スピリチュアルレッスン055 : 死についてのワーク(14) 気づき
スピリチュアルレッスン055 : 死についてのワーク(14) 気づき
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前回は、死についてのワーク <一度死んでみよう、余命6ヶ月> シミュレーションプログラムで、<したくないリスト> を作成しました。
作成済みの<したいリスト>と<したくないリスト>、、、そして、自分の日常生活とを照らし合わせて、今の自分を見直そうと言いました。
今回は、今の自分を見直す上で、誰にでも共通する、ふたつの<気づき>をとりあげます。
<したいことリスト>ワークを続けていると、今までの日常で欠如していたあることに気づきます。
何でしょうか、、、?
ひとつは、<死>に対する精神性の育成が、日常的に欠如していたことです。
大企業の中堅幹部として活躍していた50歳ぐらいの男性が、突然余命半年と告げられました。
その男性は、企業人の模範となるような、典型的な仕事人間でした。
会社が自分の人生の場所であり、どこよりも落ち着くのが、会社でした。
ですから、余命宣告されても、以前と変わらず、会社にでかけていましたが、<死>を意識するにつれて、痛感することがありました。
それは、<死>について今まで考えたことがなかった、ということです。
<死>はどういうものなのか、、、<死>にどう対処すればいいのか、、、<死後の世界>はあるのか、、、
そうした疑問が、人生ではじめて切実なものに感じられました。
しかし、なんの知識も心がまえもなく、心のなかは恐怖と不安が募るばかりでした。
男性は、仏教関連の書や、臨死体験や死後世界のことを書いている本などを大量に購入し、治療や仕事の合間に読み始めました。
残された時間で、<死を超える>境地をすこしでも得ようとしたのです。
しかし、次第に気力も体力もなくなり、本を読むこともできなくなりました。
結局のところ、購入した本のほとんどは、積読のまま、男性は亡くなりました。
もうすこし早くから勉強して、<死>の準備を備えていれば、、、と思ったそうです。
たとえ勉強したとしても、<死を超える>境地に至ることが可能かどうかはわかりませんが(おそらく難しいでしょう)、、、男性の焦る心には、私たちも身につまされるのではないでしょうか、、、
日頃から<死>を友とし、生のなかで<死>を生きることができれば、、、焦る心をすこしは落ちつかせられたかもしれません、、、
これが、気づきのひとつです。
次回、もうひとつの気づきについて話します。
大久保忠男
** 以上は、2015年3月25日配信<スピリチュアルレッスン>の再掲です *
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