スピリチュアルレッスン072 : 死についてのワーク(31) グリーフワーク2 - 悲嘆の経験
スピリチュアルレッスン072 : 死についてのワーク(31) グリーフワーク2 - 悲嘆の経験
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前回は、死についてのワーク<グリーフワーク>について話しました。
1.悲嘆による癒しのプロセスは<グリーフワーク>と呼ばれている。
2.EKロスさんの遺著<永遠の別れ>は、グリーフワーク(遺族)とグリーフケア(支援者)のための書。
3.だれもがいずれは経験することになる、人生でもっともつらい悲嘆の時期を迎える、その準備ができている人はほとんどいない。
4.<悲嘆>について、それを学ぼうとする意識もないし、学べる環境もない。
5.自分が当事者になるまで、他人事であり、気にもとめないし、できれば、そのような時間に関わりたくない。
6.しかし、<悲嘆>は避けるべきものではなく、<悲嘆>を十分に生きることこそが未来につながる。
今回は、<悲嘆の体験>として、EKロスさんの下記の文章を取りあげましょう。
<悲しみぬくことそのものに癒す力がある。
親しいだれかが深刻な喪失を体験したときのことを思い出してみよう。
深い悲しみをかかえながら、その人がどう変化したか?
一年後はどうだったか?
もしその人が悲しみぬいていたら、奇跡のような変化が起こっていたはずだ。
もし治癒が生じていなければ、それはほとんどのばあい、その人が悲しみぬくことを自分に許さなかったからだと考えていい。
悲嘆はつねに作用している。
悲嘆はつねに癒す力を発揮する。
われわれがかかえる問題の多くは、決着がついていない悲嘆、癒されていない悲嘆から生じている。
自分の悲嘆をうまく経過させることができなかったとき、われわれはこころとたましいを癒す機会を失うのである。>
わたしたちの日常世界は、<悲嘆>を許容しない傾向にある、、、
かっては、自宅にあって静寂の中で死を看取っていたが、今は病院の落ち着かない空間のなかであわただしく死の<手続き>が進む、、、
遺族が心おきなく<悲嘆>にひたることを許さない、、、
その後の葬儀も喪に服する期間も、その行事に必要な作業に明け暮れる、、、
喪が明けても、休止していた仕事が待ついつもの日常生活に復帰する、、、
悲しみを抱えながらも、それに適合しなくてはならない、、、
<悲嘆>は、いつも通りに過ぎゆくあたりまえの日常への適合を邪魔するものであって、せいぜい必要悪として認められるものでしかない、、、
<悲嘆>は、個人的なものであり、その程度が過ぎると、社会にとっては<わがまま>として受けとめられる、、、
なぜなら、<悲嘆>は、現代社会の価値である<生産性>と<効率性>に反するものだから、、、
だから、現代社会において、物理的にも心理的にも、<悲嘆>が十分に迎えられ生かされる機会は少ないと言える。
しかし、悲しむべき時に、悲しみぬくことを自分に許さなかったなら、こころとたましいを癒す機会を失い、問題を抱えることになる、、、と、ロスさんは言うのです。
(続く)
** 以上は、2015年7月29日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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