スピリチュアルレッスン147 : シフト25 することとあること
スピリチュアルレッスン147 : シフト25 することとあること
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前回は、<一身にして二生(にしょう)を経(ふ)る >を話しました。
1.<境域に生きる>というテーマで外せないのが、福沢諭吉『文明論之概略』(明治8年)にある文言・・・<一身にして二生(にしょう)を経(ふ)る>・・・
2.幕末と維新というふたつの時代を体験する、、、漢学と洋学という異質な学問を学ぶ、、、
3.そういう困難な状況をまたとない機会と見ることを通じて、<わたし>の自立を自覚するようになるという意味合いが、この言葉にこめられている。
4.<一身独立して一国独立す>や<立国は私なり、公にあらざるなり>などの文言にも通じる立ち位置が示されていると言える。
5.この70年後にも、第2次大戦をはさんで、日本人はふたたび、<一身にして二生(にしょう)を経(ふ)る>体験をする。
6.この時も、価値観や国家観を中心にさまざまな認識が転倒した。
7.そして、そのまた70年後の今、3度目の<一身にして二生(にしょう)を経(ふ)る>時期を迎えているように思われる。
8.過去の2度の体験と同様に、<わたし>自身の立ち位置を振り返り、<わたし>の自立を促されているのではないか。
<境域に生きる>というテーマは、つきつめていくと、、、<すること>と<あること>の境域に生きることの気づきにいたります。
<すること>と<あること>、、、つまり<doing>と<being>ですね。
これについては、過去に当スピリチュアルレッスンで話したことがあります。
それを再掲します。
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今までは、、、<幸せになる>ために、なにかをしなければならないと考えてきました。
・・・経済的に裕福になる
・・・結婚する
・・・家庭を持つ
・・・成功する
・・・健康を保つ
・・・etc.,
そのために努力する、、、がんばる、、、 その結果として<幸せになる>、、、
つまり、、、努力する(一生懸命働く)
→ (すると)裕福になり必要なものが得られる
→ (したがって)幸せになる
、、、というプロセスが、自分の思考の中に、至極当然の常識のように刻みこまれていないでしょうか、、、
このようなプロセスは、一種の信仰のようなものです。
世間の誰もが疑わない<世俗信仰>といってもよいでしょう。
プロセスが破綻しない限り、わたしたち信者はこの信仰に生きています。
しかし、プロセスが破綻すると、信仰に亀裂がはいります。
一生懸命働いたにもかかわらず、事業が倒産して借金をかかえる、、、
健康に留意していたのに、重い病にかかる、、、
突然、家族の者が事故にあう、、、
<幸せ>へのプロセスが中断し、<不幸せ>へのプロセスがはじまる、、、
またしばらくすると、逆の現象が起こり、そのシーソーゲームが繰り返される、、、
波間に浮かぶ小船のように、<できごと>によって、<幸せ>と<不幸せ>の間を漂うのです。
そして、<できごと>に翻弄されることに愛想が尽きたとき、(白昼夢のような)夢から覚めます。
目覚めると、意志がはたらきはじめ、<在りかたを選択する>ことができるようになります。
在りかたを選択できるようになると、プロセスは次のように変化します。
(まず)幸せでいる
→ (すると)楽しく暮す・働く
→ (したがって)ワクワクするものや楽しい仲間が増える
このように、今までの習慣を反転させること、、、
今までは、、、する(doing)→持つ(having)→在る(being)
これからは、、、在る(being)→する(doing)→持つ(having)
<幸せ>は単なる感情の問題ではない、、、
それは、<幸せで在る>ことを選ぶという、意志にかかわるものです。
感情は、<反応(リアクション)>に支配されていますが、、、<在りかた>は、反応(リアクション)ではなく、意識的な選択です。
いかなる条件もつけないで、あなたは、あなたの<在りかた>を選択できるのです。
<幸せで在る>ことも、<自由で在る>ことも、<平和で在る>ことも、<穏やかで在る>ことも、<勇気で在る>ことも、<信頼で在る>ことも、<生命で在る>ことも、<真の自分で在る>ことも、<愛で在る>ことも、、、
これに気づくことが、自分自身の現実を創造する重要な一歩となります。
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(続く)
** 以上は、2016年11月24日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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