活用するので、ある意味、究極のエコロジービジネスではないかと私は思っています」。スパの運営やコンサルティング、スパセラピストの人材教育を行う梶川貴子さんは、そう話します。自身も大のスパファン。週に一度はリサーチをかねて通っているほどです。土地の歴史や自然、伝統までも生かしたスパ事業で、地域再生にも一役買っている梶川さんのスパビジネス。その背景には、多彩な前職での学びと、大きな挫折から立ち直るきっかけとなったホテル再建の経験がありました。
大学卒業後、ボストンコンサルティンググループ(BCG)、日本コカ・コーラ株式会社、リーバイ・ストラウス ジャパン株式会社と華やかな企業で、経営コンサルティングやマーケティングなどを担います。「それぞれの企業で大きな学びがありました。BCGでは理論を、コカ・コーラでは売る仕組みを、リーバイスでは仕掛ける技術を学びました。特に、コカ・コーラ時代に《ブランドマネジメント》を担当した『爽健美茶』は今のスパ事業につながっています。自然志向で健康を考える女性の増加に着眼してブランディングを行い、結果、ヒットを導くことができたのだと思います」。そして、2000年。時はITバブルの絶頂期、大手企業での梶川さんの活躍を聞きつけた外資系ベンチャーファンドから声が掛かり、ITメディアコンテンツ会社の立ち上げに参画します。「上場を目的にビジネスモデルをつくって企業化。それを成功に導くために人を集めたかっこうでした。言ってみれば、形はあるけれど、想いのない“ハリボテ”のようなものだったのでしょうね」。1年も経たずして、その日本法人は撤退を強いられます。しかし、その企業の社長はいち早く退任してしまい、最高業務執行責任者だった梶川さんがトップとして、会社の整理や300人の従業員の処遇を決めることになったのです。「スタッフを守るために自分がリスクを負うこともできなかったですし、自信もなかった。守る立場なのに、どうやってもスタッフを守ることができない無力感。精神がまいってしまうほどに落ち込んで、げっそりとやせ細り、でも目の前の会社整理に追われている。途方もない時間でした」
会社の整理が終わり何も手がつかないでいた時、「キミと同じ挫折感を味わった人がいる」と紹介されたのが、「ザ・ウィンザーホテル洞爺」の窪山哲雄さんでした。運営会社の破産により廃業に追い込まれ、その再建に取り組んでいたのです。窪山さんは梶川さんに再建の手伝いをと考えますが、梶川さんの絶望した表情に「まずは北海道にリハビリに来ないか」と。それを受けて、当初は本当にリハビリのつもりで梶川さんは北海道に向かいます。しかし、学校を出たばかりの初々しいスタッフたちが再建を夢見てがんばっている姿に、梶川さんは前職時代のスタッフが奮闘する姿を重ね合わせます。「罪滅ぼしの気持ちもあったのだと思います。マーケティング担当者として一緒にやってみようと思いました。分厚いホテルマニュアルをむさぼるように読んでホテル事業を覚えました」。北海道・洞爺湖は温泉地ではあるものの、アクセスが決して良い場所とは言えません。周辺の観光目的よりも、このホテルに泊まることを目的に来る人が多いため、ホテル内での時間を有意義に過ごせる施設の充実が必要と考えたのです。「スパだと思いました。リゾート地で心身の疲れを癒しに来るお客さまがほとんど。フランスから招聘した三つ星シェフによる素晴らしい料理と、周辺の豊かな自然、そしてスパで心と体の両方を癒すことができるのではないかと思いました」。再建事業が終わった時、いつしか梶川さんの心のリハビリも終わっていました。
その能力を見込まれて、今度は出身地である宮崎県から「フェニックス・シーガイア・リゾート」の建て直しを任されることになりました。外資系企業による再建に「ハゲタカ」と揶揄される中、梶川さんは宮崎に単身赴任。地元の農家や伝統品をつくる職人のもとを訪ねて丁寧に話を聞き、「宮崎ならではの素晴らしいもの」を1年かけて探していきます。そして、宮崎の歴史、文化、伝統を盛り込んだリゾートホテルとして再建し、地域を再生。もちろん、スパも導入します。「ホテルやスパには、その土地らしさを凝縮させることが必要だと思います。それは、洞爺で学んだことです」。夫婦別居生活にも限界を感じていたため、約3年の再建で黒字化も見えたところで、宮崎を後にしました。
