スピリチュアルレッスン063 : 死についてのワーク(22) 死の受容のプロセス3 段階1:否認
スピリチュアルレッスン063 : 死についてのワーク(22) 死の受容のプロセス3 段階1:否認
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前回は、死についてのワーク<死の受容のプロセス2>について話しました。
EKロスさんの<死の受容のプロセス:5段階説>
段階(1) 否認
段階(2) 怒り
段階(3) 取引
段階(4) 抑うつ
段階(5) 受容
このプロセスは一般的なモデルであって、すべてが機械的にこのような段階を順序だって踏むわけではないこと、、、
これら5つの標識が、余命宣告から死までのロードマップを描いているが、道順はいくつもあり、近道も遠回りも往復運動も見られること、、、
過去に経験した小さな喪失のたびに、5段階プロセスが短かな時間で無意識のうちに通り過ぎていたかもしれないこと、、、
これを意識化できるようになると、自分が今どこにいるのかがわかるようになり、自分や周りを許容することが可能になること、、、
そうすると、ゆったり呼吸ができる空間が生まれ、いくばくか心身が楽になり、生きやすくなる、、、そういうコツを身につけましょう、、、と話しました。
今回は、段階(1)の否認について、、、
末期ガンなど不治の病を宣告された時、多くの人が<そんなはずはない、私のことじゃない、なにかのまちがいよ>と考える、、、
検査がまちがったのでは、、、誰か他の人の検査データやレントゲン写真じゃないの、、、など、それを否定する理由が繰りだされる、、、
そして、検査をなんども繰りかえしたり、医師めぐりをしたりする人も少なくない、、、
この時、例えて言えば、ハイウエイのドライブ中に突然地割れがおこり、地の底に落ちていくような感覚にとらわれているのですね。
ですから、宣告を<否認>することで、失墜寸前のバランスを危うい地点で保とうとするわけです。
<否認>は、生命自身の持つ自己防衛機能が発揮されているのです。
<否認>は、当人にとって、正常なことであり必要なことでもあるのです。
よく言われる、その人の未熟さなどではないのですね、、、
太陽を見続けることができないように、死もそれと同じ、、、
否認のスタイルも、言葉だけに留まらず、いろいろに表現されます。
以前よりも会社にいる時間が長くなる、、、頻繁に友だちに会ったり外食をする、、、化粧やファッションが派手になる、、、etc.,
同時に、このように否認しながらも、自分のなかのもうひとりの自分は、宣告の事実をちゃんと知っているんですね、、、でもそれに気づかないふりをしている、、、
それから、本人だけでなく、家族も同じように否認したいと思っている、、、家族のひとりひとりも死に直面する用意ができていない、、、だから本人と家族との間で共同謀議のようにそれについて話さないという空気が生まれる、、、
当人の立場であっても、家族の立場であっても、自分や相手が今<否認>の状況にあることを認められたなら、それを尊重しましょう、、、(否認を認めることができるというのは、すでにそこから脱け出しはじめていることを意味します)
やがては、宣告を完全に認める時期がやってきますが、それまでは、自分にも他の人にも<否認>を許容すること、、、現実の認識を無理強いしない、、、
そこに自由が生まれ、自分に還る余地が生まれます。
大久保忠男
** 以上は、2015年5月27日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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