日本には当時なかったベビーシッター会社を立ち上げた小谷野公代さん。世の女性たちにも生き生きとくらしてほしい、また何よりも我が子のために信頼できるシッターがほしいという願いから「キンダーネットワーク」を設立しました。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かさなかった | していた | いた |
レオタードの個人輸入事業を経てベビーシッター会社、株式会社「キンダーネットワーク」を設立。その後、シッターの質向上のため「ベビーチュータープロ養成講座」を開講。その後、NPO法人日本子育てアドバイザー協会を設立。現在キンダーネットワークの一事業部として活動中。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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25歳 | 1971年 |
国際結婚 |
27歳 | 1973年 | 出産。海外生活でベビーシッター雇用 (ロスアンジェルス、マニラ) |
34歳 | 1980年 | 帰国。 レオタードの個人輸入を始める |
36歳 | 1982年 | ベビーシッター会社、キンダーネットワーク設立 |
40歳 | 1986年 | シッターの質向上を目指しベビーチュータープロ養成講座開講 |
53歳 | 1999年 | 任意団体「子育てアドバイザーネットワーク」を設立 |
56歳 | 2002年 | NPO法人日本子育てアドバイザー協会を設立。副理事長就任 |
59歳 | 2005年 | 英国から学ぶ「子どもの心の居場所」シンポジウム開催 |
小谷野さんは結婚後、海外生活をしていました。外国では女性でも社会貢献の意味で仕事をするのが当たり前という教育を子どもの頃から受けていることを知ります。何か自己表現としてやりたいと思い、帰国後レオタードの個人輸入を始めました。仕事を始めると時々子どもをだれかに預けなくてはなりません。でも当時は電話帳を探してもベビーシッターというジャンルはなく、仕方がないので家政婦紹介所に連絡をとりました。やってきた人は家事はできるのですが子どもと遊んでくれるタイプではなかったようで「なぜあんな人を家につれてきたんだ、一人でいた方がまだよかった」と娘さんに言われたのです。小谷野さんが帰宅したとき、おやつを食べながら一人テレビに向かっている後ろ姿をみて、安心して子どもを預けられる人がいないなら自分でそういう会社を作ろう、と思いたちました。始まりはお金儲けとか高い志などではなく小さな願いでした。起業のきっかけとは、そういった小さな願いに焦点を絞れるかどうかではないでしょうか、と小谷野さんは言います。
日本の子育ては母親中心が当たり前という風潮です。でも子育て中のお母さんでも自分の時間を持ったっていいじゃないか、逆にお母さんが生き生きしてなければいい子育てもできないのでは、専業主婦のお母さんの手助けがしたいというビジョンが小谷野さんに生まれました。
ベビーシッターは教育者の一人、家庭に派遣する前に保育者としての勉強をしてもらう必要があると考え、ベビーチュータープロ養成講座を開講しました。この講座を始めてキンダーネットワークの信頼度が一気に上がることになります。新聞や雑誌記事に載ったことも手伝って日本橋高島屋に託児ルームを設けたりと徐々に仕事が増えていきました。
キンダーネットワークを続けているうちに、小谷野さんはお母さんたちの異変を感じるようになります。子どもがかわいいと思えない、子育てが不安という親が増えていることに気づきました。こうしたお母さんたちの話を聞く人が必要ではないかと考え、偶然にも同じ時期、同じ思いを抱いていた小児科医、児童相談所のカウンセラー、幼稚園園長らと子育てアドバイザーを作ろうと計画、2002年にNPO日本子育てアドバイザー協会を設立したのです。
事業が思うようにいかないときも小谷野さんは、キンダーネットワークでの情報源は将来自分がやるべき仕事へ結びつくはずと信じて疑いませんでした。その結びついた仕事が「子育てアドバイザー協会」だったのです。現在の目標は18万人のアドバイザーを全国に派遣すること。「わたしは料理が好き。でも同じ物を二度は作れない、作りたくないタイプ。新しい物をつくりたいのです。人生も同じで、ちがうデザインを楽しみたい。年代とともにやりたい仕事、やれる仕事も変わるはず。アドバイザー18万人が達成できたら、そのとき自分が実感していることをまた仕事にしてみたいなと今から楽しみなんです。」
会社(団体)名 | 株式会社キンダーネットワーク |
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URL | http://www.kinder-network.com |
設立 | 1982年6月1日 |
業務内容 | 総合保育サービス、NPO法人日本子育てアドバイザー協会運営管理 |
自分の子どもを預けるところも日本にはなかったから自分でやろうと思いました。また、海外で得た子育て経験から、日本の母親が生き生きと子育てできるようサポートしたいと考えたことがきっかけです。
他のベビーシッター業界の調査や保険と法整備の調査。ただし、そのころベビーシッター会社がなかったのでどの分野に属するかを決定することが大変でした。結果、請負業としてスタートしました。
ここでも新業種ということで銀行が融資相談になかなかのってくれなかったり、パブリシティー、特に某大手新聞社が取材してくれなかったことが辛かったですね。
専業主婦のお母さんたちのサポートをしたいという一貫した趣旨を持ち続けたこと。他にいろいろな業種や事業に手を出すことも考えましたが、あちこちに手をひろげなかったことで信頼を得たと思っています。また、子育ての提案を雑誌、新聞に取り上げられたことで話題になったことや、人材を養成・教育してから派遣したことで質のよいサービスと評価されたことだと思います。
友人の紹介で出会ったライターさんが雑誌の記事にしてくれたことがきっかけで会社の名前がマスコミに広がりました。
雑誌と新聞を見たという方がほとんどです。
その後は口コミで広がりました。
当時ベビーシッター会社がないということに視点をおき、時代の流れを読み、将来需要は高くなると予想して時代に先がけたサービスを始めたことです。また、お子さんを預かる仕事なので安全・安心・愛情というサービスの特徴をお客さんにアピールしました。
女性起業家の会の代表を務めていたので他業種のPR方法や異業種の方との交流で仕事の作り方を勉強しました。またベビーシッター会社での経験、蓄積はのちの子育てアドバイザー業務に大いに役立っています。
500万円。
事務所を拠点としました。
株式会社は弁護士に頼みました。保険は新業種のため英国の保険会社しか受けられませんでした。会計は義理の兄の公認会計事務所に任せました。
ベビーチュータープロ養成講座を開いたことで人材育成事業で信頼を得ました。
以前は人間関係でギクシャクしていたときに相手を非難することしかなかったのですが、子育てアドバイザー養成講座の中で「自分自身を知る作業」というカウンセリング技法の科目を受講するうちに自分自身のことをよく知ること、相手を知ることの大切さが自然に身に付いたと思っています。
今では人間関係がとても楽になりました。
人はいつの時も学ぶ力があると実感しています。
起業することは自己表現の一つであることであるので、わがままであろうと自己中心的と言われようと失礼に当たらないようにすれば人はいつか認めてくれます。
ゴルフ、パーティー、トレッキング、岩盤浴などなど。楽しいこと。
ひとたび起業したらやめないことです。長く続けていれば見えてくるものが沢山あります。 一心に自分がやってきたことを人は評価してくれているので歳月がたってから振り返ったときに充実感と達成感があります。