北村佳子さんはシングルマザーとして、様々な仕事を経験。4人の子どもを育てるためにと転身した訪問ヘルパーで新たなニーズを発見し、起業。生活弱者がいきいきとした生活を送るために「御用聞き」となり貢献しています。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していなかった | いた |
通信制高校を受けながら調理師学校に通った後、飲食店などに勤務。20歳で結婚し、39歳で離婚を経験。また、勤務先からリストラに遭い、4人の子どもを育てるために、2001年、訪問看護員の資格を取得。日中は訪問ヘルパー、夜は飲食店のバイトとハードな生活を送る中で、家事援助サービスなどのニーズを発見する。そこで起業セミナーを受講して事業プランとして形づくり、2004年、「みやぎ元気起業家コンテスト」に応募。見事入賞し、翌年法人化。生活弱者が地域の中で安全で安心のある暮らしができるようサポートしている。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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39歳 | 2001年 |
訪問看護員2級を取得し、訪問ヘルパーとして勤務。(翌年には1級を取得) |
42歳 | 2004年 | 「みやぎ元気起業家コンテスト」に3位入賞し、あなたの街の「三河や」さんの活動をスタート |
43歳 | 2005年 | NPO法人として認証され、「御用聞き」事業として生活支援を開始し、12月から介護保険事業(訪問介護)をスタート |
44歳 | 2006年 | 障害者福祉サービス(居宅支援)を開始し、8月には仙台市地域支援事業となる |
45歳 | 2007年 | 障害者福祉サービスを開始 |
国民的アニメ「サザエさん」に登場する「三河屋」のサブちゃんをご存知でしょうか。昔ながらの酒屋で、サザエさんの家に注文を取りに来たり、配達したり、果ては迷子になったタラちゃんの捜索にまで駆り出されたり……。「三河屋のサブちゃん」は、地域に愛される「御用聞き」の代名詞だと言えます。そんなサブちゃんをイメージして付けたユニークな社名、NPO法人あなたの街の「三河や」さんを率いるのが、北村佳子さんです。まさに、サブちゃんのごとく、人と商店の架け橋となって地域を助ける「御用聞き」を事業にしたのです。高齢者や障害者など生活弱者のための買い物代行や介助、ゴミ出し、健康相談、安否確認など、ありとあらゆる地域のニーズに応えています。
「一度『サザエさん』でこんなシーンがあったんです。成人を迎えたのに忙しくて成人式に参加できなかったサブちゃんを、サザエさん一家は家に上げて、サブちゃんの成人を温かく祝ってあげたんです。そのシーンを強烈に覚えていて、こんなふうに地域に愛される御用聞きになれたら幸せだなと思ったんです」。そうしみじみと話す北村さんですが、起業するまでに歩んできた道は、決して平坦とはいえませんでした。20歳で結婚し、4人の子どもを出産した北村さんは、飲食店や倉庫の荷物整理など体力を必要とする様々な仕事を経験しましたが、39歳で離婚。高校生になった子どもたちを抱え、日中はカメラ工場で、夜は飲食店に勤めるなどして生活を支えますが、工場からリストラに遇い、失業してしまいます。失業保険を得ながら次なる職探しをする中で目に留まったのが、訪問ヘルパーの仕事でした。
訪問ヘルパーは訪問看護員の資格が必要な仕事ですが、シングルマザーは無料で講習が受けられ、資格を取得できることがわかり、さっそく取得。ヘルパーとしての仕事をスタートしたのです。「その仕事が私にチャンスを与えてくれました。訪問する先で出会う方は、本当に様々な方がいらっしゃいました。体が不自由なため、食材の宅配サービスを利用していても、システムがよく理解できずに食べきれないほど食材を頼んでしまい、腐らせてしまっている方。精神的な病の影響で家がゴミ屋敷と化してしまっている方……。訪問ヘルパーは日常の家事サポートも仕事ですが、介護保険内でのサポートに限られるので、助けてあげたくてもできないケースをたくさん見てきました」。曇りガラスひとつ拭いてあげられないもどかしさ、病院の前までは付き添うことができても、病院の中までは介助はできないもどかしさ……。そんなもどかしさが北村さんの中で募っていきました。
一方で、北村さんは雇われて仕事をすることの限界も感じ始めます。もっと自分の意思で仕事をして報酬が得られる仕事がしたい。そんな思いから、みやぎ産業振興機構が主催する「起業家講座」を受講。授業を通して、訪問ヘルパーの現場で感じていたもどかしさを解消するビジネスがしたいと思うようになりました。そして、ビジネスアイデアをプランに落し込み、入賞者は自治体の融資制度を活用できるビジネスプランコンテスト「みやぎ元気起業家コンテスト」に応募。見事、3位入賞を果たします。ところが、NPO法人での起業を考えた北村さんは、融資制度の対象外だったのです。まったく資金を用意していなかったため、これではスタッフの人件費を捻出することができませんでした。
