スピリチュアルレッスン155 : シフト33 境域に生きる(13) ラムダス7
スピリチュアルレッスン155 : シフト33 境域に生きる(13) ラムダス7
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前回は、<境域に生きる(12)ラムダス6>を話しました。
1.ラムダスは、脳卒中によって、車イス生活と失語症を余儀なくされたが、第二の人生とみなして、冷静にポジティブに受容している。
2.<リアクションではなく意志の表現である>という<在りかた>をみごとに実践している、人生の達人と称していいような態度だ。
3.しかし、こういう彼にとって難しい課題のひとつが、<痛み>への対処だった、、、そして、難題ゆえに、この<痛み>が、意識の新たな覚醒に導く偉大な教師であると言う。
4.ラムダスはこんなふうに語る、、、
・脳卒中の後遺症には、車イス生活と失語症のほかに、激しい痛みとの出会いがある。
・痛みは人を<体験者>にする。
・そして、人はその痛みと自分のあいだに距離をおく方法を見つけるまで、<体験者>に支配される。
・私は、自分が学んださまざまな修行法を活用したが、なかでも<魂の観点>にジャンプする方法をよく利用した。
・この方法で、痛みを体験する一方で、痛みを眺めるところに自分をおくことができる。
・眠ろうとする時、腕やかたや足などが激しく痛む。
・私はきちんと寝返りがうてず、からだの位置を変えるのも難しい、、、そのため、筋肉が引きつり痛む。
・さらに、私は睡眠中に一時的に呼吸が停止する障害があるので、人工呼吸器をつけて寝る。
・その機械は、私の呼吸音を増幅するので、その音に専念して瞑想することにしている。
・すると、やがて静かに痛みを目撃できる境地に達する。
・脳卒中の激しい痛みから私が学んだことは、<体験者>として強烈な痛みを丸ごと感じながら、同時に<目撃者>の次元にいることによって痛みを超越すること。
・痛みは、人が<自我>と<魂>の中に、つまりふたつの次元に同時に存在することを強いる、じつにすごい教師ではないか。
<痛み>は人を<体験者>にする、、、つまり、<痛み>という体験に支配される、、、すると、<痛み>がすべてになる、、、自分のすべてが<痛み>におおわれてしまう、、、
この<痛み>の支配から逃れるためには、<痛み>と自分との間に距離をつくれなければならない、、、その方法のひとつが<魂の観点>にジャンプすることだ、、、と、ラムダスは言います。
<痛み>を体験する地点から、それを眺める地点に自分を移行させるというのです。
この地点を、彼は<目撃者>と称します。
<痛み>が無い状況で、山中深く入って瞑想でもすれば、<目撃者>になるのはたやすいかもしれません。
しかし、その場合は、<体験者>としての自分は映像のような希薄な現実になっており、切実感は薄れているでしょう。
<痛み>は、そういうことを許してくれません。
<目撃者>に移行できても、<体験者>の現実と切実感は薄れることはありません。
<体験者>にとどまりながら、<目撃者>の視点を得る、、、<体験者>と<目撃者>というふたつの場所で同時に生きる、、、<痛み>は、そのことを可能にしてくれる、、、
それは、<自我>と<魂>のなかに、ふたつの次元に同時に存在することを意味する、、、とラムダスは考えるのです。
(続く)
** 以上は、2016年12月22日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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