起業レッスン098 : PFドラッカーの洞察力(9) : <見る>者
起業レッスン098 : PFドラッカーの洞察力(9) : <見る>者
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前回は、<傍観者という言葉の真意>について話しました。
1.傍観者には自己の歴史がない、、、傍観者は役者でも観客でもない、、、と語るドラッカー博士の真意はどこにあるのか?
2.『傍観者の時代』の冒頭には、上記の文章に続いて、次のような文言が目を惹く、、、<本書は、私個人に関する本ではない、、、自叙伝でも回想録でもない、、、しかし、本書はきわめて主観的な本である、、、一流の写真家が主観的たらんとするのと同じ意味で、、、>
3.博士が、傍観者としての自分を最初に自覚したのは、14歳の誕生日を直前にひかえた頃、ある記念日のイベントとしてのデモ行進の隊列を自ら離れた時だったと語っており、そして、こんなふうに言う、、、<傍観者は生まれつき傍観者なのであり後天的につくられるものではない>、、、
4.また、小学3年生ごろに、あるテーマについての独創的な意見を述べ、こどもたちは勿論、大人たちからも注目をあびたが、、、そのことを振りかえって、<他人と違ったものの見方をするのが、傍観者の宿命だ>と言う。
上記の<傍観者>と同じ意味合いを語った文章があります。
それは、、、ゲーテ作『ファースト』に登場する望楼守の<見るために生まれ、物見の役を仰せつけられ>という文です。
ドラッカー博士に好まれ、よく引用されています。
<物見の役>というのが、<傍観者>と同様に、博士自身の姿を表していると考えられているのです。
これまでに出揃ったパズルのピースを並べてみましょう、、、
<傍観者には自己の歴史がない、、、傍観者は役者でも観客でもない、、、傍観者は舞台の袖に立って、役者や観客が気づかずに見過ごすものを見る>(『傍観者の時代』の冒頭の文章)
<本書は、私個人に関する本ではない、、、自叙伝でも回想録でもない、、、>(『傍観者の時代』の冒頭の文章)
<本書はきわめて主観的な本である、、、一流の写真家が主観的たらんとするのと同じ意味で、、、>(『傍観者の時代』の冒頭の文章)
<傍観者は生まれつき傍観者なのであり後天的につくられるものではない>(14歳の誕生日の直前の自覚)
<他人と違ったものの見方をするのが、傍観者の宿命だ>(小学3年生の時の思い出)
<見るために生まれ、物見の役を仰せつけられ>(ドラッカーが好んだゲーテ作『ファースト』に登場する望楼守)
これらのピースは、いずれも<見る>という言葉がキーとなっています。
ドラッカー博士は、自分自身のことを<見る者>だと考えている、、、
そして、この<見る>は、私たちの日常的な<見る>行為とは異なった性質を持っているのです。
(続く)
大久保忠男
** 以上は、2016年2月4日配信<起業レッスン>の再掲です *
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