芸術で身を立てることの出来る人はほんの一握り。そんなイメージがありますが、自分の表現したいことをみつけて勉強しつつ、それが仕事にもつながっていく、そんな新しいアートの形を起業に結びつけた紙コップアーティストLOCOさん。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していなかった | いなかった |
美大を目指すが三浪、その後嶋本昭三氏に師事、紙コップアーティストとして活動する。紙コップを用いてイベントやパフォーマンス、ワークショップを展開していく。執筆や講演活動も精力的にこなす。著書に『LOCOMOTION〜世界であなたにしかできないこと〜』『毎日がイタリアン』などがある。愛・地球博にて糸でんわワークショップ、2006年にはイタリア・ベネチアで招待個展も開催。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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21歳 | 1997年 |
日本現代美術界の巨匠嶋本昭三氏に師事し、紙コップアーティストとして活動開始 |
22歳 | 1998年 | 紙コップを用い神戸にて1000人での糸でんわパフォーマンスやコップ人間などを発表 |
23歳 | 1999年 | フィンランドやドイツなど海外にてパフォーマンス発表 |
24歳 | 2000年 | 2つの新聞でアートエッセイ連載開始。 大学での講演や、街をつかったアート展を企画 |
25歳 | 2001年 | 高校生アーティスト育成事業講師をはじめ、ワークショップを全国で開催 |
26歳 | 2003年 | 海外美術大学にて講議。 ベネチアビエンナーレ2003に招待 |
27歳 | 2004年 | 介護老人保健施設で糸でんわワークショップアート観光パンフレット制作(あなたの御国自慢つくります)開始(全国5カ所で制作)。青心社より初エッセイ『LOCOMOTION〜世界であなたにしかできないこと〜』出版 |
29歳 | 2005年 | 結婚。 ワニブックスよりイラストエッセイ『毎日がイタリアン』出版。愛・地球博にて糸でんわワークショップ |
30歳 | 2006年 | イタリア・ベネチアで招待個展 |
受験に失敗したあと、図書館で嶋本昭三さんの本を読み、この人に師事したいと決意したLOCOさん。実は先生のほうからも「是非私の弟子に」といわれました。当事、大学の教授でもあった嶋本先生は、挫折を経験して「悔しい」という気持を持っていたLOCOさんに、学生にはない熱意を感じ「見込みがある」と思われたのだとか。自分にしかできないことを模索する中で、人と人とのつながりを大切にしたい、紙コップを使って表現できないかと思いつきます。紙コップを使った作品によるパフォーマンスや、糸電話を使ったワークショップを開くようになりました。こうした活動が新聞に取り上げられ、その後は口コミで広がり、施設や学校、博物館などから依頼がくるようになりました。また、LOCOさんは地域の活性化にも紙コップアートが活用できないかと考え、観光パンフレット制作に乗り出します。コップで出来たアフロヘアの「コップ人間」が町を訪ね、地元の人では気がつかない町のよさを発見していく。というものです。こうして紙コップアーティストとしての活動が確立されていきました。
現在、芸術に接する機会というのは美術館やギャラリーに行かないと生まれない、そういった場所では静かにしていないといけない。それではアートを楽しめないのではとLOCOさんは感じます。アートを気軽に体験できるよう、また、アートを通して町が元気になったり、自分一人で生きているのではない、人とのつながりに気がつくような、自分のできるアートを使って社会に貢献したい、とLOCOさんはいいます。「アートは生活に必要不可欠というものではないけれど、人生に行き詰ったとき、心に問題を抱えたとき、そのとき威力を発してくれるものではないかと思います。最近問題になっているいじめなども、人と人の関係がうまくいっていない、狂ってしまっていると。小さな試みですけど、紙コップの糸電話で言いたいこと伝えたいことを話してみればいい、不思議と普段話せないことが糸電話だと話すことができたりする場合もあるんです。」
LOCOさんは美大受験には失敗しましたが、その後好きな芸術の世界で身を立てることができました。そんなLOCOさんからアートを仕事にしたいと思う人へのアドバイスです。
「芸術を仕事にすることは難しいと思われがちなのですが、作品で世に認められるということだけではなく、自分にしか出来ないこと、自分が伝えたいことを探すことも大事と思います。それを追求していけば結果的に仕事になっていくのではないかと。必ずしも美大にいくこと=仕事には結びつかないと思います。私の場合、たくさんの人に出会っていろいろなジャンルの現場を知ることで、視野が広がり作品のアイデアになりました。それと、もうひとつ。アートにはわかりにくいものも多いのですが、自分だけが理解していればいい、ではなく、自分の表現したいことを自分の口で伝える努力もアーティストには必要ではと思っています。」
会社(団体)名 | 紙コップアーティスト |
