起業レッスン100 : PFドラッカーの洞察力(11) : 鹿を追う猟師山を見ず
起業レッスン100 : PFドラッカーの洞察力(11) : 鹿を追う猟師山を見ず
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前回は、<ドラッカーさんの核心にふれる>について話しました。
1.ドラッカー博士は、自分自身のことを<見る者>だと考えている、、、
2.そして、この<見る>は、私たちの日常的な<見る>行為とは異なった性質を持っている、、、
3.このテーマはドラッカーの最も奥深いところにある思想のひとつだ、、、
4.この思想を自分のものにできると、自分を取り巻く景色が異なって見えるようになる、、、ビジネス風景はもちろんのこと、自分の在りかたや生きかたも含めて、、、
5.将来、それが実践面でも精神面でも財産となる、、、
では、、、博士の<見る>と、私たちの日常的な<見る>とは、どう異なっているのでしょうか、、、?
<鹿を追う猟師、山を見ず>という文言があります。
鹿を追う猟師にとって、山はどうでもいいのですね、、、注意は鹿に注がれていなければならない、、、山に気をとられていては、鹿に逃げられてしまう、、、
そして、猟師は、鹿を射止めるために必要な形や動きを見ようとする、、、つまり、見られる鹿は、猟師の眼によってそのように象られているわけです、、、
私たちの日常的な<見る>は、この猟師の眼と同じ性格を持っています。
鹿を追う猟師と同様に、<私>も日常生活のなかで自分にとって必要なものを見ようとし、見られるものは、<私>の眼によって象られているのです。
一方、<猟師は山を見ず>と同様に、<私>も、<私>にとって不要な<山>を見ようとはしません、、、<山>はそこにあってもそれに気づくことはないのです、、、
見られる<鹿>と見られない<山>、、、この関係は習慣によって固定化されます、、、それによって、<私>のまわりは<鹿>で覆いつくされるようになります。
<私>が見る光景は、、、つまり<世界>は、、、<鹿>で埋めつくされて、<山>はその影に沈みこんでしまいます。
<鹿>に幻惑されないで、その影に沈みこんだ<山>を<見る>こと、、、これが、ドラッカー博士の<見る>、、、です。
<鹿>に焦点を固定されていた眼を引き離して、視界に<山>を入れる、、、
<見る>ことを転換する、、、
この転換は、<視覚革命>とも<知覚革命>とも言えるし、また<認識革命>と言ってもいいでしょう。
(続く)
大久保忠男
** 以上は、2016年2月18日配信<起業レッスン>の再掲です *
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