スピリチュアルレッスン109 : 死についてのワーク(68) 死後の世界30 − ルドルフ・シュタイナー5 記憶映像
スピリチュアルレッスン109 : 死についてのワーク(68) 死後の世界30 − ルドルフ・シュタイナー5 記憶映像
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前回は、<ルドルフ・シュタイナー4:生への注意の喪失>を話しました。
1.記憶のパノラマ現象は、<生への注意>が失われた時に生じる。
2.身体は、意識存在を<生への注意>に引き入れ、未来に向けて行動をうながすための<媒体>。
3.この身体が、、、事故などの衝撃に出会うと、、、または死を迎えると、、、生への注意が霧散し、記憶のパノラマ現象が生じる。
4.記憶というのは、誕生から今までの記憶のすべてが消えることなく、そのままで存在しているが、日常、その記憶は意識にのぼらない。
5.なぜなら、生きることに、そして生活することに邪魔になる記憶は、日常意識から締め出されているから。
6.今生きることに必要な記憶のみが意識化されている。
7.脳や身体は、そのための器官であり、そのための仕組みだ。
8.脳は、記憶を保存するためにあるのではなく、記憶を締め出す(忘れさせる)ためのものであり、現在に必要な記憶のみをそこから取り出すためのものだ。
9.記憶は、感光剤のように脳に刻印されているのではなく、また、メモリーチップのように脳に保存されているのでもない。
前述したように、、、誕生から現在までの記憶がすべて、<いま・ここ>に存在(潜在)しているのですが、、、こんなことを想像してみましょう。
あなたが今見ている光景がありますね、、、今この瞬間にあなたの眼の前に広がっている景色です、、、もし、電車のなかでスマホ画面でこのメールを見ているのであれば、スマホや電車のなかの光景です。
この光景は、自分を取り巻いている3次元空間ではなく、スクリーンに映った2次元平面のような映像です。
<今の目の前の>このスクリーン映像からスタートして、フラッシュバックするように過去にさかのぼっていきます、、、10分前の眼前の映像、、、1時間前の映像、、、今朝の映像、、、昨日の映像、、、一週間前の映像、、、一月前、、、1年前、、、学生時代、、、小学生の時、、、赤ちゃんの時、、、というふうに、現在から誕生の瞬間までの数十年の時の連続した映像を想像してみます。
その一連の流れがなんとなく感得できたならば、、、今度は、それの映像のすべてが大容量のディスク1枚に保管されていると想像してください。
そして、そのディスクのなかの映像を、今度は、誕生から現在までの連続映像として再生してみます、、、
通常の再生速度では、再生し終わるまでに、睡眠時間を除いた実人生とほぼ同じ時間、数十年かかってしまいますね、、、
ですから、さらに想像力を働かしてみましょう、、、
これを1時間の早送りで再生すると想像します、、、さらには、10分で、、、1分で、、、10秒で、、、と短縮していきます。
数十年分の映像を10秒で再生できたとしても、私たちの通常の意識は、これをとらえることはできないでしょう、、、
でも、時間を超えた意識が働いたならば、、、数十年分の映像を一瞬にしてはあくできるでしょう、、、
<記憶のパノラマ体験>をそんなふうに考えてみてください、、、
(続く)
** 以上は、2016年6月1日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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