起業レッスン107 : PFドラッカーの洞察力(18) : 人間の在りかたを封じる
起業レッスン107 : PFドラッカーの洞察力(18) : 人間の在りかたを封じる
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前回は、<センタリングとゼロポイント>について話しました。
1.XY平面で表わされる水平的な世界は、<わたし>の日常世界のこと、、、
2.私たちは、誕生から今まで、この世界に適合するように訓練されて生きてきた。
3.垂直軸は、新たな目覚めによる、新たな自己の創造のこと、、、
4.この垂直軸のことを<センタリング>と言う。
5.<センタリング>とは、<わたし>の大黒柱となるもの、、、
6.水平的な世界だけでは、<わたし>は、あっちへふらふら、こっちへふらふら、、、と、自分の中心(センター)が定まらない。
7.その場合、<わたし>は、会社員にも経営者にも妻にも夫にも金持ちにも貧乏人にもなることができるが、、、<わたし>そのものにはなることができない、、、
8.垂直軸を創造することによって、<わたし>そのものになることができる。
9.そして、垂直軸と水平面とが交差する位置である<ゼロポイント>に在る<わたし>を認識することで、<鹿>も<山>も、<図>も<地>も、どちらも見ることができるようになる、、、
10.この<ゼロポイント>のことを、<いま・ここ>と言う。
11.<いま>とは、<いつでもいま>であり、、、<ここ>とは、<どこでもここ>である、、、
この<センタリング>と<ゼロポイント>については、かみくだいて易しく述べることが難しいのです。
ドラッカー自身も、比喩やイメージを使って語っていましたが、肝心なところになると、哲学的な説明にならざるおえないようでした。
私自身の文章力の問題ももちろんあるのですが、、、ある点から先は、自分のなかに感覚化することができるかどうか、、、という課題になるようです。
ですから、そこには、言葉の限界というものが出てきます。
禅では<不立文字>とか言いますが、言葉を離れて理解するという世界になります。
そういう意味では、<瞑想>や<座禅>の持つ意味合いと似通っているかもしれません。
<座禅>では、、、
<結跏趺坐>と言って足を組みます、、、足を組むというのは<鹿>を追うこともできないし、虎から逃げることもできない、、、つまり、足を封じられている、、、
両手は<印を結び>ます、、、手は掴むこともできないし、道具も使えない、、、つまり、手を封じられている、、、
舌は上あごにつけます、、、話すことができない、、、つまり、言葉を封じられている、、、
頭は、思考から離れるようにします、、、つまり、考えることを封じられている、、、
これらは、すべて人間としての在りかたを封じられていることを意味します。
伝説の老師と謳われた澤木興道禅師は、ある人から<もうすこしましな人間になりたいので座禅の修行をしたい>と言われ、こう答えたと言う、、、
<座禅はましな人間になるためのものではない、、、人間を廃業するためのものだ、、、>
また、こんな言葉も遺しています、、、
<人間が偉くなったのが仏ではない、、、人間を一服したのが仏だ、、、>
(続く)
大久保忠男
** 以上は、2016年4月7日配信<起業レッスン>の再掲です *
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