起業レッスン112 : 身体と細胞
起業レッスン112 : 身体と細胞
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前回は、<戦後の日本社会と個人のありかた>について話しました。
時代の大激動の波を自己変容の機会として、<起業>を活用する、、、そのために、あらためて、下記の問いにこたえる、、、
(1)今はどういう時代で、私たちはどのような状況におかれているのか?
(2)これからどのような社会に向かっているのか?
(3)その社会では、生きかたや働きかたがどのように変わっていくのか?
(4)そのために、<わたし>は、なにをどのように準備すれば良いのか?
(5)そして、、、これからの生きかたや働きかたを、子どもや後の世代にどのように伝えるのか?
最初に取り上げるのが、、、今はどういう時代で、私たちはどのような状況におかれているのか?、、、という問いでした。
NAMIさんは、社会と個人との関係を、<身体>と<細胞>という比喩(ひゆ)をあてはめて、こんなふうに語りました。
・戦前の日本では、個人というのは、藩や国家や村や家という全体(共同体)のなかのピースのひとつにすぎなかった。
・戦争に負けて、はじめて、集団ではなくて、個人でやっていきなさいと言われるようになった。
・これは、とんでもないこと、、、<細胞>が、身体の一部として、なんの疑いもなくやってきたのに、身体がなくなってしまったので、もうこれからは、細胞は細胞として勝手に生きていってくださいと言われたようなもの。
・こういうところの課題が、日本人の根っこにあるのではないかしら、、、と。
社会秩序という<身体>がこわれて、個人という<細胞>が放り出されてしまう、、、<細胞>はどう生きていけばよいのか、、、という時代になったことを指摘していました。
このNAMIさんの指摘に対して、私はこんなふうに答えました。
・戦争で負けて、日本人は共同体としての国家を否定するようになった。
・地域や家も解体していった。
・マス産業による高度成長が、そのことに拍車をかけた。
・そういう流れのなかで、それでも、人々は共同体を必要とした。
・国家や地域に変わって、その共同体の役割を果たしたのが、会社だ。
・松下幸之助に代表されるような、擬似宗教的共同体組織である会社が、戦後の日本を牽引した。
・この現象を指して、海外からは、“日本株式会社”と称されるようになった。
・つまり、戦前の<国家>に代わって、戦後の日本社会は、<会社>が<身体>の役割を担った、、、と。
この<会社共同体>の仕組みは、戦後の日本で大成功しました。
<日本株式会社>は、敗戦で社会体制が崩壊し、社会的衣服が剥奪されて裸になった個人に対して、<細胞>のための<身体>の役割を担ったのです。
しかし、この仕組みが成功しすぎたために、今、日本社会の苦渋があると言うことができます。
高度成長期の日本の劇的な経済拡大を怖れた米国は、1985年のプラザ合意で日本を経済的に追い詰めますが、この頃が、歴史的に<日本株式会社>のひとつの分岐点となります。
以後、グローバルな競合の時代となって、<会社>が本来の機能的な組織への回帰がはじまります。
そして、次第に<会社>の共同体的な性格が失われていきます。
つまり、会社が、<細胞>のための<身体>の役割から逃れるようになっていくのです。
(続く)
大久保忠男
** 以上は、2016年5月26日配信<起業レッスン>の再掲です *
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