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起業レッスン097 : PFドラッカーの洞察力(8) : <傍観者>という言葉の真意

起業レッスン097 : PFドラッカーの洞察力(8) : <傍観者>という言葉の真意
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前回は、<ドラッカーの『傍観者の時代』>について話しました。


1.1979年に発行された『傍観者の時代』は、ドラッカー博士の前半生を扱った内容だ。

2.同書の冒頭にこんな文章がある、、、<傍観者には自己の歴史がない。傍観者は舞台の上に居るにはいるが、しかし役者ではない。傍観者は観客ですらない。傍観者は、舞台の袖に立って、役者や観客が気づかずに見過ごすものを見る。>

3.傍観者は役者でも観客でもない、、、舞台の袖に立って見ているだけの存在だと、、、ならば、それは、この世で実際に生きている人間なのだろうか?



傍観者には自己の歴史がない、、、傍観者は役者でも観客でもない、、、と語るドラッカー博士の真意はどこにあるのか?

この文章について不可思議に感じた私は、誰かが適切な解説をしていないかどうか、当時、書評などいろいろ読みましたが、納得のいく説明に出会えませんでした。


『傍観者の時代』の冒頭には、上記の文章に続いて、次のような文言が目を惹きます。

<本書は、私個人に関する本ではない、、、自叙伝でも回想録でもない、、、しかし、本書はきわめて主観的な本である、、、一流の写真家が主観的たらんとするのと同じ意味で、、、>

この文章も面白いですね。

『傍観者の時代』は少年期から30歳代頃までのドラッカー博士を取りまく人物像を描いた内容ですが、これについて博士自身は<私個人に関する本ではない>と言うのです。

さらには、<自叙伝でも回想録でもない>とも言っています。

本人のこういう但し書きが無ければ、たいがいの読者は、<博士個人に関する本>だと思うし、<半自叙伝であり回想録>として読むでしょう。

博士としては、そう受け取られるであろうと予想して、前もってそれを否定したわけですね。

<しかし、一流の写真家が主観的たらんとするのと同じ意味で主観的な本である>とも言う。

この場合の<主観>はどういう意味合いでしょうか?

この言葉も、<ドラッカービジョン>というパズルの図柄を構成するピースのひとつになるようです。


もうすこし、パズルのピースを掘りおこしてみましょう。


『傍観者の時代』の冒頭部分には、次のような子どものころのエピソードが紹介されています。

ひとつは、博士が、傍観者としての自分を最初に自覚したのは、14歳の誕生日を直前にひかえた頃、ある記念日のイベントとしてのデモ行進の隊列を自ら離れた時だったと語っていることです。

そして、こんなふうに言う、、、<傍観者は生まれつき傍観者なのであり後天的につくられるものではない>、、、

これも不可思議な文言ですね。

<生まれつきの傍観者>とはなんでしょうか?

なぜ、傍観者は後天的につくられるものではないのか?

また、14歳直前という年齢でそのような自覚を得るとは、ずいぶんと早熟な印象を受けます。


ふたつめは、こんなエピソードです。

小学3年生(8歳?)ごろに、同じ年頃の友人達やその家族たちが集うクリスマスパーティの席で、あるテーマについての独創的な意見を述べ、こどもたちは勿論、大人たちからも注目をあびたというもの。

そして、<他人と違ったものの見方をするのが、傍観者の宿命だ>と言っているのです。

ふたつとも、博士自身と世間とのズレを、こどもなりに感じているというところが面白いですね。

これらの言葉も、パズルのピースを構成しているようです。



(続く)



大久保忠男



** 以上は、2016年1月28日配信<起業レッスン>の再掲です *

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