電車の中でおっぱいをあげた授乳経験がきっかけとなり、いつでもどこでも授乳できる授乳服を製造・販売している光畑由佳さん。その他にもさまざまな角度から、産後の新しいライフスタイルを提案しつづけています。
仕事の経験 |
結婚 | 子ども |
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生かさなかった | していた | いた |
大学の被服科を卒業後、美術・建築・出版の分野で仕事。電車の中で授乳を余儀なくされた経験から授乳服に関心をもつ。自らデザイン、仲間と共に開発・製作を始め、6年後には法人化。単なる服の製作・販売のみならず、母乳育児支援のため、そして出産・育児という大イベントをサポートするために、幅広い活動をしている。
年齢 | 西暦 | 主な活動 |
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22歳 | 1986年 |
お茶の水女子大学被服学科卒業。パルコに入社、美術企画部所属 |
27歳 | 1991年 | 建築関係の出版社に転職 |
28歳 | 1992年 | 結婚を機に退職。フリーの編集者、建築コーディネーター |
30歳 | 1994年 | 長女出産。自宅「SOFT & HAIRY HOUSE」竣工 |
33歳 | 1997年 | 次女出産。中央線での授乳体験がきっかけでモーハウスを立ち上げ。パソコン通信のコミュニティで情報交換 |
34歳 | 1998年 | 雑誌でのインタビューをきっかけに、ホームページ開設 |
35歳 | 1999年 | 地域活動として、授乳ショーなどのイベントを開き始める |
37歳 | 2001年 | 長男を出産 |
38歳 | 2002年 | ボランティアスタッフと共に法人化 |
39歳 | 2003年 | 愛・地球博で「授乳ショー」開催 |
41歳 | 2005年 | 青山ショップオープン |
42歳 | 2006年 | 授乳服初のファッションショーを東京ウィメンズプラザで開催 |
“モーハウス”として授乳服の製造販売をしている光畑由佳さんが起業するきっかけは、当時生後1ヶ月だった次女が電車の中でおっぱいが欲しくて大泣きしたことから。仕方なく車内で授乳をしましたが、これでは授乳のために外出できなかったり行動を束縛される人が多いだろうと実感しました。
いつでも、どこでも、あかちゃんが欲しがる時にすぐにおっぱいをあげることができたなら…と考えていたところ、海外で授乳服に出会って感激!この気持ちをたくさんの人に伝え、産後の新しいライフスタイルを提案したくて、自分で製作することを始めました。
そして、単なる服の製作・販売のみならず、母乳育児支援のため、そして出産・育児という大イベントをサポートするために、実に幅広い活動をされています。
光畑さんは、大学で被服科を専攻。建築コーディネーターなどデザイン関係の仕事もしていましたが、授乳服については最初から「人と人とをつなげて作り上げていこう」と考えていたといいます。「すべて自分でやろう」ということではなく、「何人かのチームで作り始めよう」と。
そこで、まずは、縫製ができる人、デザインが出来る人など、最低限のスタッフを探し始めました。
また、その後もたくさんの方とのつながりを大事にしてきたからこそ、信頼され、拡大してきたともいえるでしょう。
たとえば、スタッフ自身が授乳中であるなどユーザーと非常に近い立場にあるので、商品開発に関しても、本当に使いやすいか、気持ち良いかなど、たくさんの声が反映されています。
“授乳服のモーハウス”の大きな特徴は、スタッフの多くが子連れ出勤であり、出勤時間も自由な勤務体制であること。光畑さんのこだわりとして、「働き方に人を合わせるのではなく、人に合わせた働き方を作っている」のです。
スタッフもお客様も、こういった彼女の思いとの共感が根っこにあり、それがこの会社を支えているともいえます。
これから起業を考えている女性たちへのメッセージとして、「自分に合った起業の形を選ぶ、自分に合った働き方を作ることはできるんです。頭を柔軟にして、いろんな選択肢を探っていただきたいですね」とお話してくださいました。
会社(団体)名 | モーハウス(有限会社モネット) |
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URL | http://www.mo-house.net/ |
創業 | 1997年11月 |
設立 | 2002年 |
業務内容 | 授乳服の製造、販売 |
次女が生後1ヶ月の頃、子連れで中央線に乗り、大泣きされてどうしようもなくなり、悩んだ末に車内で授乳をしましたが、これでは授乳のために外出できなかったり行動を束縛される人が多いだろうと実感。道具で何とか解決できるのではないかと思いました。
その後、海外で見つけた授乳服を試しに着てみたのですが、その瞬間、羽根が生えたような開放感を感じました。この気持ちをたくさんの人に伝え、産後の新しいライフスタイルを提案したくて、自分で製作することを始めました。
