スピリチュアルレッスン064 : 死についてのワーク(23) 死の受容のプロセス4 段階2:怒り
スピリチュアルレッスン064 : 死についてのワーク(23) 死の受容のプロセス4 段階2:怒り
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前回は、死についてのワーク<死の受容のプロセスー否認>を取りあげました。
EKロスさんの<死の受容のプロセス:5段階説>
段階(1) 否認
段階(2) 怒り
段階(3) 取引
段階(4) 抑うつ
段階(5) 受容
段階(1)の否認について、、、
末期ガンなど不治の病を宣告された時、多くの人がそれを否認する、、、
宣告を<否認>するのは、生命自身の持つ自己防衛機能が発揮されているから、、、
それは、当人にとって、正常なことであり必要なことでもある、、、
だから、自分にも他の人にも<否認>を許容すること、、、現実の認識を無理強いしないこと、、、
そこに自由が生まれ、自分に還ることができる、、、と話しました。
今回は、段階(2)<怒り>についてです。
宣告の事実を認めざるをえない、つまり段階(1)の否認が維持できなくなると、それに代わって、怒りが噴出してきます。
当初は、<理不尽さ>に我慢ならなくなります。
なぜ、わたしなのか?、、、どうして、あの人ではないのか?、、、あの人は悪いことばかりしている、、、社会にとって害だ、、、誰の役にもたっていない、、、自分は今必要な存在だ、、、幼い子どもたちがいる、、、年老いた両親の世話をしている、、、社会に貢献している、、、人に優しくしている、、、なのに、なぜ?
今まで苦労して働いてきて、ようやくまとまった休みをとれるようになり、これから人生をすこし楽しんでみよう、、、そう思いはじめた矢先なのに、、、そんなささやかな望みがなぜ自分に許されないのか、、、
まだ幼い子供のために頑張ってきたのに、どうして今、この子たちになによりも必要な私が死ななければならないのか、、、
そんなふうに考えたり感じたりして、、、善良で無実な自分だけが死刑宣告を受け、周囲と隔絶された透明な牢獄に閉じ込められたような感覚に陥るのです。
TVを見ても新聞を読んでも、世の中は変わりなく忙しそうにしている、、、他室からは見舞い客の笑い声が聞こえて楽しそうに見える、、、自分以外の世界はそのまま変わらず続いている、、、
その理不尽さに怒りが炸裂するのです。
怒りの段階は、家族や医療スタッフの立場からすると非常に対応が難しい、、、とロスさんは言います。
この怒りは、あらゆる方向へと向けられ、あたりかまわず周囲に投射されるからです。
医者に対しては、、、適切な処置をしてくれない、、、患者の権利や希望を尊重しない、、、といった不満が怒りとともに出てきます。
看護婦に対しては、、、患者にとって身近な存在であるだけに余計に怒りの対象になりやすい、、、ベルを鳴らしてもすぐに来ない、、、自分への扱いかたが乱暴、、、話を聞いてくれない、、、頼んでも無視する、、、内心自分を馬鹿にしている、、、などなど。
見舞いに来てくれる家族に対しても、些細なことであたりちらす、、、当然、家族も面会がつらくなる、、、また家族も死に直面する準備ができていないので、、、その結果足が遠のくようになる、、、
患者は、家族からも医療スタッフからも見捨てられたように感じ、孤独になり、絶望からますます怒りが増していく、、、
大久保忠男
** 以上は、2015年6月3日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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