スピリチュアルレッスン162 : アニメ <君の名は> 1
スピリチュアルレッスン162 : アニメ <君の名は> 1
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
前回は、<境域に生きる(19)ラムダス13:ラムダスという精神>を話しました。
今回は、<境域に生きる>についてではなく、アニメの話をします。
年明け後に、評判のアニメ<君の名は>を見てきました。
昨年来、友人たちから良い映画だと聞いていたので、楽しみにしていたのですが、、、面白かったですね。
海外でも観客動員数の記録をぬりかえているとか、、、
なぜ、それほどまでに、人々を惹きつけているのでしょうね。
映画を見ていて感じたのは、このニューズレターのスピリチュアルレッスンで語っていた内容と通じるものがあったことです。
そのことをすこしお話しましょう。
見ていない方には申しわけないですが、ネタばれになるようなところは伏せておきますので、、、読んで興味がわいたら映画館へ、、、
ふたりの主人公が登場します。
都会に住む男子高校生と、田舎に住む女子高校生です。
このふたりが、ある時、心と身体が入れ替わることから、物語が始まります。
男子の身体のなかに女子の心が入り、女子の身体のなかに男子の心が入る、、、
お互いに、今まで知らなかった相手の世界を体験することになります。
しかし、何日かたつと、また元の世界に戻ってしまう、、、それを何度も繰りかえす。
このふたりは、たがいにまだ会ったことがない未知の相手です。
だから、なにが起こったのかをすぐに理解することができない。
でも、何度も入れ替わりを繰りかえすうちに、しだいに状況を把握しはじめる。
相手の世界を共有できてくるわけです、、、とともに、相手の存在が特別なものになってきます。
まぁ、いわゆる、おたがいが<運命の人>のように輝いてくるんですね。
ところが、物語が進むにつれて、ある大きな事件に巻き込まれながら、このふたりが共有した記憶が忘却の波にさらわれていきます。
たがいに、相手の名前も忘れてしまう、、、忘れてしまってはいけないなにかがあるという<感覚>は残しながら、、、
だから、、、(忘却後)ふたりが、ある時、ある場所で、すれちがった時、その<感覚>に促されながら、、、振り向いて、<君の名は?>とたずねる、、、
こんなふうにまとめてしまうと、いかにもつまらない感じになってしまいますね、、、
アニメ自体は、筋立ても面白いですし、いろいろ考えさせる内容でもあり、なによりも映像がとてもきれいです、、、だから、誤解のなきよう、、、お薦め映画ですから。
以下、スピリチュアルレッスン風解釈です。
こういう類の入れ替わりの物語は、昔から似たような筋立てで数知れずあり、めずらしくもないのですが、、、
この映画では、ある種の<ひねり>によって、従来とは異なった<深み>を表現できているように感じました。
<ひねり>とは、時空間のねじれであり、、、<深み>というのは、対称性のことです。
CGユングは、、、男性のなかにある女性像を<アニマ>、、、女性のなかにある男性像を<アニムス>と称していました。
<男と女>というのは、<天と地>や<光と闇>や<自己と他者>などと同じく、この世における対立的・対極的な関係性を表わしています。
いわゆる2元性の象徴ですね。
これに、<アニマとアニムス>が加わることによって、2元性の対立軸が相殺されます。
そして、4元性の要素を持った対称性に変容するわけです。
その対称性を表現したシンボルが、よく知られている<陰陽大極図>です。
円のなかに、白い勾玉と黒い勾玉が配されていますね、、、そして白には黒の、黒には白の点が穿たれている。
(続く)
** 以上は、2017年2月1日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
** ニューズレター最新版の配信をご希望の方は、こちらからご登録ください
→
http://www.watashi-kigyou.com/mailmagazine.php