30歳から始めた生活研究、食品加工などの経験を活かし、町の施設「マイスター工房八千代」の運営を任されている藤原たか子さん。町の産物を活かした加工食品の研究・販売で、年間1億円を売り上げるまでになりました。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していた | いた |
1987年、生活研究グループ乙女会の結成に参加し、生活教室の開催、家庭菜園の推進・収穫物の加工を始める。活動で培ってきた技術を活かして、1994年「コープふるさと村やちよ」の厨房を任され、おふくろの味を提供する。2001年、町の農協跡地と保育所跡地が改修されて新しい施設「マイスター工房八千代」が竣工したのを機に、施設長に就任。地元食材とおふくろの味にこだわり、八千代ならではの特産品や総菜の開発を行っている。兵庫県女性農業士、初代「北播磨ハートランド夢大使」、地域活動功労賞受賞など。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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30歳 | 1987年 |
生活研究グループ乙女会(以下、生活研究グループ)の結成に参加。生活教室の開催、家庭菜園の推進・収穫物の加工を行う |
43歳 | 1990年 | 町育林オーナー制度の導入で、たくさんの人が町を訪れるようになり、町から依頼されて食事作りを担当 |
47歳 | 1994年 | 「コープふるさと村やちよ」の従業員として、厨房を任される |
49歳 | 1996年 | 自分たちの加工施設を夢見て、食品加工と創作加工に分かれて研究を行う |
50歳 | 1997年 | 農協跡地が加工施設と直売所として整備され、生活研究グループを核とした取り組みが始まる |
54歳 | 2001年 | 4月、「マイスター工房八千代」の竣工、施設運営を任される。加工販売部門・カルチャー部門に分かれて取り組む。 10月、営業を開始。地域女性の就労の場・地域のコミュニケーションの場となる |
56歳 | 2003年 | 摂津東播磨生活研究グループ実績交換大会にて実績発表。団体として、「ひょうご農とくらしの研究発表大会・体験の部」で知事賞を受賞 |
57歳 | 2004年 | 兵庫県女性農業士に認定される。マイスター工房八千代が、食アメニティ・コンテスト近畿代表に決定。オーライ!ニッポン全国大会第1部のコンテストで農林水産大臣賞を受賞 |
58歳 | 2005年 | 八千代町の学校給食に“マイスターの日”ができる。節分・巻き寿司が一日に8,000本の注文を超える。初代「北播磨ハートランド夢大使」に県知事より任命される |
59歳 | 2006年 | 指定管理者制度の導入に際し、任意団体「八千代特産加工交流協会」を設立、理事長となる |
60歳 | 2007年 | 兵庫県から地域活動功労賞を受賞 |
30歳のときに生活教室の開催、家庭菜園の推進と収穫物の加工をする“生活研究グループ乙女会”の結成に参加した藤原さん。その後、町育林オーナー制度の導入で、たくさんの人が町を訪れるようになり、町からの依頼で食事作りを担当したり、“コープふるさと村やちよ”の厨房を任されたりしているうちに、自分たちの加工施設を夢見て、食品加工と創作加工に分かれての研究を始めました。
「八千代というのは何もない、何か目玉商品のようなものができたらいいのに」と思うようになったきっかけは、昭和62年に町が始めた「都市と農村の交流事業」でした。都会から観光客を呼ぶために、町は滞在型市民農園や農業体験施設などを整備し、徐々に観光客がくるようになりましたが、目立った特産品がなく、手土産として売れるものがなかったのです。
そんな折、地元にあった農協の支所が廃止され、町はこの建物の活用を、特産品作りを目指す藤原さんたちに任せることにしました。それが「マイスター工房八千代」であり、今では地域女性の就労の場、地域のコミュニケーションの場となっています。
開業の際の最大の課題は、特産品として何を作ればいいのか、でした。検討の結果、町を代表する2つの生産品(しいたけ・高野豆腐)を生かすことにしました。そして作ったのが「巻きずし」。
八千代では、冠婚葬祭があればどの家でも作る、慣れ親しんだ食べ物です。
