起業レッスン111 : 戦後の日本社会と個人のありかた
起業レッスン111 : 戦後の日本社会と個人のありかた
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前回は、<あらためて原点からはじめる>について話しました。
1.<ドラッカーの観る>地点に立ちながら、、、<わたし>を新たに創造する、、、<起業>はそのために役立ってくれる、、、
2.観られている、創られている、受動的な<わたし>は、大波にさらわれてしまう、、、
3.観る、創る、能動的な<わたし>は、サーファーのように大波に乗り滑降する、、、
4.時代の大激動の波を自己変容の機会として、<起業>を活用する、、、
5.あらためて、下記の問いかけについて応えようと試みる、、、
(1)今はどういう時代で、私たちはどのような状況におかれているのか?
(2)これからどのような社会に向かっているのか?
(3)その社会では、生きかたや働きかたをどのように考えたいのか?
(4)そのために、<わたし>は、なにをどのように準備すれば良いのか?
(5)そして、、、これからの生きかたや働きかたを、子どもや後の世代にどのように伝えるのか?
まず、、、(1)今はどういう時代で、私たちはどのような状況におかれているのか?、、、この問いを取りあげましょう。
以前に、NAMIさん(小南奈美子さんの愛称)との対談で、この問いについて話し合いました。
参照 → 戦後の日本社会と個人の在りかたについて
http://www.watashi-kigyou.com/taidan/nami/story06.php
NAMIさんは、こんなふうに語っていました。
『従来、日本では、江戸時代は藩、明治以降は国家、そしてずっと家というものが、全体を構成していて、個人はそれらのなかのピースのひとつにすぎなかった。
戦争に負けて、戦後はじめて、個人が基本となった。
集団ではなくて、個人でやっていきなさいと言われたわけです。
これは、とんでもないことですよね。
<身体>のひとつひとつの<細胞>が、身体のなかで、身体の一部として、なんの疑いもなくやってきたのに、身体がなくなってしまったので、もうこれからは、細胞は細胞として勝手に生きていってくださいと言われたようなもの(笑)
こういうところの課題が、日本人の根っこにあるのではないかしら。』
ここで、NAMIさんは、<身体と細胞>という比喩(メタファー)を使って、社会と個人との関係を説明しています。
良し悪しは別として、個人は、藩や国家や村や家などの共同体に守られて(または縛られて)きたわけですが、、、
それが、敗戦などによって大きく変わるのですね。
社会秩序という<身体>がこわれて、個人という<細胞>が放り出されてしまう、、、
<細胞>はどう生きていけばよいのか、、、という時代になったことを指摘しています。
このNAMIさんの指摘に対して、私はこんなふうに答えました。
『たしかに、日本人にとって重要な問題ですね。
戦争で負けて、日本人は共同体としての国家を否定するようになりました。
これは、GHQの洗脳政策の影響も大きかったと思います。
それに伴って、地域や家も解体していきました。
マス産業による高度成長が、そのことに拍車をかけた。
そういう流れのなかで、それでも、人々は共同体を必要とした。
国家や地域に変わって、その共同体の役割を果たしたのが、会社です。
松下幸之助に代表されるような、擬似宗教的共同体組織である会社が、戦後の日本を牽引した。
この現象を指して、海外からは、“日本株式会社”と称されるようになりました。』
つまり、戦前の<国家>に代わって、戦後の日本社会は、<会社>が<身体>の役割を担った、、、と言いました。
(続く)
大久保忠男
** 以上は、2016年5月19日配信<起業レッスン>の再掲です *
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