起業レッスン012 : ミニ起業家像のイメージ
前回は、<働きかたの変化>について話しました。
1.一般的に、キャリア人生が会社寿命より長くなったこと。
2.会社と社員の関係が変わったこと。
3.会社の社員でいることの最大のリスクは、<ゆでられたカエル>と化して、自己決定能力を失うこと。
4.これからは、会社の〔なかで〕働くのではなく、会社と〔ともに〕働くことが有望な選択肢であること。
、、、etc.
さて、会社の〔なかで〕働くのではなく、会社と〔ともに〕働くという選択肢の中で、もっとも有望なのが、<ミニ起業家>になることです。
今回から、<ミニ起業家像>について話します。
ミニ起業家というのは、どういう働きかたをするのか、、、どのようなライフスタイルなのか、、、ミニ起業家になるまで、どのようなプロセスを歩むのか、、、などについて見ていきます。
全体像を把握してもらいたいと考えているので、しばらくの間、このテーマでレッスンを続ける予定です。
では、具体例を通してイメージしてみましょう。
事例モデルとして、佐藤真美さん(仮名)に登場してもらいます。
佐藤真美さんが、勤めていた会社を退職し、ミニ起業家としてひとり立ちするまでの物語を通して、ミニ起業家像のイメージをつかんでください。
【佐藤真美さんのミニ起業家物語】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
佐藤真美さんは、中堅アパレルメーカーに勤務していたが、会社が業績不振による希望退職を募ったので、それを機に辞めることにした。
数年前から、会社のコンプライアンスやその他の規則やらが厳しくなり、息苦しさを感じていたからだ。
結局のところ、会社は自分の居場所ではない、、、もっと自分らしい暮らし方や働きかたを見つけたい、、、との思いが強くなっていたようだ。
でも、どういう夢や希望があるにしろ、経済的な基盤をつくることが先決になる、、、
といっても、生活費を稼ぐためだけに、人生の大半を費やすことには、もう耐えられない、、、
やりがいや喜びを感じることができて、生活費も稼ぐことのできる仕事をしたい、、、
また近い将来、結婚し子供を育てるようになっても、キャリアを中断せずに続けられる仕事を選びたい、、、
、、、そう考えていた。
ところが、両親や先輩など、年長者にそういう話をすると、きまって返ってくる言葉は、、、
「生きがいとか、やりがいとか、そんなのんきなことを言ってる場合か!、、、失業者があふれているこの不況期に、夢みたいなことを言わないで、現実を見なさい、、、云々」
そう言われるたびに、、、やはりそうだよね、、、現実は甘くない、、、ましてや、なんの能力もないわたしなんかに、仕事を選べる資格なんかありはしない、、、との思いにとらわれていた。
しかし、転機が訪れた。
その転機をプレゼントしてくれたのは<おばあちゃん>、佐藤さんの父方の祖母だった。
おばあちゃんは、、、86歳、1927年(昭和3年)の生まれ。
戦争中に青春を過ごし、敗戦後の混乱を生き抜いてきた。
敗戦で社会の価値観が転倒し、確かなものはなにもなくなり、国も社会も常識も正義もあてにできないことを、身をもって知った世代だった。
佐藤さんは、小さい頃から、このおばあちゃんが好きで、よく遊び相手や話し相手になってもらっていた。
おばあちゃんは今、、、実家のある地方都市の病院に入退院を繰り返している。
胃ガンだ。病状はステージ3の段階だが、高齢のため手術も抗ガン剤治療も施さないことにした。
佐藤さんは、久しぶりに実家に帰省し、病院を訪れ、しばらく会っていなかったおばあちゃんを見舞った。
おばあちゃんに、、、会社を辞めたこと、、、もっと喜びを感じる生活をしたいこと、、、やりがいがあり自分の成長を育んでくれる仕事に就きたいこと、、、でも、周りからは現実をみるように忠告されていること、、、経済的な基盤をつくるのが容易でないこと、、、などを話した。
おばあちゃんは、孫娘の話を嬉しそうに聞いていた。
佐藤さんが一通り話し終わると、おばあちゃんは静かに話しはじめた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おばあちゃんの話は、次回に、、、
大久保忠男
** 以上は、2013年11月22日配信<起業レッスン>の再掲です *
** ニューズレター最新版の配信をご希望の方は、こちらからご登録ください
→
http://www.watashi-kigyou.com/mailmagazine.php