スピリチュアルレッスン146 : シフト24 一身にして二生(にしょう)を経(ふ)る
スピリチュアルレッスン146 : シフト24 一身にして二生(にしょう)を経(ふ)る
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前回は、<働きかたの境域>を話しました。
1.ドラッカーは、働きかたについて、対極にある2つの世界を体験し理解することを薦めていた。
2.たとえば、、、大企業の社長室や役員室にいるものは、折を見て現場を経験すること、、、
3.百貨店のトップは、1年の内1週間ほど売り場に立って、顧客にじかに接すること、、、
4.医者は、毎年患者の立場を疑似体験すること、、、
5.メーカーで働いているならば、流通業の現場を体験すること、、、
6.企業に所属しているなら、週末などを利用してNPOの活動にも関わること、、、
7.ビジネスのまっただなかに生きている者は、ビジネス以外の世界を持つこと、、、などなど。
8.このように、働きかたの多様性が可能になったのは、人類史上はじめてのできごとであり革命的に重要なことだと、ドラッカーは考えていた。
9.100年前の第一次大戦ごろは、就業分野の1位は農民であり、2位は使用人だった。
10.その後の50年間で、農民は数%の割合まで減少し、使用人はおもに工場労働者に移行した。
11.量産型産業社会の進展とともに、社会的に固定されていた職業やライフスタイルは、流動的になると同時に、自分が選択すべきものとなったが、、、これからは、ドラッカーのアドバイスのような複合的な働きかたも、特殊な事例ではなくなっていく。
<境域に生きる>というテーマで外せないのが、福沢諭吉『文明論之概略』(明治8年)にある文言・・・<一身にして二生(にしょう)を経(ふ)る>・・・
幕末と維新というふたつの時代を体験する、、、漢学と洋学という異質な学問を学ぶ、、、
そういう困難な状況をまたとない機会と見ることを通じて、<わたし>の自立を自覚するようになるという意味合いが、この言葉にこめられています。
<一身独立して一国独立す>や<立国は私なり、公にあらざるなり>などの文言にも通じる立ち位置が示されていると言えます。
この70年後にも、第2次大戦をはさんで、日本人はふたたび、<一身にして二生(にしょう)を経(ふ)る>体験をします。
この時にも、価値観や国家観を中心にさまざまな認識が転倒しました。
そして、そのまた70年後の今、3度目の<一身にして二生(にしょう)を経(ふ)る>時期を迎えているように思われます。
過去の2度の体験と同様に、<わたし>自身の立ち位置を振り返り、<わたし>の自立を促されているのではないでしょうか。
(続く)
** 以上は、2016年11月23日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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