「想定外でした。賞金の10万円は法人化のための印鑑作成代で消えましたし、切り詰めた生活をしていましたから、生活費を充てることも不可能。そこで、地域への社会貢献性の高い活動に融資をする制度のある山形の殖産銀行(現・きらやか銀行)や労働金庫からの融資や助成金などを獲得し、なんとか事業をスタートさせました」。NPO法人の発起人には、看護師をしていた母親や勤務していた飲食店のオーナー、お店の常連さんにお願いして10人を集めました。NPO法人として認証されたのは、コンテスト入賞から5ヶ月後の2005年7月でした。
居宅支援のケアマネジャーからのオーダーで、介護保険の適用外である病院内の介助といった、行政サービスの隙間を埋める相談も受けましたが、想像もつかない御用を聞くこともありました。「夫の浮気調査という御用がきた時はびっくりしました。また、ゴミ屋敷を掃除した時は、ごっそりと古い着物が出てきたのですが、自立した我が子がアパレルの道に進んでいるので、その着物をリメイクして素敵な商品として蘇らせました」と、子どもたちも北村さんの事業に協力的です。また、自宅に独り引きこもっていた方が、つきあううちに表情が明るくなり、地域の人で集まり語り合う定期交流会「長町しゃべり場 井戸端会議」に顔を出すほどになったこともありました。高齢者や障害者、入院患者など生活弱者と、商店街や行政、福祉施設などの架け橋となり、利用者にはサービスを、商店街には活気を、そして地域には元気と笑顔を提供しています。
最近は障害者の就労支援にも乗り出しました。「Webサイトに、サービス利用者向けの特別メニューを用意する協賛店オーナーの似顔絵を載せているのですが、その似顔絵作成の仕事を障害のある方に提供できないかと考えています」。現在、自宅の一部屋をオフィスにして活動していますが、利用者がふらりと訪れ、お茶を飲んでのんびり話ができる「サザエさん」の家のようなサロンを商店街の中につくりたい、と北村さんは夢を語ります。
かつて、子ども4人を抱え、離婚した当初は途方に暮れ、当時は誰も助けてくれないと嘆いたこともあった北村さん。しかし、振り返ってみると、いつもそばには地域の人の笑顔があったと言います。忙しい北村さんの代わりに子どもの面倒を見てくれる人、いつも子どもにおやつをくれる人、生活を見守ってくれる人……。「人と接する仕事がしたかった。でも、私を支えてくれた地域に恩返しがしたい。そんな気持ちも実はあったんです」。活動の合い言葉は「独りから一人へ」。そこには、人のぬくもりのありがたさをよく知る、北村さんだからこその想いが溢れています。
会社(団体)名 | NPO法人あなたの街の「三河や」さん |
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URL | http://www.mikawaya.sakura.ne.jp/ |
創業 | 2004年6月 |
設立 | 2005年7月1日 |
業務内容 | 生活弱者のための日常生活支援 |
みやぎ産業振興機構が主催する「起業家講座」を受講したのが、大きなきっかけです。最初は事業というよりも、発明に近い商品アイデアの製品化を考えていたのですが、講師から「夢物語ではなく、自分の強みを生かして自分でできることで起業しなさい」とアドバイスをいただき、起業を真剣に考えました。訪問ヘルパーとして働いていた時、日常の家事サポートはしてもいいのに、ホコリで曇った窓ガラスを拭くのはいけないとか、病院の前まで介助するのはいいけれども、病院内の介助はいけないなど、介護保険内でできるサポートには限界があることを感じ、もどかしかったんです。もともと雇われて働くよりも、自分で仕事を生み出して自分の意思で働きたい、という気持ちも強かったですし、人と接する仕事が続けたかったのです。だったら、目の前のニーズに応えるサービスで起業しよう、と決意したんです。
NPOにしようと決めましたが、法人化するためのノウハウはありませんでしたし、NPO法人設立に必要な発起人も集めなくてはなりません。そこで、ノウハウは宮城県や仙台市などの自治体の機関に相談しました。発起人は看護師をしていた母親にまず声をかけ、バイトしていた飲食店のオーナーや従業員、お店の常連さんなどにも熱意を伝えて、発起人になってもらえるよう、お願いしました。
一番は資金がなかったことです。ビジネスプランコンテスト「みやぎ元気起業家コンテスト」に参加し、3位入賞を果たしたのですが、このコンテストは受賞すると県の融資制度を活用できるという話で、それも狙いでした。しかし、NPO法人の場合は融資を受けられないという話が土壇場になってわかり困ってしまいました。コンテストの賞金として10万円獲得したものの、法人化のための印鑑づくりで消えていましたし、事業を開始すると、人件費や運転資金もかかります。そこで、事業への熱意を作文として綴って、NPO法人にも融資してくれる山形の殖産銀行(現・きらやか銀行)から融資を受けました。