ご飯を少なくし、具だくさんにこだわりました。大きく切ったしいたけや高野豆腐、きゅうりは1本の半分も使います。
ところが、1年目は赤字100万円。そこそこ売れたとはいえ、具の材料がかさんでしまったのでした。そこで考えられたのが、それまで捨てていた部分の活用です。
たとえば、きゅうりのヘタはからし漬けにして売る。形の崩れた高野豆腐は、粉にして小麦粉と混ぜ、ドーナツにする。食材を徹底的に有効活用することによって、巻きずしはそのままで、コストを抑えることができるようになりました。
試作品や商品の味を知ってもらうためお客様に試食をしてもらったり、また新聞やラジオ、テレビに取り上げられたり、口コミもあってだんだんと来客が増えてきました。開店から5年たつ頃には、年間1億円を売りあげるまでになっていました。
高齢化が進む八千代は、平成12年に保育園も休園しました。町が住民の要望を聞き、その運営も、マイスター工房として引き受けることになりました。
かつて保育室だった部屋では隣り町から定期的に整体師を呼んでマッサージをしたり、窓の広い遊戯室は喫茶店へ姿を変えました。
ここでも藤原さんたちの工夫が凝らされています。たとえばキャベツの芯でダシをとったにゅうめんを作って出したり、コーヒーを淹れる水は近くの山へ湧き水を汲みに行っています。
これからも、町の人の希望を聞きながら、暮らしに潤いをもたらすようなサービスを充実させていきたいと、藤原さんは考えています。
2006年暮れには、町の指定管理者制度に適応させるため、「八千代特産加工交流協会」を設立し、理事長に就任。
開業を考えている人へのアドバイスとして、「まず、自分が動くこと。自分が動けば、回りの協力者も動いてくれます」ということでした。
会社(団体)名 | マイスター工房八千代 |
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URL | http://www.town.yachiyo.hyogo.jp/meister/ |
設立 | 2001年10月27日 |
業務内容 | 食品加工販売 |
昔から料理が好きで、生活研究グループに入り活動をしていく中で、八千代の特産品を作りたいという思いが強くなってきました。
農協跡地、保育所跡地が改修され、「マイスター工房八千代」が竣工。生活研究グループや「コープふるさと村やちよ」の厨房を任されていた実績が認められ、施設の運営を任されました。
八千代には特産と呼べるものがなかったので、地元の食材を使った特産品の商品開発を行いました。
メインとなる商品を生み出すことと、スタッフのやる気を起こすこと。
スタッフ間の意志の疎通を図り、ローテーションを組み、うまく稼動するようになるまでの経過。
加工部分とカルチャー部門との連携と、ビジネス感覚をもつこと。
「マイスター工房八千代」ならではの、おいしい特産品や総菜ができたこと。
周りからは、3ヶ月ももてば良いほうで、すぐにつぶれてしまうだろうと言われていました。
最初は地元の人でした。大勢の人に味を知ってもらうため、いらしたお客様に食べてもらっていました。
(例えば、3本残っているところに5人のお客様がいらした場合、3本を売るのではなく、「うちのはこんな味です。よかったらまたお越しください」と、切って5人のお客様に食べてもらっていました)
新聞に「農村コンビニ誕生」と載り、ネーミングが人を呼んだのかもしれません。
また、ラジオ、テレビが取材にくるようになり、口コミもあって、拡がってきました。
初心を忘れないこと。妥協をしないこと。
八千代町の施設だったので、町の産業課にお世話になりました。
マイスター八千代は町の施設で、建物や備品、管理体制等すべて旧八千代町が準備してくれたものです。
開業資金としては、20人ほどが2万円ずつ出し合って、仕入れをしていました。
加工場(直売店)、事務所、野菜売り場、カルチャー部。
会計士。現在は、税理士さんにも入ってもらっています。
若い人たちが入ってきて、保険など、雇用のあり方を考えるようになりました。
人の痛みがわかるようになりました。
今まで以上に、家族への感謝の気持ちがわいてきました。
まず、自分が動くこと。自分が動けば、周りも動いてくれます。
プールに行って ひたすら歩くこと。
喉の調子がよければ、カラオケも。