「スパ事業では、セラピストたちの向上心の高さには目を見張るものがあり、人材教育の大切さを思い知りました。志の高いセラピストたちのキャリアアップを応援することができないだろうかと、思うようになっていました」。東京に戻った梶川さんを放ってはおく人はいません。他社から声がかかります。しかし、夫の「本当にそれがしたいことなの?」という言葉にはっとします。夫との時間をつくりたいと戻った東京、その時間を大切にしながら自分らしい仕事をしたい。梶川さんは、2度のホテル再建で考えるようになっていたセラピストのキャリア支援をやはり行ないたいと考え、2006年、株式会社ウェルネス・アリーナを設立しました。
起業にあたって思い出したのは、ITベンチャー企業時代、社外アドバイザーであり、日本マクドナルド創業者の故・藤田田さんから言われた「本当にやりたいことがあるのなら、自分のリスクで、小さく産め」という言葉でした。その言葉に習い、自己資金で会社を設立し、オフィスを東京・青山に構え、セラピストが共に切磋琢磨するアカデミーを始めます。ポリシーにしたのは、クオリティの確保と、安定した雇用、そして社会に貢献できるビジネスをしていくこと。「私の中では、本当にITベンチャー時代の挫折感が大きかったのです。だから、スタッフを守る安定した雇用は第一。それに、ホテル再建事業を通して、人に勝つようなビジネスをするよりも、人や社会に貢献するビジネスのほうが断然喜びが高いと知ったからです」。アカデミーで人材を育成する一方で、ホテルスパをはじめとした数社のスパ運営にも着手。自社運営サロンの確保とアカデミーの充実度を図るために、2007年には東京・銀座にオフィスを移転しました。
また、トリートメント材や化粧品、ハーブなどスパ関連商品も天然素材にこだわって自社開発します。スパやホテルでお客さまが気に入ったと報告を受け、それを生産の現場に伝えることを喜びにしています。「それぞれの地域で素晴らしいものをつくっても、その売り先がわからず困っている生産者はとっても多いんです。それなら自分が売り先になろうと。それもひとつの人を守る、地域再生の形ではないかと思っています」。人を救うのは人。梶川さん自身が救われたスパ事業で、梶川さんは人を育てることにより人を救い、「恩返ししている実感がある」と話します。出資したいという話も多いそうですが、「質を上げるために、会社の規模を大きくすることはあっても、闇雲に大きくすることを目指してはいません。まずは、お客さまとスタッフを第一に大切にして、信用される会社に育てたいです」と語る。言葉の端々から、いかに人を大切にしているかがよくわかる梶川さん。「挫折という失敗があったからこそ、強く今、そう思うんでしょうね」。かつてスタッフを守り切れなかった想いが根底にあるからこそ、スタッフを守り、生産者を守り、地域を守るために、今度は自分がリスクを背負うという強さが、今の梶川さんにはあります。
会社(団体)名 | 株式会社ウェルネス・アリーナ |
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URL | http://www.warena.net |
創業 | 2006年9月1日 |
業務内容 | スパの企画運営やセラピスト教育、コンサルティング、スパ関連商品の開発など |
ITベンチャー企業の立ち上げに参画したのも束の間、7ヶ月で日本撤退が決定。残された社員300人を守りきれなかった自分のあまりの力のなさ、自信のなさに、大きな挫折感を味わい、精神的にまいっている時に、ホテル受託運営会社のザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル社長の窪山哲雄さんに会いました。私のあまりにも疲れた顔に「北海道でリハビリをしないか」と声をかけてくださったのです。当初は本当にリハビリのつもりで行った北海道でしたが、ホテル再建のために、初々しいホテルの従業員たちががんばっている姿に心を打たれ、マーケティングを引き受けることに。そこで初めてスパ事業に着手しました。メキメキと育っていくセラピストたちから人材教育の大切を学ばされました。「フェニックス・シーガイア・リゾート」の再建でもスパを導入。それらの経験から健康事業が今後ますます伸びていくという読みもあり、いつしか志のあるセラピストたちがキャリアアップできる場をつくりたいと思うようになりました。「フェニックス・シーガイア・リゾート」の再建の仕事が終わった後、別の企業から仕事の誘いもあったのですが、夫に「ホントにそれ、やりたいの?」と言われてはっとし、ITベンチャー企業時代、社外アドバイザーで、日本マクドナルド創業者の故・藤田田さんの言葉を思い出しました。「本当にやりたいことがあるのなら、自分のリスクで、小さく産め」。そこで、今度は自分で事業をしようと、スパ業界で起業することにしたのです。
