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起業レッスン104 : PFドラッカーの洞察力(15) : 日常的でない次元の在りかた

起業レッスン104 : PFドラッカーの洞察力(15) : 日常的でない次元の在りかた
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前回は、<鹿を追うのを止める>について話しました。


1.これまで、<見る>ということについて2つの違いをみてきた、、、私たちの日常的な<見る>と、、、ドラッカー博士の<見る>、、、

2.私たちは、鹿を追う猟師のように、<図>である鹿に囚われて、<地>である山を見ようとしない、、、

3.私たちが見ようとしない<地>を、博士は見ていた、、、

4.なぜ、博士は見ることができたのか?、、、それは、鹿を<追う>ことを止めたから、、、

5.<地>である<山>を見るためには、鹿を<追う>ことを止めなければなければならない、、、

6.私たちの日常は、特にビジネスなどの活動においては、鹿を追うことが常態、、、鹿を追わないとすれば、それはなにもしていないことと同じ、、、

7.ビジネスの目的を設定し、行動計画をたて、遂行確認をする、、、これらはすべて鹿を追うこと、、、

8.鹿を追うことを止める、、、というのは、日常的な次元では考えられないこと、、、

9.<鹿を追う>というのは日常的な次元であり、、、<鹿を追わない>というのは日常的な次元ではない、、、

10.そうすると、、、<鹿を追う → 鹿を追うことを止める>というのは、次元転換を意味すると言っていい、、、


<鹿を追う>のは日常的な次元であり、<鹿を追わない>というのは日常的な次元ではない、、、だから、<鹿を追う → 鹿を追うのを止める>というのは次元転換を意味する、、、

では、<鹿を追うのを止める>とはどういうことでしょうか?

ドラッカー博士にとって、それはどのように現れたのでしょうか?


ここで、『傍観者の時代』で語られた、ドラッカー少年のエピソードを思い出しましょう。(参照→起業レッスン097)

博士が、傍観者としての自分を最初に自覚したのは、14歳の誕生日を直前にひかえた頃、ある記念日のイベントとしてのデモ行進の隊列を自ら離れた時でした。

そして、こんなセリフがありました。

<傍観者は生まれつき傍観者なのであり後天的につくられるものではない>

不思議なニュアンスを帯びた文言ですが、おそらく、こう言って良ければ、デモ行進の隊列のなかにいた時、ドラッカー少年は天啓のような感覚に貫かれたのでしょう。

それは、デモ隊という集団から疎外された自分の在りかたが意識化されたものであった、、、

それによって、隊列行進の流れに同一化していた者から、流れを見る者に移行した、、、

この時、<鹿を追う → 鹿を追うのを止める>という次元転換が起こったのです、、、または<鹿を追わない>自分の在りかたに気づいた、、、と言ってもいいでしょう。


『傍観者の時代』には、博士による<傍観者についての定義>のような文言もありました。(参照 → 起業レッスン096)

<傍観者には自己の歴史がない。傍観者は舞台の上に居るにはいるが、しかし役者ではない。傍観者は聴衆ですらない。傍観者は、舞台の袖に立って、役者や聴衆が気づかずに見過ごすものを見る。>

自己の歴史も、舞台の役者も、舞台を楽しむ聴衆も、すべてが<鹿を追う>日常的な次元の在りかたです。

舞台の袖に立っている傍観者だけが、<鹿を追わない>日常的でない次元の在りかたを示しているのです。



(続く)



大久保忠男



** 以上は、2016年3月17日配信<起業レッスン>の再掲です *

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