起業レッスン105 : PFドラッカーの洞察力(16) : 水平性と垂直性
起業レッスン105 : PFドラッカーの洞察力(16) : 水平性と垂直性
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前回は、<日常的でない次元の在りかた>について話しました。
1.<鹿を追う>のは日常的な次元であり、<鹿を追わない>というのは日常的な次元ではない、、、だから、<鹿を追う → 鹿を追うのを止める>というのは次元転換を意味する、、、
2.ドラッカー博士が14歳の誕生日を直前にひかえたころ、ある記念日のイベントとしてのデモ行進の隊列を自ら離れた時に、この次元転換が起こった、、、
3.『傍観者の時代』のなかの<傍観者についての定義>も、この次元転換を意味している、、、<傍観者には自己の歴史がない。傍観者は舞台の上に居るにはいるが、しかし役者ではない。傍観者は聴衆ですらない。傍観者は、舞台の袖に立って、役者や聴衆が気づかずに見過ごすものを見る。>
4.自己の歴史も、舞台の役者も、舞台を楽しむ聴衆も、すべてが<鹿を追う>日常的な次元の在りかたであり、、、舞台の袖に立っている傍観者だけが、<鹿を追わない>日常的でない次元の在りかたを示している、、、
<傍観者>とは、、、<鹿を追わない><日常的でない次元の在りかた>を意味しています。
<鹿を追う>という<日常的な次元>の在りかたと、、、<鹿を追わない>という<日常的でない>次元の在りかた、、、とは?
<鹿を追う>日常的な次元の在りかたとは、、、習慣的でもあり、、、社会的でもあり、、、この世に生まれて以来、小学生であったり、兄であったり、妹であったり、大学生であったり、新入社員であったり、後輩であったり、母親であったり、(病院で)患者であったり、定年退職者であったり、、、
、、、このようにさまざまな社会的な在りかたを変遷する自分のすべてを、あたかも水平面に並べてみるかのように見る、、、
、、、これを、仮に<水平的な在りかた>と呼びましょう。
一方、<鹿を追わない>日常的でない次元の在りかたとは、、、習慣的でもなく、、、社会的でもなく、、、どんな社会的な役割や名前もつけられない、、、そうした自分の在りかた、、、
、、、そうした在りかたの自分は、習慣的でもあり社会的でもある日常的な次元にある自分を見ている、もうひとりの自分、、、
、、、それを、仮に<垂直的な在りかた>と呼びましょう。
<水平的な在りかた>は、今まで現実と思ってきた自分と世界のすべてを意味します。
<垂直的な在りかた>は、新たな現実です、、、自分と世界の新たな側面です、、、水平的な自分の陰で今まで眠っていた自分です。
<垂直的な在りかた>は、<水平的な在りかた>に対して直交するような関係にあります。
<水平的な在りかた>をXY平面で表わすなら、<垂直的な在りかた>は縦のZ軸で表わされます。
このXY平面とZ軸とが交差するところ、、、つまりXYZ3次元座標軸の交点が、舞台の袖から見ている<傍観者>の位置にあたります。
ゼロポイントですね、、、この位置を発見すること、、、そして、ここに立つこと、、、それが予言者ドラッカーが生まれる場所です。
(続く)
大久保忠男
** 以上は、2016年3月24日配信<起業レッスン>の再掲です *
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