それまでの仕事経験が準備といえます。直前になって準備したことは、そうありません。会社設立の手続きを自分で行い、セラピストたちが集まれるオフィスを借りたくらいでしょうか。あとは、投資家に資金提供を依頼することがあるかもしれないと、それに備えた投資家向けの事業計画書を作成しました。
それまでに携わった、ITベンチャー立ち上げやホテル再建は、クリアしなくてはいけない条件が山積みで、本当に大変でしたから、それに比べたら、自分で起業するのは何も難しいことはなかったような気がします。
それまでの仕事経験を生かしたことでしょうか。リーバイ・ストラウス ジャパンまでの間に、「理論立てて、売って、仕掛ける」という一連をみっちり学んだと思っていますし、「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」では人材教育の重要性を学び、「フェニックス・シーガイア・リゾート」では、マルチターゲットに応えるために、それまでの学びをすべて生かしていきました。今の事業も同じです。これまでの経験を生かすことができたから、起業すること自体に難しさはなかったのだと思います。
自分が本当にしたいことは何なのか、気づかせてくれたのは夫です。夫がいたからこそ、宮崎から東京に戻り、起業するきっかけになったと思っています。「フェニックス・シーガイア・リゾート」再建では長く単身赴任をして、私の仕事に協力してもらっていたので、今は夫に協力してもらうというよりは、逆に私が、できるだけ夫と一緒にいられるように時間をつくっています。ただ、夫はオフィス用品の販売会社に勤めているので(そこはうまく使わないと、ということで)、当社のオフィス用品は夫の会社の製品でそろえました。
スパのアカデミーの生徒が最初のお客さまでしょうか。ネットなどで告知して集客しました。スパの運営やコンサルティングに関しては、こちらから営業活動は特にしていませんでしたが、声をかけてもらいました。
先に話した藤田田さんの言葉どおり、自分で資金を貯め、小さく始めました。また、質の確保と安定した雇用、社会に貢献し、社会に必要とされる会社であることをポリシーにして、そこから絶対にぶれないことを誓いました。
ヘッドハンターをしている友人には「もしも、資金提供をどこかに頼む時が来た場合、どういった人に頼むべきか」などを相談しました。職業柄、様々な人を見ているので、非常に参考になりました。
1000万円です。会社の資本金に充当し、オフィスの物件取得費や設備・備品費などに使っています。
東京・青山にオフィスを構えましたが、アカデミーを強化するにはもう少し広いスペースが必要だと考え、2007年12月に現在の東京・銀座に移転しました。また、ホテルスパとして「軽井沢プリンスホテル」と「グランドプリンスホテル広島」のほか、東京・恵比寿のスパ施設「スパコクーン」、東京・銀座のプライベートサロン「スパ・プレミア」を運営しています。
友人に弁護士と税理士がいました。会社設立の手続きでは、その税理士に相談しています。
転機と言えるほどのタイミングは、まだ迎えていないと思います。3年目ですから、これからではないでしょうか。
まだまだだなと思いますが、達成感はあります。たとえば、当社が運営しているスパで使っている化粧品類は自社で開発したもので、沖縄の海洋深層水を使っていたりと無添加でオーガニックのものが多いのです。ホテルのアメニティとしても使われているので、気に入ってわざわざ当社まで買いにくる方がいたり、アレルギーなどで肌が弱い方が使って、肌にダメージがなかったとわざわざ伝えてくれる方がいたり。そんな話を沖縄の工場長に伝えられる時は嬉しいです。生産の現場とお客さまとのつながりを感じますし、日常の中のちょっとした成長も感じます。
私はこれまで勤めてきた会社で出会った人の縁が今でも続いていて、助けていただくこともしばしばですし、前職の経験が起業準備になったと思っています。だから、今の仕事が嫌だから辞めて起業しようというのは、厳しいのではないかと思います。会社勤めをしている人は、まず誠実に勤めることです。会社勤めで学んだことは、起業したら、すべて自分の元へ帰ってきますから。
散歩や映画観賞、食べ歩き。料理や掃除などの家事。マンガを読むこともいい気分転換で、少女マンガも結構読みます。
欲には欲が集まってくるものですから、お金を儲けることが起業の目的だと報われないでしょうし、それでは続かないと思います。経営者は自己を犠牲にすることも多いですから、それを承知の上でやっていける事業をしたほうがいいでしょう。十分に学んで準備してから、自己資金で、小さく始めることです。私が藤田田さんに言われて実践したことですが、本当にそうだと思います。