おいしく食べること、楽しく暮らすことが仕事の一部、この仕事は天職、と語る大谷ゆみこさん。いのちと食べ物の真実の関係、そのおいしさを伝える「食デザイナー」という仕事にたどりつきました。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かした | していた | いた |
女性5人で企画デザイン会社を設立、事業は順調に進むが利益追求の企業体制に疑問を感じ研究するうち、食の重要性に気がつく。特に雑穀食のおいしさに開眼。以来、体によい食べ物、地球にやさしい暮らし方、心のあり方などを探求、提案。雑穀レストラン「つぶつぶカフェ」、料理教室、ケータリング、セミナーなどを経営、開催。 著書に『未来食』『つぶつぶ雑穀スープ』『野菜だけ?』他多数。4人の子の母でもある。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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23歳 | 1975年 |
千葉大学工業意匠学科卒業、ステーショナリーメーカーのデザイン室に就職 |
26歳 | 1978年 | 退社しフリーになる。退社後元上司に頼まれて、友人と組んで商品シリーズのデザインをロイヤリティー契約で請け負う |
27歳 | 1979年 | 「オフィスフウ」企画デザイン会社設立。1980年、長男出産 |
30歳 | 1982年 | 会社名を株式会社フウ未来生活研究所と改め、食と暮らしの本音の研究に力を入れる |
31歳 | 1983年 | 社員食堂兼、共同調理場としてオフィスの階下に週末食堂「レストラン風」を開く |
34歳 | 1986年 | 長女出産 |
37歳 | 1989年 | 次男出産 |
38歳 | 1990年 | 請負仕事を一切打ち切って、山形県に移住。山形での食と暮らしのセミナーと東京のスタッフに任せたカフェとショップの運営に専念 |
39歳 | 1991年 | 三男出産 |
40歳 | 1992年 | 著書『ベジタリアン野菜クッキング』出版、3万部を超えるロングセラーになる |
43歳 | 1995年 | いるふぁ(株式会社フウ未来生活研究所)設立、『ハートネット』創刊。2冊目の著書『未来食』を発行 |
46歳 | 1998年 | レストランの名前を「つぶつぶカフェ」に変更、体においしいスイーツで若者を惹きつけて食に目覚めさせる作戦を開始 |
48歳 | 2000年 | ドキュメンタリー「風の家族」制作、オゾンホールで上映会開催。 牛込柳町に物件を得て「つぶつぶカフェ」&「ピースフードパーティ「つぶつぶカフェ」&「ピースフードパーティー」を展開する株式会社チーム・イーを設立。 国際雑穀食フォーラムの設立を呼びかけ、国際雑穀食シンポジウム開催 |
51歳 | 2003年 | 年3回発行の、広告のない本音食育マガジン『つぶつぶ』を創刊 |
54歳 | 2006年 | 長野駅前につぶつぶカフェのモデル店を開店。いるふぁとチーム・イーの拠点を牛込柳町に一本化する。韓国に「ライフシードコリア」発足、韓国ツアー実施 「サバイバルセミナー」「つぶつぶカフェ世界の街角計画」「つぶつぶ食育net.」などの各プロジェクト進行中 |
文房具メーカーのデザイン室で働いていた大谷ゆみこさん、ヒット商品を作りデザイン室のチーフとしても活躍していました。その後独立、仲間の女性たちと「オフィスフウ」という企画デザイン会社を立ち上げます。大谷さんたちは「女性が使う商品は女性の手でデザインしたい」というメッセージを掲げ独自の商品開発を企業に提案、順調に活動を続けていきました。しかし、ヒット商品が出て、会社の業績が上がっても、釈然としない思いが募っていきました。物があふれている時代、これ以上必要ではないとわかっているのに、新しい付加価値をつけて売ることで成り立つ社会のしくみに疑問を感じるようになっていきます。
本当の幸せって何だろう?仕事を通して何をしたいのか?調査を進めていくうち、自分も含めて人々が望んでいるのはモノそのものではないことに気がつきました。社名を「株式会社フウ未来生活研究所」と改め、本当のニーズを満たす商品を企画開発するプロジェクトの提案を開始します。と同時に、いのちという視点から未来創造の研究を始めました。その過程で、現代食の危険性を知り、また、それまで知らなかった伝統食、特に雑穀のおいしさと価値に惹かれていきました。ほんとうに体によい、かつ見た目も味も満足できる魅力的な料理を提供するため、カフェレストランやサバイバルセミナーの運営、雑穀食のケータリング、パーティーのトータルマネージメントなど雑穀食を広めるための様々な活動をスタートしたのです。