縫製ができる人、デザインが出来る人など、最低限のスタッフを探すこと。逆に言えば、最初から「すべて自分でやろう」ということではなく、「何人かのチームで作り始めよう」と思っていました。
マーケット自体がなかった商品なので、助産師さんや雑誌編集者さんなどいろいろな方に意見をお聞きしましたが、誰に聞いても「皆産むことで頭がいっぱいだし、産んでしまったら自分のことに気が回らなくて我慢してしまうし、絶対に売れないよ」と言われました。
確かに実際に授乳中の人たちはその通りの反応だったし、1万円の商品を見ても「2千円だったら買うけどね」といった反応も。まずは、「授乳服とは」ということを広めるのに長い時間がかかりました。
大きな投資をせず、自分の力でできる範囲で自然にゆっくり始め、継続したことと、他の人の力を借りたことだと思っています。
本当に小さな、資金とも呼べないような資金から始めた8年前から、現在に至るまで、少しずつのステップアップは、すべて人との出会いや、周囲の人からの後押しによるものでした。
授乳服を作り始めて間もない頃、たまたま、助産師を含む近所のお友達3人に年の離れた赤ちゃんが生まれ、彼女たちが自主的に手伝ってくれたことが大きかったです。
近所の授乳中の友人や、パソコン通信(当時はそう呼んでました)の育児サイトで知り合った方たち、同じ助産院で産んだ友人など。商品開発の相談もしながら買っていただいた感じです。
その後は、カラーコピーで簡単なパンフレットを作って、ミニコミ誌などに小さな記事で紹介してもらったり、個人売買の情報誌(当時はまだインターネットが盛んではなかったのでこういう媒体があったのです)、資料請求に応じて送って注文をいただいたり、というように徐々に広げてきました。
無理なく楽しく。
資金もありませんでしたので、公的な相談機関は時々利用しました。
特にありませんでした。財布に入っていたお金数千円程度で動き始めました。
自宅。とはいえ、自宅がかなり変わった建物だったので(当時は建築家の紹介をしていきたいと考えていた)、サロン的に使うことができました。そのサロンは現在も継続しているし、青山のショップも同じイメージで作りました。
特にありませんでしたが、公的な機関の相談窓口を利用しました。
周りからの一言がいつも転機のきっかけです。
立上げ時から手伝ってくれていた3人から「自宅を開放してサロンを開いたら」と提案され、サロン開催を決定。ホームページの設置も、雑誌の取材を受けた際に「せっかくだからホームページのアドレスを載せたら?」と記者の方に言われて作りましたが、その後、ネットショップとして力を入れています。
また、当初カラーコピーだったカタログも、福岡の助産師さんが「母親学級で配るから100部送って」と言ってくださったのがきっかけでオフセット印刷にグレードアップ。
2005年に青山ショップを開店したのは、コミュニティ的な場所をつくば以外にも作りたかったのと、授乳服を着て子ども連れでも安心して出かけられる、ちょっとおしゃれな場所があったらいいな、という思いからです。ここでも子連れ出勤を認めていて、広い世代の方にその姿を見ていただける良い機会になっていると思います。
起業前から、「どんな経験や物からでも何か生かせるはず。それを見出そう」という姿勢でいたのですが、それがより強くなったかもしれません。物事を前向きにとらえること、と言い換えてもよいかもしれません。いろいろな事が起きますが、「できない」「仕方ない」など愚痴だけで終わっていては前に進めません。
また、一方的に得をするのではなく相手にもメリットを見出してもらってのフェアな関係を取引先とも結ぶとか、人の繋がりを大事にすることなど、物事への取り組み方や生き方のような部分がはっきり整理されたように感じます。
以前、取材で、「起業はオーダーメイドの働き方」と表現してくださった方がいらっしゃいました。確かに責任はすべて自分でかぶらなくてはならないけれど、反面、働く時間や場所を自分でアレンジできることは、子どもがいる女性にとっては大きなメリットです。
出産・育児の期間は、人生の中でも、頭をクールダウンさせて、本当に自分がやりたいことは何なのか?と見つめなおすとても良いチャンスだと思います。そして、家庭内での仕事や育児を通して、段取力や集中力もアップしているはず。頭を柔軟にして、いろんな選択肢を探っていただきたいと思います。
活動の一環ではありますが、イベントの準備など普段の仕事とは違うプロジェクトが入るとリフレッシュします。
普段からぐっすり眠るようにしているほか、マッサージでリラックスしたり、ショッピングを楽しんだり、短い時間でも有効に気分転換できるように心がけています。
授乳服を作り始めたころは他の仕事もしていましたし、「これで稼ごう」というよりは「これを着た時の気持ちをみんなに知ってもらいたい」「広めたい」というだけでした。
その後の法人化も、起業とか会社を作りたかったとかいうよりは、ユーザーさんへの責任を果たしたいという気持ちでした。私たちが作った授乳服によって、「助かった」「こんなに楽だったなんて」といった言葉をいただけるのは、本当にありがたいこと、と思っています。