スピリチュアルレッスン143 : シフト21 被造物から創造者へ
スピリチュアルレッスン143 : シフト21 被造物から創造者へ
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前回は、<ふたつの器>を話しました。
1.これからの時代は、<壊れかけた世間的自分>を受けとめる器を自分のなかに用意することが必要になる。
2.このことについては、これまでのニューズレターで、さまざまな角度から、器の用意の仕方を語ってきた。
3.それを、もう一度整理しておくと、、、まず、用意する器は、大きく分けて2つある。
4.ひとつは、壊れかけた世間的自分に代わる、新たな社会的な自己の再構築。
5.新たな社会的自己は、ネクストソサエティを足場とする自分だ。
6.この自分は、自分の足場を築くことを通じて、変革を担い、ネクストソサエティの形成に参与する。
7.もうひとつは、精神的な自分の創造。
8.<精神的>という言葉は、<霊的>という意味合いを含んでいる。
9.この精神的・霊的自分は、今までの世間的自分の陰で眠っていた存在だ。
10.これを目覚めさせて、社会的自己を支えることのできる、もうひとりの自分に育て上げる。
11.このふたつの器を用意することができるのが、今という時代の大いなる機会なのだ。
12.それが、あなたの前に置かれたスプリングボードだ。
このスプリングボードを活用するかしないかは、あなた次第です。
おそらく、人類史ではじめて訪れた大衆社会的機会ではなかろうかと思います。
このふたつの器を用意することを、<境域に生きる>と言います。
<境域に生きる>とは、社会的な自分と精神的・霊的な自分のふたつの自分を意識化するということです。
それによって、自分自身を創造するところに立つようになります。
人間は、神の被造物だと語られてきました。
しかし、同時に、人間は神に似せられて創られたとも言われてきました。
被造物が創造の流れに参与することにより、創造者になります。
神に似せられて創られた、、、というのは、身体の形象を意味するのではなく、神の力である<創造>の力を分け持つことができるということを意味しているのではないでしょうか。
つまり、受けとるものが与えるものとなり、受容する器が創造の源泉となるのです。
(続く)
** 以上は、2016年11月10日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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