スピリチュアルレッスン066 : 死についてのワーク(25) 死の受容のプロセス6 段階3:取引
スピリチュアルレッスン066 : 死についてのワーク(25) 死の受容のプロセス6 段階3:取引
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前回は、死についてのワーク<死の受容のプロセスー怒り2>を取りあげました。
EKロスさんの<死の受容のプロセス:5段階説>
段階(1) 否認
段階(2) 怒り
段階(3) 取引
段階(4) 抑うつ
段階(5) 受容
段階(2)の怒り2について、、、
1.患者の怒りは、特定の誰かや何かに向けられたものでないことを理解することが大切。
2.患者は、自分が忘れられていないことを確かめるように、、、声を上げて叫ぶ、、、要求する、、、不平を言い、、、注目を引こうとする。
3.特に、以前は組織内で権力を持っていた専制的な傾向のある人は、環境変化に順応できず、自尊心を満足させられないから、本人自身も周囲も対処するのがとりわけ難しい。
4.怒りの中には、往々にして幼児期のトラウマが浸入してくる、、、本人は自覚しないまま、それが怒りに燃料を与えていることがある。
5.怒りに対しては、批判したり無視したりすると、火に油を注ぐことになる、、、そうではなく、耳を傾ける、、、すると、怒りは和らぐ、、、大切にされ、理解され、気にかけてもらえる患者は、声を荒げて怒ってなにかを要求することがなくなる。
6.どんな場合でも、怒りは十分に感じられたほうが良い、、、怒りをリアルに感じれば感じるほど、怒りを完結させることができ、怒りは消え始める。
7.怒りを感じるだけ感じることの重要性を自覚して、中途半端な慰めによってそれを頓挫させてはならない、、、また怒っている自分を他者に批判させてはならない、、、怒る自分にたいする自己批判もすべきではない、、、
今回は、段階(3)の取引について話します。
<怒り>の段階を経ると、<取引>を試みようとします。
往々にして、<怒り>と<取引>は交互にやってきます。
<取引>によく見られるのが、幼い子どもを持った母親のケースです。
この子が小学校を卒業して中学に入れば、母親がいなくても耐えていける、、、まだ小学生の時に残して逝くのはあまりにもこの子が不憫でならない、、、せめて卒業するまで生きさせてほしい、、、お願いです、、、と、、、
しかし、子供が成人の場合でも、取引が生まれます、、、
来年は娘が(息子が)結婚式を予定しています、、、せめて、その晴れ姿を見るまでは、、、
また、今、娘のお腹には赤ちゃんがいます、、、孫の顔をひと目見るまでは、、、
、、、ですから、神様お願いです、、、願いを聞き届けてくださるのなら、私にできることはなんだってします、、、毎日お祈りを捧げます、、、接する人みんなに愛を注ぎます、、、嫁(姑)に冷たくあたっていたのを反省して優しくします、、、etc.,
この<取引>には、子どものころの<おねだり>の体験が反映しています。
手に入れたいと思っているものと引き換えに、相手が望んでいるを思われるものを条件提示する、、、つまり、子どもが親におねだりしたように、終末期の患者は神におねだりする、、、
<否認>や<怒り>と同様に、この<取引>も、当人にとって必要な段階だと、ロスさんは言います。
<受容>に向けての、精神の地ならしをしているのです。
また、<取引>の内容には罪悪感が垣間見られる、、、と、ロスさんは注意をうながします。
<毎日お祈りを捧げます>という取引条件には、<毎日お祈りを捧げるべきだと考えているのに、それができていない、、、そのことに後ろめたさを感じている>というわけです。
<取引>は運良く充たされることがあっても、次の<取引>に引き継がれる、、、小学校を卒業できたなら、次は<せめて中学校を卒業できるまで>、、、と
だから、<取引>が最終的に充たされることはあまりない、、、だが、、、<取引>をあきらめる時が、、、やがて来る、、、
大久保忠男
** 以上は、2015年6月17日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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