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URL | http://www.daysleeper.jp/~loco/ |
創業 | 1997年9月 |
業務内容 | 紙コップアートでの総合学習授業や、ワークショップ、街おこしを提案 |
子どもの頃から絵が好きで、絵を描く仕事をしたいと思い美大受験。ところが3浪もしてしまい大学進学を断念。なんとかこの道を進みたいと悩んでいたときに、図書館で現在の師にあたる嶋本昭三氏の本に出会いました。この人だ!と思い手紙を送り、なんと会いに行ったその日に弟子入り。実は師のほうから「どうかぼくのお弟子になってください」と言われ、師についていく気持ちが固まりました。
やはり3浪した年月が大きな準備になったと思います。悔しさや、それでもアーティストになりたい!という「心のバネ」の準備になったのだと思います。あの3浪という時間は決して無駄な時間ではなかったと思います。
師からまず言われたことは「世界で誰もやったことのないことをしなさい」という言葉でした。今までの受験勉強で教えられてきたものは、見たものを上手に描くという事で “ワザ”や“上手く見せるテクニック”。これにしがみついている簡単さ、オリジナルは考えれば考える程難しいものだと痛感しました。
この師の教えに混乱している中、「考えたらアカン!」こうピシャリと言われました。考えた時点でそれはもう自分が知っているものであり、やっていく中で結果から教えられるもの、と聞いたとき、殻がはずれたような感じでした。こうして、「あれこれ考える」ことから「とにかくやってみる」に気持ちをチェンジしたのです。するとオリジナルの作品がどんどん生まれました。
これはとても大変でした。両親は普通の企業に就職してほしいと思っており、私は3浪しても夢をあきらめられない状況でした。その時に嶋本先生を訪ねていったのです。道が開けた!と思った私はそのまま師のもとに残る決心をしました。結果、家出をしたような状態になってしまいました。両親は怒り悲しみましたが、必ずや結果を出して、認めてもらいたい、その一心でアーティストの道を突き進むことにしたのです。活動が軌道に乗る頃、両親の理解も得ることが出来、応援してくれるようになりました。
自分の活動記録を多方面に送っているうち、新聞に掲載されたことがキッカケでした。掲載された記事を見て、連絡をくださったのがある高校の先生でした。全校生徒と校長先生が糸でんわで話をする、というワークショップでしたが、こういった経験をあちこちで積みながら、口コミやマスコミによって、徐々に活動が広まっていったように思います。
ただ自分の表現だけでは自己満足で終わってしまいます。世間に向けて、どんなことをアピールしたいのかメッセージを明確に持つことが重要だと思います。「伝えたいこと」を持ち「自分にしかできないもの」を知ることがポイントだと思います。
ニュースなどで世間がどんな状況にあるのか、今、世界はどんなことを要求しているのか、そこに何を伝えなければならないのか、そう気をつけながら、生活しています。また活動においてはアートコーディネーターをしている主人のアドバイスはとても大きいです。
茨城から大阪までの夜行バス代6800円。
イベント依頼で全国に行きますので拠点はあちこちです。事務所は師の事務所大阪から、2006年自宅兼事務所として茨城に場所を移しました。
師の担当になっていた人にお願いしました。
2005年にアートコーディネーターをしているイタリア人男性と結婚してから活動に幅が広がり、イタリアでの発表も増えてきました。日本とイタリアを行き来することで、視点がぐんと広がったと思います。客観的にアートの重要性、表現の方法をみつけることができました。
自分だけの夢から、紙コップアートを通して「人と人とのつながり」を伝えられる、私はこのつながりを伝えていかなければならない、という使命感に変わりました。アートはどう社会に貢献できるのか、自分に何が出来るのか、自己表現から他の人のために、というような心を持つようになりました。
悩んだり、壁に当たったりすることがチャンスにつながると考えています。自分で起業するということは、自分でレールを敷いていくということです。その分大変なこともありますが、前例がない分自由でもあるわけです。お手本に従わなくてもいいので、他人と比べることなく360度広がっていけるわけです。「自分が楽しむこと」、これを忘れないでほしいと思います。自分が楽しまないと、アートの楽しさを伝えられないですからね。
主人とのサイクリングです。抱えていた問題から離れることで、リラックスした頭に答えが浮かんできたりします。また、イタリアの人は家族をとても大事にするので、私もこれにならって、両親と過ごす時間をできるだけとるようにしました。「人と人とのつながり」のおおもとは家族です。家族から教えられることはとても大きいですし、温かいものです。両親がいなければ今の私はありません。
起業においても人生においても「失敗はない」ということです。失敗だと決めるのは自分自身です。もしうまくいかなかった時は「こうなるべきだったのだ」と気持ちを切り替え、その起こってしまった結果から新しく見えてくることも大きいのです。失敗をおそれずに「マイナスをプラスに」こう心を構えれば、全てのものが楽しく見えてきますよ。