その後、1990年に大谷さんは山形に一家で移住、「いのちのアトリエ」を建設します。そこで自給的雑穀生活を実践、エコロジカルな食や暮らしについてのセミナーを開催、また、東京のカフェとショップ運営に専念する日々となりました。
「私の場合、生きて生活することが仕事の一部。ここでは年に数回オープンハウスがあり、30人を超える大家族で、散歩して遊んでおいしい食事を作って楽しく食べる、こんないい仕事ないです」と大谷さんはいいます。
大谷さんにとって仕事とは自分の得意なことを社会に返していくこと。人が生きていく上でどんなにシンプルに暮らしていたとしても、800種類くらいの物が必要とされているそうです。「ホチキスの針ひとつとっても誰かが作っている、その誰かのために、自分が得意なことをひとつ役に立ててもらってお返しをする、お金のためだけにするのではなく、社会を支える一員として役割を受け持つのが仕事だと思います」
いのちを輝かせる食の大切さを伝える、この仕事に出会えて幸せだなと感じる大谷さんですが、ここに到達するまでやっていたデザイン会社での仕事も貴重な財産となっています。企業と組んで仕事する中で、どうしたら物が売れるか、戦略を学ぶことができたのです。「今私が手がけているのは食のデザインです。いくら栄養があってもおいしくなければ人を幸せにも健康にもできません。見た目も大切です。形や色に人を惹きつける力があるのなら、それを生かさない手はありません。まず、食べてもらわなければその食のよさを説くことは難しいでしょう?だから料理を魅力的に見せる必要があるのです。そのために、一度は諦めようと思ったデザインの経験が役に立っています」当時得たマーケティングの手法も、活動を広げるのにとても役立っているようです。
会社(団体)名 | いるふぁ (株式会社フウ未来生活研究所) |
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URL | http://www.tsubutsubu.jp/ |
設立 | 1979年11月 |
業務内容 | いのちを輝かせる食の研究と啓蒙普及活動 |
就職して組織の中で仕事するのは向かない、また、満足できないことがわかったからです。
オフィス用物件を探し、税理士さんを探して手続きを進めてもらいスタートしました。
特になし。
実績があったこと、その結果、経済的余裕があったこと。また、時代のニーズに合う提案とスキルがあったことだと思います。
女性ばかりなので、子ども連れもOKの家庭的な会社になりました。
これまでの仕事と提案書を持って、気に入った商品を作っている会社にアポイントを取って営業しました。
起業には心から話し合って仕事のできる仲間が必要です。
特になし。自分たちですべて調査しました。不思議な縁でいろいろなところから情報が集まってきた、と言っていいでしょう。
独立初の仕事がすぐにヒットしたのでそのお金を資金に開業しました。
東京・両国のマンションの1室から江戸川橋の5階建てのビルへ、そして牛込柳町では2倍の広さの3階建てに移転しました。
税理士のみでスタートしました。
企業が求める仕事から、いのちの未来を守るために必要な仕事に転換したいと考え、未来生活研究室の設立を提案する仕事に徐々に切り替えていったことです。徐々に独自の研究を進めて、そちらの仕事をだんだん増やし、あとは来た仕事のみ行うという形でゆっくり業務内容をシフトしていきました。
人が幸せでいられることを追求することで、命や自然について考えることが出来るようになったことです。
自分が幸せになる仕事は、絶対に軌道に乗ります。社会に合わせると返って失敗します。起業だけでなく自分がやりたいことをしている人は成功するでしょう。
最初のころは年に数回の食べ歩き海外旅行で気晴らしをしていました。
暮らしの探検が仕事になってからは、気分転換の必要が無くなりました。
起業のころから、本当に人を幸せにする仕事がしたい、見えるデザインだけでなく、背後にある見えない風をデザインしたいと思っていました。デザイン力も、企画力も思いっきり発揮できる「食のデザイン」という前人未踏の分野で仕事ができて幸せです。