スピリチュアルレッスン056 : 死についてのワーク(15)
スピリチュアルレッスン056 : 死についてのワーク(15)
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前回は、死についてのワーク <一度死んでみよう、余命6ヶ月> シミュレーションプログラムで、 <気づきのポイント> のひとつ、<死>に対する精神性育成の欠如について話しました。
突然の余命宣告で、死に対する心の焦りに狼狽する50歳男性の事例を取り上げました。
日頃から<死>を友とし、生のなかで<死>を生きる、、、ことで、<死>に対する精神性を育成する、、、
そのような<気づき>です。
今回は、もうひとつの気づき、、、<今を生きる>という覚醒意識の欠如について。
明日でもなく、昨日でもなく、今日を、今を生きる、、、
ほんとうの現実は、つきつめると、生きている今しかない、、、
日頃、私たちが<現実>と呼んだり、そう考えたりしているのは、<現実>そのものではなく、<私の見方>を現しているに過ぎない、、、
<解釈>や<損得計算>や<予測>や<後悔>の類で、それらは<現実>の衣のようなもの、、、
その衣を取り去ってみると、<今>という素の現実が姿を見せる、、、
このスピリチュアルレッスンで、半年ほど前に、アニータ・ムアジャーニさんの臨死体験をとりあげました。
・・・ → スピリチュアルレッスン 034〜037
(http://www.watashi-kigyou.com/mm_bkcknumber_s033.php)
この中で、アニータさんが、臨死体験後に<今を生きる>ことについて語っています。
とても素晴らしい表現なので、もう一度ご覧いただきたいと思います。
(以下、再録します)
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(臨死体験後、アニータさんの末期がんが消滅します)
、、、今生きていて、自分を表現するチャンスをもう一度与えられたことがただ嬉しくてなりません。
私は、なにか素晴しいことが展開しようとしていて、心がわくわくします。
毎朝私は新しい世界を探求したいという気持ちで目覚めました。
毎日を新しい冒険のように、この人生を楽しみたい。
まるで子どものように、音楽が聴きたい、アイスクリームが食べたい、家族とおしゃべりしたい。
私は笑い転げて、とても幸せな気分です。
海に座ってアイスクリームを食べながら、太陽が水平線に沈んでいくのを眺めます。
まるで生まれて初めて、この世の美しさを体験しているようです。
見慣れた光景も新たな光景に見えます。
みんな、日々の予定や行動に気をとられて、この素晴しい世界を味わっていません。
あらゆる問題が些細なことであると気づいてください。
このすばらしい冒険におけるわずかな時間も無駄にしたくないのです。
病も老いも死も貧困も怖くありません。
死が恐れで無くなれば、ほかは問題にはなりません。
お金のためだけに好きでもない仕事をすることは考えられません。
私の人生や今という時間が大切なのです。
怖れずにもういちど人生を生きなさい という言葉を魂の中で毎日感じています。
以前は、怖れのせいで、本来の姿であるすばらしい存在としての自分を表現できなかった。
絶対的なすばらしさがいつも存在していたのに、物質的な生活がそれをさえぎっていました。
もっと地に足をつけて、今この瞬間のすばらしさにすべての注意を向けたいのです。
思考と行動に追い立てられるのではなく、存在すること、自分自身でいること、恐れからではなく、喜びから人生を生きること。
そうすると、人生そのものが祈りとなります、、、
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『喜びから人生を生きる』(アニータ・ムアジャーニ)から抜粋
大久保忠男
** 以上は、2015年4月1日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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