何よりもフットワークの軽さだと思います。人脈もほしい、情報もほしい。だったら、人とのつながりを増やさなくてはと、ビジネスセミナーや異業種交流会など、とにかく人が集まるところには参加するようにしました。これは今も変わらずです。知り合いがイベントを開催すると聞けば、お手伝いを買って出て、人とのつながりを増やしています。活動に共鳴してくれる仲間は多いほど心強いですが、人にしゃべらないと仲間も増えないし、伝わりませんから。
看護師をしていた母親は発起人になってくれましたし、友人たちもボランティアとして活動を支えてくれました。また、服飾系の仕事に進んだ子どもたちは、ゴミ掃除の仕事で出た古い着物などをうまく使ってリメイクするなど、若者らしい新しい発想を提供してくれています。
最初はチラシをポスティングして歩きました。記者クラブにポスティングしたことで、新聞に記事として載せてもらい、それを見た方から連絡をもらいました。ケアマネジャーさんからの電話が最初だったでしょうか。介護保険内ではできない病院への付き添いをお願いできないか、という相談だったと思います。
法人で始める際は、自分の事業にどれが適しているのか、よく考えたほうがいいと思います。私は結果的にNPO法人を選んでよかったとは思っていますが、NPO法人ということがネックになって、自治体や国などが行っている起業支援制度を受けられないケースもありました。社会貢献性が高い事業だからといって必ずしもNPO法人にすればいいというものではありません。逆に、株式会社だから社会的信用度が高いという時代でもありません。各種法人のメリットとデメリットを照らし合わせ、「何を目指して、どんな事業を、どんなふうにしていきたいのか」を考えて、法人格は慎重に選びましょう。
中小企業基盤整備機構、みやぎ産業振興機構、仙台市産業振興機構、宮城県中小企業団体中央会など、国や自治体などの組織です。セミナーに参加したり、事業やNPO法人設立に関する相談をしたり……。こういった組織は低額のセミナーを開催していたり、専門家が相談に乗ってくれます。特にシングルマザーの場合は無料で受けられるケースが多いですから、賢く活用されるといいと思います。
事業に回せる資金はまったくありませんでした。ビジネスプランコンテスト「みやぎ元気起業家コンテスト」で賞金10万円を獲得したのですが、法人化に必要な印鑑の作成でなくなりました。このコンテストに入賞すると、自治体の融資制度を活用できるという話だったのですが、NPO法人は対象外だとわかり、困りました。そこで、営利目的の法人でなくても、地域社会に貢献する活動に融資してくれる山形の殖産銀行(現・きらやか銀行)に、事業にかける熱意を綴った作文などを提出し、200万円の融資を得ました。また、雇用促進の助成金を担保に労働金庫から、同じく200万円の融資を受けています。合わせて400万円は、人件費や運転資金に使っています。
もともと住居用として借りていた築40年の借家を自宅兼オフィスとして使っています(おかげで、私は押し入れで寝る羽目になりましたが)。ただ、利用者の方が気軽に来られる場所ではないので、今後は商店街の空き店舗対策事業などを活用して、誰もがふらりと遊びに来ることができるサロンのような場所を、商店街の中につくりたいと思っています。
まったくありませんでした。何も知らず、勢いで始めたところがありますから。ただ、税務や法人化に向けた手続きなどは自治体の支援機関に相談するなどしてクリアしました。
想定したニーズとは想像もつかない相談があった時は、転機だと思いました。たとえば、夫の浮気調査の依頼や、障害のある方の性に関する相談を受けた時などがそうです。また、世間からバッシングを受けた時、給料を支払って運営する難かしさを知った時もそうです。だから、転機となることはたくさんありました。でも、新たな提案やクレームは勉強にもなりますし、バッシングなどは仲間づくりに発展することもあります。困難はチャンス! そう思っています。
これといったシーンは思いつかないのですが、成長は日々、感じています。と同時に、人にも感謝しています。ひとりではできない事業ですし、スタッフや応援してくれる人がいて成り立っているわけですから。
「身の丈サイズのビジネスを始めること」とはよく言いますが、その一方で、「背伸びするから、背は伸びるもの」とも思います。できるだけの身の丈に収まったままでは成長しませんし、それでは守りのままになってしまいます。身の丈のサイズを大きくする努力をしましょう。それを叶えるには、人的ネットワークをつくることです。ひとりではできないことも、人が集まって協力すれば巨人になれます。
お酒を楽しむことと、マンガを読むことです。仲間を集める時も、一緒にお酒を飲みながら、説得していきました。マンガは、少女マンガを中心に昔からよく読んでいるのですが、活字とはまた違った良さがあります。
4人の子どもを抱えて離婚し、養育費などもなく、途方に暮れた時がありました。誰も助けてくれない。その時はそう嘆いていましたが、今思えば、たくさんの地域の人に支えられ、子どもたちを育てることができました。その恩返しのつもりで今、私は事業に取り組んでいます。ひとりよりふたり、ふたりより3人……。たくさんの応援団を増やして、ネットワークをつくって、ひとりではできない大きな事業を目指してください。